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2009年10月 6日 (火)

政治を理解する

私の参加している勉強会で先週、政治学者の飯尾潤さんをお招きしお話を聞きました。

『今日本で起きていることを踏まえ政治への理解を深めよう』との趣旨で企画されたものです。

飯尾さんは『新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)』の主査も務められる政治学者。

私自身、早稲田で政治学を専攻しましたので、飯尾さんのお話を大変興味深く聞きました。

飯尾さんは中公新書から『日本の統治構造』という本を出されており、この本は、『サントリー学芸賞』『読売・吉野作造賞』の2つの賞を受賞していますので、お読みになった方も多いと思います。

以下は同じ政治学者(日本政治外交史)の北岡伸一さんが飯尾さんの著書を評した文章の一部です(サントリー学芸賞のウェブサイトより抜粋)。

* * *

『日本の議院内閣制は、他の国々のそれと大きく異なっている。

著者によれば、それは第一に明治以来の「官僚内閣制」の伝統から来ている・・(以下略)

官僚内閣制は、新憲法で議院内閣制が導入されたにも関わらず、生き残った・・

* * *

北岡さんの書評は『こちら』をクリックすれば全文が記載されていますので、興味のある方は是非ご覧になってみて下さい。

Amazon のベスト500レビュアーの馬場伸一さんはこのように書いています。

* * *

これほど堅い内容でありながら、これほど面白い本は久しぶりだった・・(以下略)

特にエキサイティングだったのは、日本の官僚制を「省庁代表制」と喝破したことだ。

なるほど、日本官僚制がまったく民主的正統性を欠きながら「清潔で有能な官僚」という神話を享受できていたのは、そういう仕組みがあってのことだったのかと深く納得した。

おそらくは戦時中の国家総動員体制に発するのだろうが、省庁が国民生活の隅々まで統制できていた時代が確かにあって、それを前提とすることによって、官僚が「政治家は選挙区の利害しか代表していないが、われわれは、関連領域では日本全体の代表だ」(75p)と言うことができたのだろう。

しかし、「省庁代表制」が「代表」することができた「国民」とは、戦時中ないしせいぜい50年代までの利害集団であって、その後に発生した社会集団の利害が「代表」されることはなかった。

それはまさに官僚制が民主的制度の裏打ちがない閉じたサークルであったことの限界であり、高度成長以後に発生した重要な社会集団の利害を代表することに失敗している・・(以下略)

* * *

先週の勉強会でのお話でも強調されていたのですが、飯尾さんにとってのテーマは議院内閣制のあるべき姿です。

飯尾さんは英、米、仏など諸外国の政治制度に詳しく、大統領制と議院内閣制の長短を論じ、日本の進むべき道を洞察していきます(この辺は、本の中でも同じように議論が展開されていきます)。

飯尾さんのお話を聞いていて、私は政治でも経済でも、競争の原理を導入していくことが必要だとの思いを強くしました。

競争とは、消費者なり国民が選択できるということであり、この原理が働くからこそ、企業はより良い製品の開発やサービスの向上に励み、政党は民意をくみ上げることに注力する・・。

競争の原理が働かなくなると、企業は大企業病に陥り、政治は動脈硬化をきたす・・。

* * *

まあ、これ以上、私のつたない感想を述べるよりも、関心のある方は『日本の統治構造』という本をお読みになることをお薦めします。

菅直人や小沢一郎はなぜ英国に行くのかなど、今日本で起きていることがより良く理解できるようになると思います。

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