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2014年5月27日 (火)

キンキナトゥス(その2)

もろ刃のやいば、とでも言うのでしょうか。

インターネットは、ときにアラブの春でそうであったように、民衆が独裁者を倒すうえで力を発揮します。

と同時に、国家が国民を監視する上での有効な道具にもなり得ます。

5年前になりますが、2009年、野口悠紀雄さんは雑誌のインタビューに応じて、次のように発言していました(『こちら』)。

『私が以前、Gmailを使えなかった理由も「私のプライバシーがグーグルに知られてしまう」ことに対する恐怖心、グーグル・フォビア(恐怖心)があったからです。

それは多くの人が持っています。

今でも、IT専門家ほどGmailを使いませんね』

野口さん自身はそういった恐れは合理的でないと考え、Gmailを使うようになったと言いますが、「しかし」です。

スノーデン氏の著書『暴露:スノーデンが私に託したファイル』(原題:NO PLACE TO HIDE)を読むと、グーグルだろうとヤフーだろうと、フェイスブックだろうと、われわれがネット空間で行うメール、検索、通話などはほとんどが米NSAやCIAに筒抜けになっていることが分かります。

その手口は広範。

外国諜報活動監視裁判所による命令などを使って、グーグル、ヤフー、フェイスブック、ベライゾンなどのインターネットや通信大手各社に協力要請を行う(本書172頁ほか)にとどまりません。

シスコ製のルーターやサーバーに不正工作を仕掛け、大量のインターネット・トラフィックをNSAのデーターベースに送信させている(本書225頁)と言いますから、まさに本書の原題のとおり、NO PLACE TO HIDE。

われわれとしてはネットを使う限り、米政府の監視から隠れようがありません。

それにしてもスノーデン氏は「自分がやった」という足跡をいっさい残すことなく不法情報活動の証拠を持ち出すことも可能でした。

それだけのネット技術を彼は持っていました……

にもかかわらず、彼は何故あえて「自分がやった」という足跡を残したのでしょうか。

政府に捕まれば終身刑に処せられる、あるいはグアンタナモ収容キャンプに送られ拷問されるかもしれないというのに……

理由は本書に書いてありますので、ぜひ読んでいただきたいのですが、ここでは彼の次の言葉を記しておきます。

『私は自分の行動によって、自分が苦しみを味わわざるをえないことを理解しています。

これらの情報を公開することが、私の人生の終焉を意味していることも。

しかし、愛するこの世界を支配している国家の秘密法、不適切な看過、抗えないほど強力な行政権といったものが、たった一瞬であれ白日の下にさらされるのであれば、それで満足です』(本書132頁)。

NSAやCIAに勤務していた時、スノーデン氏は上級サイバー工作員となり、国防情報局でサイバー防諜の講師を務めるまでになりました。

彼が教えた相手の多くは彼よりも年上で、有名大学出だったといいますが、彼自身は大学はおろか高校も出ていません。

高校を中退後、スノーデン氏は「自由の為の戦い」を望んで、当時勃発していたイラク戦争への派遣を自ら志願。

訓練中に両脚を骨折し除隊。

その後19歳のときにマイクロソフト認定システムエンジニアとなり、国家安全保障局(NSA)からスカウトを受け、メリーランド大学言語研究センターの警備任務に配属されます。

そしてシステム関係で才能を発揮していったと言います。

スノーデン氏は「われわれ自身が自らの行動を通して人生に意味を与え、物語を紡いでいく」ことを教訓としていたと言います。

彼はこのことを自らが熱中していたビデオ・ゲームの世界で学んだとのこと。

彼いわく、

『ゲームの主人公というのは、えてして普通の人間ですが、大きな力を持つ巨悪に立ち向かうことになります。

恐怖に怯えて逃げるか、信念のために戦うかを選ぶことになるのです。

そして、正義のために立ち上がった一見普通の人間が、恐るべき敵にさえ勝利できる。

これは歴史を見ても明らかです』

今年1月、スノーデン氏は、ノルウェーのボード・ソールエル元環境大臣からノーベル平和賞候補に推薦されました(『こちら』)。

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2014年5月25日 (日)

