2017年3月 1日 (水)

極度の心配性の人間だけが変化に適応できる

これはインテルのアンディ・グローブの言葉です。

1996年に彼が著した本のタイトル 『Only the Paranoid Survive』 を訳したものなのですが、

日本では『パラノイアだけが生き残れる』との言葉で広まっているかもしれません。

             Intel_3   

一昨日のテレビ (『こちら』) で、

「企業は高いマーケットシェアと利益率を取っていれば安心なのか」

といった趣旨の質問がありました。

私は「そんなことはない」と答え、それを説明する為に、思わず頭に浮かんだのが、このアンディ・グローブの言葉でした。

パラノイア(偏執病)とも形容しうるような極度の心配性。

これをもってしてインテルの経営にあたっていたグローブのことを思うにつけ、

それとは対照的に、例えば東芝の経営陣は、

何であっさりと安直に米国のCB&Iストーン・アンド・ウェブスター社(S&W)を買収してしまったのか、

不思議でなりません。

アンディ・グローブはスタンフォードのビジネススクールで教鞭をとることもしていました(『こちら』 および 『こちら』)。

彼から直接教えを受けたという日本人も多いと思います。

インテルの執行役員だった板越正彦氏はネット上に 『こんな記事』 を残しています。

早いものでアンディ・グローブが亡くなってからほぼ1年になります。

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2016年1月 3日 (日)

自由への逃避

元旦0時から14時過ぎまでBSで一挙に再放送されていた『映像の世紀』

今から20年以上前に放映された時も見たのですが、今回も録画して少しずつ見ました。

【第4集 ヒトラーの野望】

ヒトラーは大規模な公共事業を行い、600万人の失業者を、たちまち50万人に激減させました。

(以下、ドイツの元社会民主党員の手記より)

『人々はナチスに対し、全く無批判でした。

「精神の自由」など大多数の人々にとっては、価値のある概念では全くありませんでした。

ナチスに疑いを差し挟むと、次のように反論されました。

「ヒトラーが成し遂げたことをぜひ見て欲しい。

我々は今ではまた、以前と同じように大したものになっているのだから」

ヒトラーが失業問題を解決したことこそ、私達にとって重要な点だったのです』

* * * *

【第8集「恐怖の中の平和」】では、ネバダ核実験場で行われた原爆を使った軍事演習の場面が出てきます。

(原爆演習参加した兵士の回想)

