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2005年11月24日 (木)

中山素平さん

中山素平さんが亡くなられた。

私がまだ興銀に勤めていた頃の話。取引先の方が本店を訪れた際、お昼を本店14階の来賓用食堂でご一緒することが多かったが、中山さんをよくお見かけした。いつも決まったテーブルで昼食をとられていた。

また私は興銀の営業第三部の課長としてチッソ㈱を担当していた。もともと住友銀行がメインだったチッソに興銀が頼まれて社長を派遣(1964年)。この社長が皇太子妃の祖父にあたる江頭さん、そしてこの人事を決められたのが中山さんである。

私が興銀の審査部にいた時には石油開発の審査を担当。ここでも中山さんの足跡に触れることが多かった。当時アラビア石油の北海油田権益買収の審査を担当し、その後サウジアラビアにも出張したが、アラビア石油誕生に際し大きく活躍されたのも中山さんだ。

『そっぺいさん』と言われていた中山さんは我々興銀マンの誇りだった。

『中山さんが活躍していた頃の興銀こそ、もっとも投資銀行に近かったのではないか。』これはジョージソロスの片腕といわれたニコラス・ロディティの言葉だ。

中山さんは勲章をもらおうとしなかったことでも有名である。そもそも役人が人をランク付けするのはおかしいとの発想だ。

実は私は三ヶ月ほど前に早稲田大学出身の財界人たちが集まる会に出た。若手の意見を聞きたいというので、若手として呼ばれたのである(そもそも私が若手になってしまうこと自体おかしな話であるが。。。)

不用意に元気な『若手』を入れてしまったこの会議では意見の食い違いが沢山出てしまったのだが、お年を召されたある財界人の方がこう発言された。『我々くらいになると最大の関心事は勲章です。』

早稲田の在野精神はどこにいったのだろう。

中山さんは一橋(東京商大)の出だが、筋を通された気骨ある方だった。常に世界に目を向けられていた。

バブルの頃に興銀は不動産とノンバンクへ集中的に融資を行い、今や『みずほ』の一部になってしまったが、中山さんの精神は世界中に散らばった元興銀マンたちに受け継がれている。

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