キンキナトゥス

キンキナトゥス(Cincinnatus)は共和政ローマ前期に登場する伝説的人物。

      Cincinnatus

彼は紀元前5世紀頃の農民で、執政官に任命されて、ローマを外敵の襲撃から守ります。

そして敵を滅ぼすと、ただちに進んで政治権力を返上。

ふたたび農民に戻ったことで知られています。

2012年12月。

ブラジル、リオデジャネイロ。

ニューヨーク出身のジャーナリスト、グレン・グリーンウォルドは、この地に住みながら、英国ガーディアン紙などに寄稿していました。

12月1日。

彼は1通のメールを受け取ります。

コンピューターの画面に現れた差出人の名前は「キンキナトゥス」でした。

       Glenn_greenwald_2

       (グレン・グリーンウォルド)

キンキナトゥスと名乗る人物は、メールでグレンに対して「あなたはPGPを使っていないのではないか、だとすれば、ぜひPGPを使ってほしい」と促してきました。

PGP は Pretty Good Privacy の略。

1991年に開発され、その後、何度も改良が重ねられてきました。

メールやオンライン経由の通信を、監視やハッキングから守るツールです。

Pgp

〝キンキナトゥス"と名乗る人物は、「グレンのPGPの〝公開鍵″を見つけようとしてあちこち探した」。しかし、「どこにもなかった」と書いてきました……

* * * * *

以上のような出だしで始まるのが、グレン・グリーンウォルド著『暴露:スノーデンが私に託したファイル』

スパイ小説のように話は展開していきますが、これはすべて事実。

実際に起きたことであり、現実にいま起きていることです。

Snowden

自らの身の危険も顧みず本書を著したグレン・グリーンウォルド氏。

そして何よりも、スノーデン氏の勇気ある行動に敬意を表したいと思います。

ある意味、スノーデン氏は現代のキンキナトゥスなのかもしれません。

スノーデン氏の情報に基づいた英ガーディアン紙による米情報収集活動の暴露報道は今年、ピュリツァー賞を受賞。

また本書『暴露:スノーデンが私に託したファイル』は ソニー・ピクチャーズエンタテインメントによって映画化されることが決定。

プロデューサーはスパイ映画「007」シリーズのマイケル・G・ウィルソン氏とバーバラ・ブロッコリ氏が務めることになりました。

スノーデン氏はこう綴っています。

「私は政府の最も暗い一角で働いてきました」

2009年。

キンキナトゥスの名前でグレン・グリーンウォルド氏にメールを送る3年前のことです。

スノーデン氏は日本に派遣されていました。

表向きはデルの社員として日本には2011年まで駐在しました。

そして日本で、より高次元の機密へのアクセス権を得るようになりました。

「日本のNSA(米国国家安全保障局)で多くの時間を過ごすほど、こうしたすべてを自分の中だけに留めておくことはできないと感じるようになっていきました」

それにしても例えば……

われわれが普段なにげなく使っている携帯電話。

CIAやNSAの手にかかれば、この携帯電話が盗聴器に変身する……。

携帯電話を使って話す会話が盗聴されるだけではありません。

たとえ携帯の電源を切っていたとしても、部屋の中の会話が「電源を切られた携帯電話」を遠隔操作するCIAやNSAによって盗聴されてしまいます。

これを防ぐには携帯電話の電池を抜くか、携帯電話を冷蔵庫などに入れてしまい、ひそひそ声で話すしかないとのことです。

そういった、今までは「知らなかった」ことが、次から次へと出てくる本。

私は一気に読んでしまいました。

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2014年5月18日 (日)

ウクライナ(その2)

ヤヌコーヴィチとユシチェンコ、さらにはユシチェンコとティモシェンコとの関係など、私のようなシロウトには分かりにくいのが、ウクライナ情勢。

その背景となる2003年のロシア・ホドルコフスキー事件にまで遡って簡単にまとめてみました。

【1】2003年10月 ボトルコフスキー事件

ホドルコフスキーはロシアの実業家。

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        (ホドルコフスキー)