『爆発の瞬間、辺りは真空状態の様に感じられた。

全てが死に絶えたように静まり返った。

そして猛烈に明るい光。

僕はとっさに手で目を覆った。

だがまるでX線を浴びた様に指の骨が白く透けて見えた。

・・・原爆を知るまで僕は健康的で無邪気な17歳の若者だった。

しかし爆発の瞬間、僕は悪魔の存在を想い以前の自分では無くなってしまった。

この世は死の世界と幸福の世界からできている。

それらは薄い膜で隔てられている。

僕はその膜を突き破り、死の世界を覗いてしまったのだ。

僕達は爆発の後前進し、強い放射能の中に入っていった。

この演習からまもなくして、僕の髪は抜け始めた』

* * * *

アメリカの核実験に参加した兵士は25~50万人。

現在もその多くは被ばくによる健康問題を抱えていると言います。

* * * *

【第9集「ベトナムの衝撃 アメリカ社会が揺らぎ始めた」】における米軍兵士の回想。

『不注意に頭を上げれば弾がひゅっと耳を掠める。

だけど、敵が見えない。

奴らはどこかにいて俺たちを見ている。

奴らは俺たちがどこに行くのかさえもちゃんとわかっている。

俺たちは常に敵の仕掛けた罠で犠牲を払っていたんだ。

作戦に出るときは長い列になって歩いていくんだ。

自分の足が踏もうとする地面を見つめながら、今日は誰が罠にかかるだろうか、やられるのは誰だろう、と思っている』

地雷を探すアメリカ兵の回想。

『誰が敵で、誰が味方なのか、見分けられない。

みんな同じように見えた。

着る物も同じだった。

みんなベトナム人だ。

その中にベトコンがいた。

村人は地雷が埋めてあることを知っていても、注意もしてくれない。

地雷を埋めたのは彼ら自身だったかもしれない。

フットボールの試合と違って、敵と味方が区別出来ないのだ。

周囲は敵だらけだった』

* * * *

映像を際立たせているのは、加古隆さんの音楽と山根基世さんのナレーション。

『こちら』 の予告動画(2分間)で音楽やナレーションを聞くことが出来ます)

番組を見逃された方は、『こちら』 でDVDやブルーレイを入手することが出来ます。

NHKは数多くの秀逸な番組を作ってきましたが、なかでも 『映像の世紀』 は群を抜いているように思います。

 

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2016年1月 1日 (金)

新年のご挨拶 (Season's Greetings)

明後日発売の日経ヴェリタス紙に「Money Never Sleeps」が掲載されます。

早いもので 9回を数えることとなりました。

今回は失敗を許容するどころか歓迎するシリコンバレーのカルチャーについて書いています。

実際、シリコンバレーで成功した人の話を聞くと、誰もがこう強調します。

「失敗を恐れるな。早く失敗することが成功につながる」

曹洞宗無量寺の青山俊董老師によれば、日本でも昔から

「失敗が人間をダメにするのではなく、失敗にこだわる心が人間をダメにする」

と言われてきたと言います。

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青山老師は「身心の柔軟なうちに上手に落ちる稽古をするべきだ」とも説いています。

3度の五輪で金メダルを取った柔道の野村選手も「若い頃の挫折は心を強くする」、「自分で自分の限界を決めつけるな」と説きます(野村忠弘著『戦う理由』)。

新しい年を迎え、心も新たにチャレンジしてみようと思われる方は是非、明後日の日経ヴェリタスをご覧になってみてください。

あるいは、アマゾンや楽天で青山俊董老師や野村忠弘選手の本を購入してみるのもお勧め。

青山老師は何冊も本を出されていますが、「失敗が人間をダメにするのではなく、失敗にこだわる心が人間をダメにする」の話は、『一度きりの人生だから―もう一人の私への旅』 に出てきます。

*  *  *  *  *

ところで今回9回を迎える「Money Never Sleeps」。

旧年を振り返る意味合いも兼ねて、これまでの登場人物(それぞれの回の主な登場人物のみ)をあげてみましょう。

そもそもこの連載を始めるにあたって、私は世界各地の人たちを実名で登場させたいと考えました。

しかし実名で登場させるには、多くの場合、事前に登場人物になる人たちの許可を得る必要があります。

時にはドラフトを書いた後、英語に訳して、これを海外にメールで送って・・といった作業が必要になり、想像以上にたいへんでした。

記事を書いて送ったところ、「やはり載せるのは止めて欲しい」と直前になって断られたこともありました。

第1回 14年12月 日本のベンチャー企業で働くフランス人エンジニアのマルタン青年

第2回 15年2月  中東の富豪ハビブと伊東映仁元日本たばこ産業常務

第3回 15年3月  元駐日アフガニスタン大使の息子のマスード(米ナスダック勤務)

第4回 15年5月  グレブ・シェスタコフとの面談(at キプロス)

第5回 15年6月  デイビッド・ワインバーグ(米国)

第6回 15年8月  冨永重厚笹川日仏財団理事長(在パリ)

第7回 15年10月 谷口和繁米州開発銀行アジア担当顧問(在ワシントンDC)

第8回 15年11月 スコット・マクネリー(米国)

第9回 16年1月  ビノッド・コースラ(米国)、ガース・サローナー(米国)

下の写真はキプロスで撮ったグレブ(左側)の写真。

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キプロスは古代遺跡も多く風光明媚なところなので、いつかまたゆっくりと訪れたい場所です。

