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2015年2月22日 (日)

研究者として成功する条件はVW

今から40年以上も前。

早稲田大学在学中(1973.4~1977.3)の私は当時、日本証券奨学財団(1973年7月設立)から奨学金を得て、なんとか大学を卒業することが出来ました。

この奨学金は、

①奨学生の専攻分野を制約しない

②奨学金は給付され、返済の義務がない

③奨学生の学業終了後の進路は自由である

ことを特徴としていました。

財団の方々と奨学生との交流の場もありました。

初代理事長の瀬川美能留さん(元野村證券社長;1906~1991)にお会いした際には、

「社会に出たらこういった点に注意した方がいい」

といった助言を頂きました。

瀬川さんのお話は当時学生だった私にはひじょうに印象深く、その内容は今でも覚えています。

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  (上の写真は東洋経済新報社『私の証券昭和史』より) 

 * * * * *

さて、一昨日。財団創立40周年記念講演会がありました。

講演者は山中伸弥教授。

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以下は山中先生のお話(要旨のみ)です。(講演内容をメモ書きしたものから再現していますので間違いなどあるかもしれません。また講演は1時間以上にも及ぶものでしたが、再現できたのはほんの一部です。)。

* * * * *

『私の父は東大阪で町工場をしていました。私は昭和56年、神戸大学に進み、下宿をしていました。

ちょうどその頃、父が病気になり、工場の行く末も分からなくなり、このまま下宿を続けることができるかどうかさえ分からなくなりました。

その時、大学から日本証券奨学財団の奨学金の話がありました。 

そして、5年間、奨学金を頂き、医学部を卒業することが出来ました。奨学金のお蔭でスポーツと勉学に集中することが出来ました(どちらかと言うとスポーツ、ラグビーの方に集中しました)。 

大学卒業後、臨床医(整形外科医)になりましたが、その後、大阪市立大学に入り直し、基礎医学の道に進みました。 

ポスドクで米国のグラッドストーン研究所へ行き、ロバート・メイリー所長から教わった言葉が、「研究者として成功する秘訣はVWだ」というもの。 

メイリー所長はVW(フォルクスワーゲン)に乗っていましたが、この場合のVWは、ビジョン(Vision)とハードワーク(Hard Work)』

  Rober_mahley

 (【岩崎注】上の写真は山中教授ご夫妻とメイリー博士ご夫妻。メイリー博士が寄稿している文章から掲載させて頂いたものですが、メイリー博士のこの文章は価値ある示唆に溢れるものです:http://www.anakarder.com/sayilar/90/buyuk/204-206.pdf )。

* * * * *

『日本人はハードワークに関してはどの国の人にも負けないと思いますが、ビジョンはどうなのでしょうか・・・。大学でしかるべきポストを得たいなどというのはビジョンではありません。

私は基礎医学に進もうと思った「初心」(臨床医としては救えない患者さんを救いたい)を思い出し、これまでのキャリアで常に自分のビジョンを確認するようにしてきました。

ところで私は米国で研究をしていましたが、妻と2人の娘が先に日本に帰国しました。

妻は子どもの教育を考え、「日本人として育てたい」と考えたからです。

私も賛成はしましたが、家族がいなくなり一人になると結構大変でした。

そこで私も日本学術振興会特別研究員として帰国しました。 

しかし日本ではアメリカと違って、例えば実験用のネズミの管理もすべて自分で行わなくてはならず、研究環境が全く違います。 

PADというのは私が使う造語ですが、私はPost America Depresssion (アメリカ帰国後うつ病)に襲われました』

* * * * * 

『しかし私は自分の人生を振り返ってみて、「辛いときには救いの手がやってくる」ということに恵まれていたと思います。 

「辛いときの救いの手」というのは、これまで3つあります。 

最初は神戸大学の学生のときで、奨学金に救われました。 

2つ目と3つ目はともにPADのときです。 

2つ目の方は、1998年ですが、Dr. James Thomson がヒトES細胞の樹立に成功しました。

(ただまだこのときの方法は不妊クリニックに訪れたカップルの体外受精卵のうち出産に使われなかった受精卵をカップルの同意を得て使うという方法でした。ブッシュ大統領やローマ法王は倫理的もしくは宗教的理由から反対の立場でした)。

けれどもヒトES細胞の樹立の知らせによって、私は、私のやろうとしていることに道が開けていくような気がしてきました。 

3つ目の救いの手は1999年12月、奈良先端科学技術大学院大学で独立した研究室を持てるようになったこと。37歳でした。

高橋君、海保さん、徳沢さんの3人の大学院生が翌年4月に研究室に入ってくれました。

この3人をはじめ技術員の一阪さんなど、何人かの人が先ほどのビジョンのもとにハードワークをしてくれました。

そして、彼らの頑張りでできてしまったのがiPS細胞です』

* * * * * 

『iPS細胞は、患者さんの皮膚の細胞に4つの遺伝子を送り込むことによって出来ました。 

ハーバードなど他の大学でもiPS細胞をつくろうと頑張っていましたが、彼らは遺伝子がひとつと考え、いろいろな実験を繰り返していました。 

我々が先を行くことが出来たのは、遺伝子はひとつではなく複数だろうなと考えていたからです。 

iPS細胞からつくった心臓の細胞は拍動します。これを見ると感動します。 

さて、iPS細胞はこれから先、①再生医療と②創薬の分野で、大きな力を発揮します。 

昨年9月には理研CDBの高橋正代チームリーダーが加齢黄斑変性の治療にiPS細胞を使った移植手術を世界で初めて実施しました。 

パーキンソン病の治療にiPS細胞を使うことも高橋淳教授が中心となって進めています。 

このように再生医療の面では日本が世界のトップを走っていると言っていいでしょう。 

創薬の面でもiPS細胞を使うことで病態を再現できます。

妻木範行教授はスタチンが軟骨無形成症(Normal Achondroplasia)の病態を回復することを見出しています』

* * * *

なお山中教授がノーベル賞を取る前になりますが、2010年の講演内容が『こちら』にアップされています。1時間20分の動画です。

そもそもES細胞とは何か、iPS細胞とは何かについて、山中教授が分かりやすく説明してくれています。

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