ソ連崩壊後の民営化過程で国有財産を安く手に入れて財を成した「オリガルヒ」(新興財閥)の代表的存在。

元石油大手ユコス(ロシアで1、2位を争う石油会社だった)の社長。

反プーチン政権の立場で野党を資金的に支援。

ユコスとシブネフチ(ロシア5位の石油会社)の合併で誕生するはずだった新会社の株式40%をアメリカの石油メジャーであるエクソンモービル社に取得させる交渉をしていた。

石油の国家管理を進めるプーチン政権の反発を招いた。

2003年末、脱税容疑などで逮捕。

なお彼が社長を務めていた石油会社ユコスは2006年破産。

2013年12月19日、プーチン大統領はホドルコフスキーの恩赦について明言。

翌20日にホドルコフスキーは釈放され、ドイツ・ベルリンに到着。

釈放の舞台裏には、ゲンシャー元独外相による仲介、ドイツ政府の協力があったと観測されている。

【2】 2003年11月 グルジア・バラ革命

大規模な反政府デモが、グルジア共和国のシェワルナゼ大統領を辞任に追い込んだ。

代わって、サアカシュヴィリが大統領に就任(2004年1月)。

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         (サアカシュヴィリ)

サアカシュヴィリは、1992年、ウクライナのキエフ国立大学卒業後、アメリカ合衆国に渡り、1994年、コロンビア大学で法学修士号を取得。

ニューヨークの法律事務所で勤務していたが、グルジア共和国に戻り、政界入りをはたしていた。

【3】2004年12月 ウクライナ・オレンジ革命

2004年の大統領選挙は、ロシアとの関係を重要視する与党代表で首相のヤヌコーヴィチと、ヨーロッパへの帰属を唱える野党代表で前首相(当時)のユシチェンコの一騎打ちとなった。   

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         (ヤヌコーヴィチ)

2004年11月の開票の結果、大統領選挙におけるヤヌコーヴィチの当選が発表されると、その直後から選挙で不正があったとの抗議運動が活発化。

再投票の結果、 ユシチェンコが大統領選に当選。

なおユシチェンコは、2004年9月に顔が痘痕だらけとなった。同年12月、ウィーンの病院長が容ぼうの激変は「ダイオキシン中毒が原因」 との診断結果を発表。

これを受け、欧米メディアは、「(欧米志向の)ユシチェンコ氏が選挙前に毒殺されかかっていた」との見方を報じた。

一方で、(1)ダイオキシンで人を殺害するためには、大量の投与が必要、(2)長期間にわたり体内に残るため、証拠として容易に検出されることから、暗殺の手段としては「最悪」であるとして、暗殺未遂説に対する疑問も報じられた。

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          (ユシチェンコ)

2005年1月、ユシチェンコが大統領に就任。

オレンジ革命の盟友ティモシェンコを首相に任命。

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      (ティモシェンコ)