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2015年5月31日 (日)

三島由紀夫「日本は何もない無のるつぼ」

三島由紀夫が市ヶ谷で自決する3ヶ月ほど前に残した言葉。

「日本には何もないんだ。

日本にはオリジナルなものは何もないんだ。

だけど、その何一つないなかに、外からいろんなものを吸い込んで、吸い込んだ時点とはまったく別なものに変えて、はきだす。

その『何もない、無のるつぼ』の変成力こそが日本なんだ」

* * * * *

以前にこのブログで『日仏シンポジウム「ルーツとルーツの対話」』についてご紹介しました(『こちら』)。

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全部で4日間にわたる、このときのプログラムの全内容がネット上にアップされています。

そしてこのシンポジウムに参加した日本側12名、フランス側12名の方たちのスピーチを動画で見ることが出来ます(『こちら』です。赤字で記された、それぞれのテーマのところをクリックすると、各スピーカーのスピーチを動画で見ることが出来ます。日本語、フランス語を選択することが可能です)。

* * * * *

上段で記した三島由紀夫の言葉は、高橋睦郎さんがこのシンポジウムで語ったもの。

高橋さんは、「これは三島が残した一種の遺言であると理解した」とのことです。

高橋さんのこのスピーチは上記シンポジウムのサイトから「芸術と宗教」をクリックすることでたどり着くことが出来ます。

あるいは『こちら』をクリックして頂ければ直接行きつけます。

シンポジウムの動画記録には、高橋さんのほかにもAndré VAUCHEZ を初めとして、そうそうたるスピーカーが並んでいます。

 

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2014年8月10日 (日)

困難なことをしていないとしたら、あなたは時間を浪費している

ハイディ・ロイゼンは1983年のスタンフォードMBA卒(私より3年後輩になります)。1996-97年にかけてアップル社の副社長(Vice President)を務めました。

『1989年の3月1日(注:彼女がアップルに勤める前)に、

スティーブ・ジョブズが交渉のために電話してきました。

実は、私は父が出張先のパリで急死したとの連絡をその前の晩に受けたところだったのですが、電話を取るとスティーブだったので、電話に出ました。

父が亡くなったことをスティーブに話すと、「何であなたはいま働いているんだ。すぐに家に帰った方がいい。私もすぐに行くよ」と言ってくれました。

実際、スティーブは家に来てくれ、私が2時間泣く間、私の隣で床に座っていてくれました。

On Mar. 1, 1989 Steve called to talk to me about a negotiation, and as it was Steve I took the call, even though I had just learned the night before that my father had died suddenly while on a business trip in Paris.

When I told Steve what had happened, he said, ‘Then why are you working? You need to go home. I’ll be right over.’

Jobs came to her house and sat on the floor beside her while she sobbed for two hours.』

以上はForbes誌(2012年10月22日号)の

「スティーブ・ジョブズの伝えられて来なかった話  “Untold Stories About Steve Jobs”」の一節(『こちら』)。

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ハイディ・ロイゼンは、今ではベンチャー・キャピタリストとして活躍する一方、スタンフォード大学のエンジニアリング・デパートメント(工学部)で教えています(『こちら』)。

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      (Photo from the Website of Heidi Roizen)

彼女の講義はスタンフォードのウェブサイトで動画として見ることが出来ます(『こちら』)し、

幾つかの記事にもなっています(とくに『私がスティーブ・ジョブズと交渉して学んだこと』のブログ記事(『こちら』)は多くの人に読まれています)。

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その彼女が語る『人生とキャリアを充実させる8カ条』が和訳されてLifehacker 誌に掲載されました。

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第1条は:困難なことをしていないとしたら、あなたは時間を浪費している。

以下は、『こちら』でどうぞ。

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2014年2月24日 (月)

