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2009年12月17日 (木)

昔取っていたリスク

経済学者たちの反対を押し切って八幡と富士が合併し新日鐵が誕生したのが、昭和45年。1970年です。これにより粗鋼生産量でUSスティールを抜いて自由世界第一位の製鐵会社が誕生するわけですが、この頃までの日本の会社は果敢にリスクを取っていたように思えます。

戦後いち早く米国製ファスナーに目をつけ、社運をかけてファスナー製造機械を輸入購入した吉田工業(YKK)。

『川崎製鉄が千葉工場建設を強行するならペンペン草を生やしてみせる』とまで当時の日銀総裁一万田尚登に反対された川鉄。にもかかわらず、これを押し切って製鉄所建設に乗り出しました・・。

特振法が国会に上程されたのが1964年。「ずばりお尋ねします。本田技研は四輪車を作るな。そうおっしゃるのですね」佐橋滋通産事務次官を前に本田宗一郎は、こう問いただしました。「まあ、はっきり言ってしまえばそういうことです」と佐橋(詳しくは『こちら』)。

戦後から1970年頃までの日本にはこのような話がたくさんあります。

成田に空港建設が決まったのが1966年。開港が1978年。

これは、私の全くの『個人的な感覚』なのですが (従って本当はきちんと調べて書かないといけないのでしょうが)、この頃から少しずつ日本企業はリスクを取ることに慎重になってきたように思います。

豊かになって失うものが大きくなったことによるのでしょうか。

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