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2012年1月 1日 (日)

明けましておめでとうございます

北京の祈年殿で撮影した龍です。

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    (写真はクリックすると大きくなります)

今年はどんな年になるのでしょう。

私は学生時代にぶどう膜炎(虹彩炎)にかかり失明しかけたことがあります(『こちら』)。

その後も10年に1回くらいの頻度で再発して、最近では 2008年4月に再発。

それからしばらくの間は1週間に1回という割合で大学病院に通いました。

その後徐々に通院の間隔が長くなり、最近では4カ月に1回といった割合でした。

昨年のクリスマスイブ、12月24日に診察で病院を訪れた時、先生が

「次回の予約はもう必要ないでしょう。おかしいなと思ったらいつでも来てください」

と言ってくれました。

約4年ぶりの解放!

重荷が少しだけ取れて、今年は例年以上に頑張るぞ、そんな気持ちで新年を迎えました。

みなさん方もいろいろな思いで新年を迎えたと思います。

松下幸之助の言葉を2つ。

『悪い時が過ぎれば、よい時は必ず来る ・・・ あせらずあわてず、静かに時の来るのを待つ』

『失敗の多くは、成功するまでにあきらめてしまうところに原因があるように思われる』

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コメント

早稲田大学院会計研究科蘇霞(スー シャー)と申します。

新年あけまして、おめでとうございます。

岩崎様の新年挨拶文を拝読、岩崎様が学生時代にぶどう膜炎(虹彩炎)にかかり失明しかけたことを知り、驚きました。何回も再発、昨年のクリスマスイブ、苦難を乗り越え、約4年ぶり病気の苦痛から解放!たいへんよかったです。心から岩崎様とご家族の皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

北京の祈年殿で撮影した龍、素敵です。私の大学時代夏休み中、北京天壇、九龍壁等の名所旧跡のボランティア英語ガイドをしたことがあります。祈年殿の龍の写真を拝見、とても懐かしく思います。

元旦、2011年度に最も世話になった早稲田大学院カワン・スタント教授に感謝の気持ちを込めて新詩「遠航」を創作しました。この詩は全体3節12句で構成され、私の理想追求のスタート、挫折そして再出発という過程をリアルに再現。ご投稿させていただきます。
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「遠 航」
2012年元旦

小船出航 (小さな船、出航し)
満載夢想(夢と希望をいっぱい載せる)
乗風破浪(風に乗り、浪を破れ)
駛向遠方(遠いところへ)

暴風驟雨(強い風、荒い雨)
驚濤駭浪(驚くほど大きな浪)
船破帆傷(船が破れ、帆がぼろぼろになり)
幻滅理想(理想が幻滅してしまう)

神仙相助(神様が助けに来られ)
賜我力量(力及び勇気を賜られる)
朝向前方(前に向かって)
揚帆遠航(帆を揚げ、遠くへ)

蘇霞よりの解説:
第一節4句で、私は大卒して、理想を追求するため、故郷内モンゴルから南の珠海に南下したことを指す。
第二節で、理想を追求する道が険しく、失敗および挫折の繰り返しを指す。1992年から珠梅、1996年から深セン、そして1999年からイギリス、2000年から日本の名古屋、2004年から中国青島、2007年から日本富山、2010年から東京という複雑な修学と就職の道。
第三節で、神様が現れ、パワーをいただき、私は再び理想追求の道を歩んでいくという喜び及び決心を表現する。ここ、迷った私に救う手を伸べたカワン・スタント教授を慈愛な神様に喩える。2010年11月にスタント先生に出会って、おかげさまで、新しい夢を見つけ、その方向に向かって努力をしている。
ーーーーーーーー
友人Y様からのコメント:
今回も素晴らしい詩(遠航)を創作して頂きまして有難うございます。
何回も読みました、2012年元旦にふさわしい前向きな勇気の出る詩です。
人間は困難な立場に遭遇した時に、嘆き悲しんでいては何も解決しません。
まず一歩を踏み出して見るべきです、すると何かが変わります。
真に今の日本における東北大震災に会い、戸惑っている人々に読んで聞かせたい勇気の出る詩です。

Ms.Xia Suは即興詩人と言うべき人です、どこから人の心の琴線に触れるような言葉が出てくるのか私には不思議です、素晴らしいの一言です。
特に最後の2行の「朝向前方 揚帆遠航」(前に向かって、帆を揚遠くへ)の所が心に染みました、良い詩です。

投稿: 蘇 霞(Xia Su) | 2012年1月 2日 (月) 11時35分

蘇霞様

「遠航」のご紹介、ありがとうございます。

以前に渡辺久夫さんから、昨年12月10日付の私のブログ記事にコメントを頂き、その中で、蘇霞さんの詩をご紹介頂いたことがあります(その時の詩も素敵でした)。

私と中国との接点は私が興銀で海外広報を担当していた1981年にまで遡ります。

1978年の日中平和友好条約締結以降、興銀幹部と中国上層部との交流が活発化しました。

その後、私自身、日本企業による対中国投資を支援する部署に配属されたこともあり、中国社会科学院(国務院発展研究中心)の呉敬璉教授が来日した際には教授を京都にご案内したこともあります(2009年12月20日のブログ記事に書きました)。

時おり中国の方の博識には驚かされます。

船破帆傷 幻滅理想 

そうした状況になっても「前に進む力」を持ち続けたいですね。

投稿: 岩崎 | 2012年1月 2日 (月) 15時53分

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