村上太胤薬師寺副住職のお話

先週の勉啓塾は村上太胤(むらかみたいいん)薬師寺副住職をお招きして、「歴史に学ぶ~日本人の心~」と題して講演頂きました。

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以下は勉啓塾幹事の方より送られてきた案内文より:

『みなさまご存知のように、薬師寺は天武天皇により680年に発願され、文武天皇の時代になって飛鳥の地に堂宇が完成した、日本を代表する名刹で、ユネスコ世界遺産にも登録されています。

法相宗の大本山であり、今もなお、学問寺として日々僧たちが研鑽と修行を重ねています。

村上太胤師は昭和22年に生まれ、龍谷大学文学部仏教学科を卒業後、今日までの長きにわたり、薬師寺で僧形生活をおくられました。

現在、副住職として、薬師寺の重責を担っておられます。

仏教をわかりやすく説いた数々の著作があり、現代社会の中で果たす仏教の役割について深い考えをお持ちです』

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「薬師寺は学問寺であり檀家や墓がありません」と話し始められた村上太胤副住職のお話は大変興味深く、2時間の講演時間はあっという間に過ぎてしまいました。

私は必死でメモを取りました。

しかしこのメモを使うよりも、村上太胤副住職が著された『かたよらない こだわらない とらわれない 般若心経の力』と題する本に従って、講演のエッセンスを記してみたいと思います(青字は引用箇所でカッコ内は引用頁)。

(1)仏教の伝来

「飛鳥時代に仏教がはじめて日本に入ってきたとき、受け入れるかどうかで大論争になりました。

当時の日本人は、朝鮮や中国の仏さまを「仏」とはいわずに「蕃神」(ばんしん)と呼び、神さまの一部だという解釈をしました。

それまでの日本の神さまというのは姿がなかったのに、そこへ突然、姿のある仏さまが現れたわけですから、すごい存在として受けとめたのではないでしょうか。

蘇我氏は外国ではこの蕃神を祀っているのだということで、新しいものを受け入れようとしました。

日本古来の神道を務めていた中臣氏や物部氏は受け入れないほうがいいという立場でした。

けっきょく蘇我氏が仏教を祀るのですが、その後、疫病が流行すると、仏さまを祀った祟りではないかとお寺が焼かれたり仏像が捨てられたりしたそうです」(111~112頁)

(2)山が神さま

「日本人は昔から森、岩、木といった自然界の万物に神聖なものを感じ、畏敬の念を抱いてきました。

森羅万象です。

日本人は農耕民族ですから山や森や川、水に対しても木に対しても、神を感じながら生きてきたのです。

「大和」というのは大国主命と天照大神の荒御魂、和御魂が大きく和するところという意味だそうです。

香具山、畝傍山、耳成山の大和三山や三輪山、御蓋山は神さまの山として崇められてきました」(103~104頁)

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(3)薬師寺と伊勢神宮

「昔、薬師寺や伊勢神宮が造られた頃は、神と仏は当たり前のようにいっしょに祀られていたのです。

天武天皇と持統天皇の時代に、薬師寺が造られ、天照大神が伊勢神宮に祀られました。

この時代に伊勢神宮が日本の神さまの根本・中心であるとされたわけですが、こうした日本の精神の形、宗教の骨格をつくられたのが天武天皇と持統天皇です。

天武天皇は自ら出家されて薬師寺を造られたのですが、それを引き継いだのが持統天皇です」(100頁)

「天武天皇亡き後、皇后であった持統天皇が即位され、その遺志を引き継いで690年には伊勢神宮の遷宮を初めておこなっています。

その7年後、697年には薬師寺の薬師如来さまが完成しています。

夫の遺志を継いでお伊勢さまと薬師寺を完成させるのが持統天皇の人生の大きなテーマでした。

それはまたおふたりの、神と仏をともにお祀りする、という大きな願いだったのだと思います」(101~102頁)

