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2012年10月13日 (土)

節目

昨晩、米国から帰りました。

4日間日本を離れていただけなのですが、帰ってみるとすっかり秋らしくなっていました。

これ先、秋がいよいよ深まりやがて冬になっていく、今年もそんな季節がやってきました。

今日はちょっと個人的なことを書きます。

まだ30代の頃。

興銀にいるときに外資に転出しようかと何度か心が傾いたことがあります。

最初は1980年代の後半で興銀の審査部にいた頃です。

当時熱心に外資への道を勧める人がいたのですが、ちょうどそんな時、私は興銀の職員組合の副委員長に選ばれてしまいました。

興銀の場合、副委員長は非専従でしたので、私は審査部の仕事を続けながら1年間(1989年~90年)、組合の仕事をしました。

数千人の組合員の生活に対して責任ある立場。途中で辞めることなどできません。

「基本的にこの1年間は審査部の仕事と組合の仕事に専念しよう」と決心し、ほかのことを考えるのを止めました。

そして組合の仕事が終わってしばらくすると、副頭取から呼ばれました。

「絶対に秘密にしてほしい。君のところの上司(課長)にも知らせるな」

と言われました。

日本鉱業と共同石油が合併するというので、その仕事をサポートしてほしいとのことでした。

合併比率を算定するとか、難しい仕事でした。

それが終わると営業3部に異動になって、水俣病を起こしたチッソに対する金融支援の取りまとめに民間金融機関の代表として参画して欲しいといった話も出てきたりして、結局興銀を辞めたのはずいぶんと後になってからでした。

30代のころに描いていた自分のキャリアに対するイメージ ― 「いったん外資に出て、思いっきり働いた後、まだ40代のうちに(50歳になる前に)独立したい」 ― そんな思いはだんだんと遠くなりかけましたが、それでも(結構遅れましたが)何とか決心して外資に出ました。

そして今度はぎりぎり49歳で独立して、いまの会社(インフィニティ株式会社)を立ち上げました。

そしてそれからそろそろ10年。

10年というと、またひとつの節目なのかもしれません。

「経営コンサルタントをして、そこで上げた収益をスタートアップ企業に対するシード・インベストメントや一部アーリーステージ・インベストメントに向ける」 ― こうしたビジネスモデルで会社を立ち上げて、これまでやってきたのですが、はたしてこのままでいいのかどうか・・・。

スタートアップ企業に対する投資事業の方はこれまで10件ほどに投資してきました(平均すると1年に1件)。

しかしこれが結構難しい・・どうしてなのか、一言で言うと、投資をする「投資家」と、投資を受ける「起業家」、双方のdiscipline ということなのかもしれません。

起業家について言うと、(これは10年間の私の経験からくる感想なのですが)日本には(1)明確なビジョンに、(2)事業欲を持ち合わせた起業家はいても、これに 第3の要素たる discipline を持ち合わせた起業家はあまりいないように思えます。

スタートアップ時に私の会社が投資して、その後セカンド・ステージあたりまでは順調に行き、VCから数億円に及ぶ投資資金が入った・・・としても、その先が結構大変です。

数億円にも上る大きなお金が入ってきたことで、そのことで心のゆるみが生じ、初志貫徹とはならずに、だんだんと道がそれていってしまった起業家の方もいます。

「日本でシード・インベストメントといった仕事を事業として行うのはそもそも難しいのではないか」とアドバイスしてくれるシリコンバレーの著名なベンチャー・キャピタリストもいます(『こちら』)。

一方で私の会社の事業の半分を占める「経営コンサルタント」の仕事の方は規模の利益が働かない業種。

顧客は中堅企業から上場企業の社長さんまで様々なのですが、私を名指しで依頼してきます。つまり私としては人を雇って事業を拡大するのが難しい・・。

それと私の場合は依頼してくる会社の社長と同じレベルにまで依頼先の会社のことを(自分の問題として)悩んでしまうタイプなので、一度に引き受けることができる顧客数は多くて4社。

出来るだけ3社に絞るようにしています。

こんな形で10年近くやってきました。

これから先、投資事業の方が(10社のうち)たとえ1社でも大きく花が咲けば、もう一段、上の展開が出来るのでしょう。

しかしそうでないと、いったい自分が経営している会社は事業体としてどうなのか、自分がまだ50代のうちに何らかの方向性を付けたいと思うようになってきました。

そういった意味で、10年目をむかえることになる、これから先の1年は、難しい1年になりそうです。

目標をもって、それに向かって努力していくこと。

これは重要なことだと思いますが、人生なかなか自分の思い描いたようにはならない・・。

私の場合、30代で興銀を辞めていればまた違った人生だったと思うことはありますが、人はみないろいろなしがらみの中で生きています。

結局、その時々で可能と思われる形でしか駒を進めることができません。

それにどういったようなキャリア・パスの人生だったとしても、人の一生に成功、失敗はありません。

節目に今まで来た道を振り返ってみて、これから行く道の先を見通してみる・・

いろいろな場面がフラッシュ・バックしてきますが、「これはこれで良かったんだな」と思えてきます・・・。

次の10年が来たときにもそう思えるよう、惰性では進まずに、考えながら進んでいきたいと思います。

米国から帰る飛行機の中でそんなことを考えていました。

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