しかし政権内部に亀裂が生じ、2005年9月、ティモシェンコは首相を解任される(その後、2007年の議会選挙で票を伸ばして首相に返り咲く)。

【4】2010年のウクライナ大統領選挙

第1回目の投票でユシチェンコは、ヤヌコーヴィチ、ティモシェンコらに差をつけられ5位に終わり、決選投票にも残れず敗北。

決選投票はヤヌコーヴィチ、ティモシェンコの両候補の間で行われ、ヤヌコーヴィチ(親露)が勝利し、大統領に就任。

【5】2011年のティモシェンコ逮捕

ティモシェンコは2010年12月、首相時代の2009年に温室効果ガスの排出取引で日本などから得た金を年金支払いの穴埋めに流用していたとして起訴される。

また 2011年8月、ロシアとのガス契約に関する職権乱用事件を巡り、審理妨害の疑いで逮捕された。

2011年10月、キエフの地区裁判所は職権乱用を認定、禁錮7年と賠償を命ずる判決を出した。

2013年1月、ウクライナ最高検は、殺人罪で起訴。

なお、2014年2月、ヤヌコーヴィチ大統領解任後、ティモシェンコは釈放された。

【6】2013年の欧州連合との調印見送りと2014年の騒乱

2013年11月、ヤヌコーヴィチ政権は欧州連合との政治・貿易協定の調印を見送り。

親欧米派などによる反政府運動が勃発。

ソチオリンピック開催中の2014年2月、反政府勢力と政府治安部隊との衝突などで多数の死者が発生。

2月22日に最高議会はヤヌコーヴィチの大統領解任と大統領選挙の繰り上げ実施を決議するに至り、ヤヌコーヴィチはロシアに逃亡。

トゥルチノフ大統領代行とヤツェニュク首相による親欧米派の新政権が発足。

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         (トゥルチノフ)

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          (ヤツェニュク)

親欧米派の暴力的な示威行為で親露派のヤヌコーヴィッチ政権が崩壊させられたことを受けて、3月1日、ロシア上院はクリミアへの軍事介入を承認。

3月11日、クリミア自治共和国最高会議(議会)とセヴァストポリ市議会はクリミア独立宣言を採択。

その後、ウクライナ東部の主にロシア語が主流として使われている地域、特にドネツィク州、ハルキウ州、ルハーンシク州、オデッサ州においても、反暫定政権派と暫定政権側との間で騒乱が発生している。

【7】一連の動きをどう見るか

以上の動きをおさえたうえで、先日ご紹介した馬淵さんのインタビュー記事(『こちら』)や雑誌への投稿記事などをご覧になって頂くと理解が深まるかと思います。

ウクライナ問題を「欧米」対「ロシア」、あるいは「グローバリズム」対「ナショナリズム」といった視点で捉えると、いったいこの問題は「どこで決着するのか」といった懸念が生じてきます。

馬淵さんの言うように背景に「ナショナリズムの陣頭に立つプーチン潰し」の狙いがあるとすると、この問題はこれから先もくすぶり続けるようにも思われます。

なお昨日の朝日新聞にジェフリー・サックスへのインタビュー記事が載っていました。

1991年のソ連崩壊後のロシアの資本主義化や新しい国づくりに、ロシア政府の経済顧問として関与したサックス教授は以下のように発言。

『たしかに私はロシアを支援すべきだと考え、国家再建に関わりました。

ところがその困難な時代のロシアを、米国はじめ西側は十分に支援しなかった。

これがロシアの西側への不信感を生んだのです。

90年代、ロシアは経済的に追い詰められていました。

インフレに苦しみ、外貨もなかった。

私は負債の支払い猶予や金融支援を米国政府などに提案しましたが、受け入れられませんでした。

理由はよくわかりませんが、敵対視していたことや自国の財政負担が大きいこと、大統領選挙への影響などを考えた結果でしょう。

第1次大戦後、戦勝国は敗戦国のドイツに多額の賠償を求め、厳しくあたりました。

経済学者のケインズは、勝者が敗者を痛めつけたら、将来さらに深刻な政治問題に発展するだろうと警告したのですが、残念ながらそれは(第2次大戦という形で)現実化した。

言いたくないのですが、米国が当時のロシアを支援しなかったのは間違いでした。

これが米ロの溝を深めてしまいました。

ですから、もし現在のロシアの『製造者責任』があるとしたら、当時のブッシュ大統領でありクリントン大統領です。

西側がもっと賢明な対応をしていたら、現在のような関係にはなっていなかったでしょう』

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2014年5月17日 (土)

東京証券取引所「東証アカデミー」

昨晩は東京証券取引所「東証アカデミー」で講演しました。

連休中につくった56枚のスライドを使って説明。

45枚目のスライドはこんな感じです。

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この『もっとも危険そうに見える運用方法が一番安全』という言葉はフィリップ・フィッシャーの言葉。