「精神的な日本人とは、神さま仏さまを敬うことにより、心の支えとなるものを持っている人、という意味です。

神仏習合・神仏和合といわれるように、この時代から神さまも仏さまも私たち日本人の心に宿るようになったのかもしれません」(102頁)

(4)「和をもって貴しと為す」として神道と仏教との調和をはかろうとした聖徳太子

「日本に伝わった仏教を聖徳太子が広められたわかですが、それまであった神さまと仏さまは仲よく結ばれました。

薬師寺では金堂の上に注連縄が飾ってありますし、今でも門前の八幡さまは薬師寺が管理しています。

東大寺のお水取りでは今も神事が行われます。

奈良ではまず神さまを大切にします。

薬師寺は法相宗という宗派ですが、法相宗の守護神が春日大社です。

かつては神社のなかに寺があり、寺のなかに神社がありました。

ですから、奈良では今でも神社とお寺の人たちがいっしょに集まって仲よく勉強会をしています。

今のように神さまと仏さまが別になったのは明治維新で神仏分離令が出され、廃仏毀釈で多くの仏教施設が壊されてからです。

興福寺などは藤原氏のお寺で大きかったのですが、敷地も没収され、大半は壊されてしまいました。

奈良の神社のお堂のほとんども壊されてしまいました。

そうやって明治政府の都合で神仏が強制的に分離されましたが、奈良のお寺では神仏習合のまま、今日まで千何百年も儀式や交流が続いています。

それは神や仏に見守られているという本来の日本人の心、精神文化によるのではないかと思います。

奈良や京都では神社とお寺を順番に霊場巡りするという神仏霊場会というのがあり、お伊勢さまからはじまり順番にお参りします」(98~99頁)

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2013年6月23日 (日)

How much is enough?

「How much is enough? (いったい幾らお金を儲ければ気が済むんだい?)」

これは映画「ウォール街」(1987年)で、若き証券マン・バドが億万長者ゴードンに投げかける言葉。

「When does it all end? 

How many yachts can you water-ski behind? 

How much is enogh?」

とセリフが続きます。

「いったい終点があるのか(行き着く先は何なんだ) 

何隻のヨットを従えて水上スキーをするというんだ 

いったい幾らカネがあれば気が済むんだ」

とでも訳すのでしょうか。

How Much is Enough?: Money and the Good Life

さて話は変わりますが、この「How much is enough?」をタイトルにした本が、スキデルスキー親子が書いた上記の本(『こちら』)。

父親のロバート・スキデルスキーは英国の経済学者、歴史学者ですが、20年間を費やしてケインズの伝記を書いたことでも知られています(この伝記はWolfson History Prize、Duff Cooper Prize などを受賞)。

『こちら』にこの本(How much is enough?)に関するニューヨークタイムスのBook Review のリンクを貼っておきますので、ご関心のある方はご覧になってみてください。

スキデルスキー親子のこの本でも触れられていますが、1930年、ケインズは『Economic Possibilities for our Grandchildren(わが孫たちの経済的可能性)』と題するエッセイを著しています。

たった7頁ですが、ケインズの思考が分かって興味深いエッセイです(上記をクリックすると全文が読めます)。

ケインズはこのエッセイで、2030年には人々は週に15時間働くだけで生活水準を維持できるようになると書いていますが、はたして人々は自由な時間を潤沢に持つようになるとどういった行動を取るようになるのでしょうか。

彫刻や音楽などの芸術の道に進むのか、それとも overeat (過食)や飲酒、sleep late (寝坊)に終わってしまうのか・・・。

その昔、イギリスの貴族の「preferred leisure activities」は、hunting、gambling、seduction だった(上記NYタイムス Book Review)と言いますが・・。

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2012年11月19日 (月)

失意のどん底にある者はやがてよみがえり、得意の絶頂にある者はやがて落ちる (ホラティウス『詩論』)

投資家ウォーレン・バフェットが師と仰いだベンジャミン・グレアム。

彼の著書 『証券分析』 (デビッド・L・ドッドとの共著)の第1版(1934年版)の最初に出てくる言葉が、

ホラティウス『詩論』のこの言葉です(日本語翻訳は 関本博英、増沢和美の両氏)。

『失意のどん底にある者はやがてよみがえり、得意の絶頂にある者はやがて落ちる』

                           Horatius    

                      (ホラティウス; BC 65年~BC 8年)   

英語の原文ですと、

Many shall be restored that now are fallen and many shall fall that now are in honor.

