« TED Conference | トップページ | 『死ぬ前にどう生きるか』 (その2) »

2010年1月 5日 (火)

iPodの生みの親、アップルの創業者、Steve Jobs のスピーチ: 『死ぬ前にどう生きるか』

昨日ご紹介したスピーチの中には既に日本語に翻訳されているものもあります。

特に Steve Jobsのスピーチ は翻訳されたものが何種類かあり、ネット上でも各所で紹介されています。ここでは私なりに抄訳版を作成し載せてみます(必ずしも正確に訳されていないところもあります。悪しからずご了承下さい。また全訳ではなく、あくまで抄訳です)。

* * *

『死ぬ前にどう生きるか』(スタンフォード大学に招かれた時のスピーチ)

                       Images3

大学の卒業式にこうやって招かれているが、正直なところ私は大学を卒業したことがない。

ところで今日は3点についてのみお話したい。

まず最初は、点と点とを繋ぐということについてお話する。

私は大学に6ヶ月間行っただけでドロップ・アウトした。

正式に退学したのはそれから18ヶ月くらい後だ。

どうしてドロップ・アウトしたか。

実はこの話は私が生まれる前に遡る。

私の生みの親は若い未婚の大学院生だった。

そして彼女は私を養子に出した。

彼女は、私は大学を卒業した親に育てられるべきだと強く信じていた。

その結果、私はある弁護士の夫婦に養子として引き取られることが決まっていたんだ。

ところがいざ私が生まれるとなると最後のギリギリの土壇場になって、その弁護士夫婦は、やっぱり女の子が欲しいと言い出した。

で、養子を貰う順番待ちのリストに名前が載っていた今の両親は、真夜中に電話を受け取ることになった。

「突然、予期せぬ形で男の赤ちゃんがたった今生まれたんだけれど養子としてもらいますか」。

この電話に私の育ての親となるカップルは「もちろん」と答えた。

私の生みの親は後になって、私の育ての親のうち、母親の方は大学を出ていないことを知った。

そればかりか父親に至っては高校さえ出ていなかった。

そうと知った生みの親は養子縁組の最終書類の署名を拒んだ。

そうして数ヶ月が経って、今の親が将来私を大学に行かせると約束したので、生みの母親は態度を和らげたんだ。

これが私の人生のスタートだった。

やがて17年後、私は本当に大学に入学したのだが、何も考えずにスタンフォード並みに学費の高い大学を選んでしまった。

その結果、労働者階級の育ての親の貯金はすべて私の大学の学費に充てられることになってしまった。

そうして大学に入って 6ヶ月も過ぎた頃には、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。

自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からなかった。

なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。

だからドロップ・アウトすることにしたんだ。何とかなると信じてね。

そりゃ当時としてはこの決断を下すのはかなり怖かった。

ただ、今こうして振り返ってみると、あれは人生最良の決断だったと思える。

ドロップ・アウトした瞬間から興味のない必修科目はもう採る必要がなくなった。

その分はるかにもっと面白そうなクラスを聴講しにいけたんだから。

もちろん生活は甘いものではなかった。

大学の寮には自分の部屋がなかったから夜は友だちの部屋を次から次へと訪れては床の上で寝た。

コーラの空き瓶を店に返すと5セントがもらえるんで、それを貯めて食費に充てた。

日曜の夜はいつも7マイル(11km)歩いて街を横断して、施しの食事を出してくれる寺院に行き、1週間に1度のまともな食事をした。

こうして自分の興味と直感の赴くままに当時身につけていったことの多くは、後になって値段がつけられないほど価値のあるものだということが分かってきた。

ひとつ例を挙げてみよう。

私のいたリード大学(Reed College)は、当時としてはおそらく米国内最高水準のカリグラフィー(西洋書道)教育を提供する大学だった。

キャンパスのそれこそ至るところ、ポスター1枚から戸棚のひとつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィー(飾り文字)で飾られていた。

私はドロップ・アウトしていて通常のクラスには出なくていい。

そこでカリグラフィーのクラスを取ってこれを勉強することにした。

セリフ(serif)やサンセリフ(sans-serif)のフォントを学び、あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだ。

活字の体裁を美しくする術を修得したんだ。

それは美しく、歴史があり、科学では捉えること出来ないアートの微細さを持つ世界で、私はすっかり夢中になっていた。

こういったことは、どれも私が生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものばかりだった。

だけど、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する段になって、この時の経験が全て私の中に蘇ってきたんだ。

そして私たちはその全てをマックの設計に組み込んだ。

そうして完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータだった。

もし私が大学であのひとつのクラスに寄り道して参加していなかったら、マックには複数書体もなかったであろうし、字間が綺麗に調整されたフォントも存在しなかっただろう。

そしてウィンドウズはそもそもマックを単にコピーしたに過ぎないので、パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンはおそらくこの世に存在することはなかったに違いない。

もし私がドロップ・アウトしていなかったら、あのカリグラフィーのクラスにはドロップ・イン(寄り道)していなかった。

そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントは搭載されていなかった。

もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんて出来なかった。

しかし10年後になって過去を振り返ってみると、非常に明確に分かる。

もう一度言おう。

人は未来を見通して点と点とを繋げて見ることは出来ない。

出来るのは過去を振り返って繋げることだけだ。

だからこそ点と点とは将来それらが何らかのかたちで繋がっていくと信じなくてはならない。

自分の直感、運命、人生、カルマ(宿命)…何でもいい…そういったものを信じなくてはならない。

点と点とが自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで人は確信を持って己の心の赴くまま(follow your heart)生きていくことができる。

たとえそれが人と違う道を行くことになってもだ。

そしてこう信じることこそが人生に決定的な違いをもたらせるようになる。

* * *

続きは次回にします。ここまでで15分間のスピーチのうち、約3分の1がカバー出来たことになります。

|

« TED Conference | トップページ | 『死ぬ前にどう生きるか』 (その2) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« TED Conference | トップページ | 『死ぬ前にどう生きるか』 (その2) »