Common Stocks and Uncommon Profits (最新版)の104頁です。

『たとえどんなに優良な企業の会社であっても、株価が4~5割減になることはあり得る(しかし長くは続かない)』もフィリップ・フィッシャー(上掲書102頁)。

      Wb

『バークシャーの株が5割も下落したことがこれまで4回もあった』というバフェットの発言は今年3月14日の『CNBC Squawk Box』から。

『こちら』でバフェットの発言を聞くことが出来ます(ビデオは約15分)。

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2014年5月16日 (金)

ウクライナ

元駐ウクライナ大使の馬淵睦夫さんのお話をお聞きしました。

「少人数の会なので今日はかなり突っ込んだお話をします」と言って話し始めた馬淵さん。

いったいどこまで、このブログでご紹介できるのか、正直自信ありません。

ということで、ここでは、馬淵さんが自ら筆をとって書かれた 「正論」平成26年5月号 の文章(『「ウクライナ」で怯むな!対露外交を深化させる世界史的意義』)をご紹介するに留めておきます。

ウクライナ問題を見るうえで「ドイツという国の存在」もポイントとなるといった指摘をはじめ、いくつかの重要な点が論じられている文章(156~164頁に記載)です。

ご関心のある方はぜひお読みになってみてください。

なおネット上では、片岡秀太郎さんが聞き手となって行われた馬淵睦夫さんへのインタビュー記事を 『こちら』 で読むことが出来ます。

* * * * * *

話は変わりますが、昨晩の会にはウクライナのワイン「マサンドラ」が提供されました。

               W0172

私が飲んだのは、マサンドラ アルシタ (コニカ瓶)だったと思いますが、美味しいワインでした。

ネットで簡単に購入できるようです(『こちら』)。

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ところで、私は仕事でモスクワには何度か行ったことが ありますが、ウクライナには行ったことがありません。

いちばん近くに行ったのは、ウクライナと国境を接するベラルーシまで。

このときはモスクワからバスで、スモレンスク→ミンスク→ブレストと走りました(上の赤線)。

壮大な草原と広い空、そして空に浮かぶ白い雲が印象的でした。

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2014年5月11日 (日)

「30年後、40年後」の日本

増田寛也元総務大臣を座長とする「日本創成会議・人口減少問題検討分科会」が発表した試算 (『こちら』なお「要約版」は『こちら』) が話題となっています。

全国1800市区町村の49.8%に当たる896自治体で、子どもを産む人の大多数を占める「20〜39歳の女性人口」が2010年からの30年間で5割以上減るとの内容。

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日本創成会議では、これら896自治体を「消滅可能性都市」と位置付け、有効な手を打たなければ将来消える可能性があると警鐘を鳴らしています。

この中には東京23区で唯一豊島区が入っていることから、「豊島区は池袋を擁するのにおかしい」といった批判が寄せられているのだとか(『こちら』)…。

『こちら』に創成会議発表の詳しいデータが載っていますが、試算によると若年女性変化率が高いのは、東京23区では豊島区(▲50.8%)に続いて、足立区(▲44.6%)、杉並区(▲43.5%)など。

* * * * * *

ところで例えば40年後の世界を想定するとき、確実に分かることがあります。

それは40年後の40歳の人口は、(移民が入ってくることを想定しなければ)今年1年間で生まれてくる赤ん坊の数を上回ることはできないということです。

日本創成会議の試算は、地方から大都市へといった人口動態の変化にも着目したことから、「豊島区が入っているのはおかしい」といった突っ込みどころもあるのかもしれません。