- Horace, Ars Poetica

となっていて、日本語訳の方が頭に残ります。

脱線しますが、「ホラティウスは本当にこの言葉を言ったのか」という質問がかつて米国版Yahoo! Answers に載りました(『こちら』)。

答えは Yes で、 'Ars Poetica' of 'Epistle to the Pisos' の Line 70 に

Multa renascentur quae iam cecidere, cadentque quae nunc sunt in honore vocabula 

とあるとか・・・。

* * * * * * * * * * * *

               Security_analysis

グレアムは上記の本の中で次のように述べています。

「株式市場は短期的には人気投票のように振る舞うが、長期的には体重計のように本質的なところに落ち着く

in the short term, the stock market behaves like a voting machine, but in the long term it acts like a weighing machine 」

経済学者のケインズもまた株式投資には美人投票の要素があるとの言葉を残しています(『こちら』)。

たとえ彼らの教えを頭で理解しても、現実の世界では、株式の本源的な価値を見抜く力を磨くことが必要になってきます。

さらに、短期的な人気投票の結果が是正されるのを待てるか、人気投票の結果に惑わされないかということも、投資の世界では重要になってきます。

* * * * * * * * * * * *

グレアムはこのほかにも含蓄ある多くの言葉を残しています(英語のままですみません)。

  • The investor's chief problem - and even his worst enemy - is likely to be himself.

  • Most businesses change in character and quality over the years, sometimes for the better, perhaps more often for the worse. The investor need not watch his companies' performance like a hawk; but he should give it a good, hard look from time to time.

  • Basically, price fluctuations have only one significant meaning for the true investor. They provide him with an opportunity to buy wisely when prices fall sharply and to sell wisely when they advance a great deal. At other times he will do better if he forgets about the stock market and pays attention to his dividend returns and to the operating results of his companies.

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2012年11月15日 (木)

リミッターを外せ

日本で製造販売されている自動車には、リミッターが設定されていると言います(詳しくは『こちら』)。

クルマがある速度に達した場合、指定速度以下となるまで、エンジン出力を抑えてしまうのです(ただし、最近は規制緩和によりフルスケールメーターも増えているらしい;『こちら』)。

これは自動車の話ですが、人間も自分の行動にリミッターを設定してしまうことが往々にしてあります。

どうせ駄目だろうと、やる前から諦めてしまう、あるいは本気でやらないということを我々は無意識のうちにやってしまいがちです。

前回のブログ記事で紹介した山中教授の本が痛快であり、読む人を惹きつけて已まないのは、教授が完全にリミッターを外してしまっているからです。

                           山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた

教授自身こう書いています。

『「こんなん絶対無理」と思われることが1年後には実現し、さらに1年経つと「以前はなんでできないと思ったのかわからない」となる』 本書99頁)

1998年。

当時35歳であった山中さんは、雑誌に掲載される求人広告を見ては応募する、そしてコネもないので不採用になるということを繰り返していました。

「今回も駄目だろう」と思って、ダメ元で応募したのが奈良先端科学技術大学院大学。

ここの採用面接で「ノックアウトマウスを作れますか」と聞かれ、山中さんは自信がないにもかかわらず、はったりをきかせ、後は野となれ山となれの思いで、「できます。すぐできます」と答えます。

そして採用されてしまいます。

といっても、新任の先生のもとに研究生が入ってくるとは限りません。

奈良先端大では、研究室を選ぶ権利は学生にあり、新入生120名を20ほどの研究室が奪い合うという構図になっていました。

2000年4月、新入生争奪戦が始まると、山中さんは新入生を前に「iPS細胞をつくる」とぶち上げます。

このとき山中さん(当時の肩書は助教授)は37歳。

当時の山中助教授の見立ては、これを成功させるには 20年か30年、あるいはもっと長い時間を要するかもしれないというものでした。

しかし新入生争奪戦のプレゼンでは、そうしたネガティブなことは一切言わずに、もしこれが実現できればどんなに素晴らしいかということだけを話したと言います。

その結果、3人の大学院生が入ってきます。

そしてその3人の研究者と山中さんとが一緒になってiPS細胞を作り出そうと努力に努力を重ねていくのですが、

なんと山中さんたちはたった6年でiPS細胞をつくってしまうのです。

つまりiPS細胞作製成功は山中教授が43歳の時です。

私は本書を読むまで、この人類史有数の偉業が着手以来たった6年で達成されたとは知りませんでした。

しかもiPS細胞を作り出す上で、大きな力となった3人の研究者のうちの1人、高橋さんは工学部出身。

研究開始から4年後、iPS細胞作製成功の2年前にあたる2004年。

この段階で山中教授たちは、ES細胞にとって特に大切な遺伝子をなんとか24個にまで絞り込んでいました。

24個に絞った遺伝子の中に、初期化に必要な遺伝子があるかもしれない、しかしそれをどうやって見つけるか。

このとき高橋さんは驚くべき提案をします。

『「まあ、先生、とりあえず24個いっぺんに入れてみますから」』本書 114頁)

山中教授いわく

『工学部出身の高橋君はふつうの生物学研究者にはできない発想ができたのだと思います。

実際に24個すべて入れたところ、なんとES細胞に似たものができました』本書 114頁) 

24個の中に初期化因子があることは間違いない。

しかし1個だけでないことも明らか。

24個から2個、24個から3個と選ぶ組み合わせは膨大なもので、ぜんぶ実験できない。

『そう考えあぐねていたところ、またしても高橋君が驚くべき提案をしてくれたのです。

「そんなに考えないで、1個ずつ除いていったらええんやないですか」

これを聞いたとき、「ほんまはこいつ賢いんちゃうか」と思いました』本書 114-115頁)。

* * * * * * * * *

「こんなん絶対無理」と自分で自分にリミッターを設定してしまってはいけない。

山中教授のこの本はそう我々に伝えています。

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2012年10月13日 (土)

節目

昨晩、米国から帰りました。

4日間日本を離れていただけなのですが、帰ってみるとすっかり秋らしくなっていました。

これ先、秋がいよいよ深まりやがて冬になっていく、今年もそんな季節がやってきました。

今日はちょっと個人的なことを書きます。

まだ30代の頃。

興銀にいるときに外資に転出しようかと何度か心が傾いたことがあります。

最初は1980年代の後半で興銀の審査部にいた頃です。

当時熱心に外資への道を勧める人がいたのですが、ちょうどそんな時、私は興銀の職員組合の副委員長に選ばれてしまいました。

興銀の場合、副委員長は非専従でしたので、私は審査部の仕事を続けながら1年間(1989年~90年)、組合の仕事をしました。

数千人の組合員の生活に対して責任ある立場。途中で辞めることなどできません。

「基本的にこの1年間は審査部の仕事と組合の仕事に専念しよう」と決心し、ほかのことを考えるのを止めました。

そして組合の仕事が終わってしばらくすると、副頭取から呼ばれました。

「絶対に秘密にしてほしい。君のところの上司(課長)にも知らせるな」

と言われました。

日本鉱業と共同石油が合併するというので、その仕事をサポートしてほしいとのことでした。

合併比率を算定するとか、難しい仕事でした。

それが終わると営業3部に異動になって、水俣病を起こしたチッソに対する金融支援の取りまとめに民間金融機関の代表として参画して欲しいといった話も出てきたりして、結局興銀を辞めたのはずいぶんと後になってからでした。