しかし日本全体で見れば人口の減少と高齢化がかなりの確度で分かってきます。

日本創成会議の試算でも使われた国立社会保障・人口問題研究所将来人口推計データで、2055年(今から約40年後)の日本を見てみましょう。

日本の人口は現在の127百万人に比して28%も減少して、92百万人。

とくに18歳~34歳の人口は、23,603千人→12,981人とほぼ半減します(注:現在の人口は総務省統計局のデータ)。

このときの日本は同時に、65歳以上の人たちが国の人口の39.4%を占めるという超高齢化社会になっています(18歳~34歳の人口は全体の14%にすぎない)。

国立社会保障・人口問題研究所将来人口推計データで、もう少し将来までストレッチしてみてみましょう。

今から96年後の2110年。

国の人口は43百万人(現在の約3分の1)。

65歳以上が41.3%を占め、18歳~34歳の人口は、現在の4分の1の5.9百万人しかいないという社会が出現します(『こちら』の参考表1-1および1-3)。

今年生まれてくる赤ん坊はこういった社会を見ることになるかもしれないのです。

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2014年5月 4日 (日)

スライド作り

連休中ということで、来週金曜日の講演(『こちら』)のための、パワーポイント用スライドを作っています。

少なくとも60枚程度のスライドは作りたいと思って始めましたが、出来上がったのはやっと20枚といったところ。

道半ばというよりも、道3分の1といったところでしょうか。

ここではそのうちの7枚ほど(主に冒頭の部分)をお目にかけます(クリックすると3倍に大きくなります)。

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2014年5月 2日 (金)

ラジオNIKKEI 「投資知識研究所」

計算すると13年ぶりになるのですが、昨日はメリルリンチに勤務していた時にご一緒した(といっても部署は違ったのですが)正木彰夫さんのお招きで、ラジオNIKEEI の番組「櫻井英明の投資知識研究所」にゲストとして出演しました。

正木さんは現在「NPO法人 日本IFA協会」で副理事長をされています。

ここのホームページ(『こちら』)を覘くと、「社会の富は誰が創る 企業はその活動を通じて社会的富を創造している。 投資はその活動に資金供給(投資)という形で参加することだ 常にその原点を忘れるな」と、初代理事長三原淳雄さんの遺訓が掲げられています。

さてラジオNIKEEI のこの番組は、毎週木曜日15:10からスタート。

番組前半は投資知識研究所長の櫻井英明さん、会長の正木さん、番組プロデューサーの福井昇さん、フリーアナウンサーの加藤満理子さんの4人による楽しい(?)株式談義。

昨日私が参加したのは番組後半のゲストコーナーです。

番組のウェブサイトは『こちら』

すでに加藤さん執筆によるブログで昨日の番組の模様を記して頂いております。

番組ウェブサイト右欄の『今すぐ聴く!オンデマンド』の項の『5月1日』のところをクリックして頂ければ番組を聞くことが出来ます。

下図のようなメモリが出てきますが、ゲストコーナーは27分50秒あたりからスタートします。Memori

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2014年5月 1日 (木)

予想通りの緩和縮小

イエレン議長になって2度目のFOMC。

市場予想通りのペースでの緩和縮小を決め、FRB の Statement の 「there is sufficient underlying strength in the broader economy…」といった表現(全文は『こちら』)にも助けられ、米国ダウ平均株価は史上最高値を達成(終値:1万6580.84ドル)。

QE1~QE3、そしてQE3の縮小ペースと、今後予想されるペースを下記にまとめておきましょう。

【QE1】

実施総額 1兆7500億ドル

実施期間 09年3月~10年3月 (約1年)

【QE2】

実施総額 8500~9000億ドル (国債追加買入分は6000億ドル)

実施期間 10年11月~11年6月 (約8ヶ月)

【QE3】

実施総額 月額400億ドルのMBS(国債などを含めトータルで月額850億ドル)×?ヶ月   

実施期間 12年9月~

【QE3の縮小ペース】

(これまで)

FOMC月日/縮小スタート月/金額(億ドル)の順 

13年12月18日 14年1月 850→750

14年1月29日  14年2月 750→650

14年3月19日  14年4月 650→550

昨日       14年5月 550→450

(今後の予想)

14年6月18日  14年7月 450→350

14年7月30日  14年8月 350→250

14年9月17日  14年10月 250→150

14年10月29日  14年11月 150→50~0

14年12月17日  15年1月 50~0→0

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