30代のころに描いていた自分のキャリアに対するイメージ ― 「いったん外資に出て、思いっきり働いた後、まだ40代のうちに(50歳になる前に)独立したい」 ― そんな思いはだんだんと遠くなりかけましたが、それでも(結構遅れましたが)何とか決心して外資に出ました。

そして今度はぎりぎり49歳で独立して、いまの会社(インフィニティ株式会社)を立ち上げました。

そしてそれからそろそろ10年。

10年というと、またひとつの節目なのかもしれません。

「経営コンサルタントをして、そこで上げた収益をスタートアップ企業に対するシード・インベストメントや一部アーリーステージ・インベストメントに向ける」 ― こうしたビジネスモデルで会社を立ち上げて、これまでやってきたのですが、はたしてこのままでいいのかどうか・・・。

スタートアップ企業に対する投資事業の方はこれまで10件ほどに投資してきました(平均すると1年に1件)。

しかしこれが結構難しい・・どうしてなのか、一言で言うと、投資をする「投資家」と、投資を受ける「起業家」、双方のdiscipline ということなのかもしれません。

起業家について言うと、(これは10年間の私の経験からくる感想なのですが)日本には(1)明確なビジョンに、(2)事業欲を持ち合わせた起業家はいても、これに 第3の要素たる discipline を持ち合わせた起業家はあまりいないように思えます。

スタートアップ時に私の会社が投資して、その後セカンド・ステージあたりまでは順調に行き、VCから数億円に及ぶ投資資金が入った・・・としても、その先が結構大変です。

数億円にも上る大きなお金が入ってきたことで、そのことで心のゆるみが生じ、初志貫徹とはならずに、だんだんと道がそれていってしまった起業家の方もいます。

「日本でシード・インベストメントといった仕事を事業として行うのはそもそも難しいのではないか」とアドバイスしてくれるシリコンバレーの著名なベンチャー・キャピタリストもいます(『こちら』)。

一方で私の会社の事業の半分を占める「経営コンサルタント」の仕事の方は規模の利益が働かない業種。

顧客は中堅企業から上場企業の社長さんまで様々なのですが、私を名指しで依頼してきます。つまり私としては人を雇って事業を拡大するのが難しい・・。

それと私の場合は依頼してくる会社の社長と同じレベルにまで依頼先の会社のことを(自分の問題として)悩んでしまうタイプなので、一度に引き受けることができる顧客数は多くて4社。

出来るだけ3社に絞るようにしています。

こんな形で10年近くやってきました。

これから先、投資事業の方が(10社のうち)たとえ1社でも大きく花が咲けば、もう一段、上の展開が出来るのでしょう。

しかしそうでないと、いったい自分が経営している会社は事業体としてどうなのか、自分がまだ50代のうちに何らかの方向性を付けたいと思うようになってきました。

そういった意味で、10年目をむかえることになる、これから先の1年は、難しい1年になりそうです。

目標をもって、それに向かって努力していくこと。

これは重要なことだと思いますが、人生なかなか自分の思い描いたようにはならない・・。

私の場合、30代で興銀を辞めていればまた違った人生だったと思うことはありますが、人はみないろいろなしがらみの中で生きています。

結局、その時々で可能と思われる形でしか駒を進めることができません。

それにどういったようなキャリア・パスの人生だったとしても、人の一生に成功、失敗はありません。

節目に今まで来た道を振り返ってみて、これから行く道の先を見通してみる・・

いろいろな場面がフラッシュ・バックしてきますが、「これはこれで良かったんだな」と思えてきます・・・。

次の10年が来たときにもそう思えるよう、惰性では進まずに、考えながら進んでいきたいと思います。

米国から帰る飛行機の中でそんなことを考えていました。

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