2020年3月29日 (日)

日経ヴェリタス紙に記事を連載することになりました

連載と言っても、4~5人の著者が順番に寄稿していくスタイルなので、4~5週間に1回の割合で自分の番が回ってきます。

今回の記事は、本日発売の日経ヴェリタス紙48面に載っています。

    Revnvp

(注)出版権などの権利関係に配慮し、敢えて読めないように縮小して掲載しています。

* * *

なお日経さんの方針で、同内容の記事を日経新聞電子版に一足先に載せて頂いています(一昨日すでにご案内しましたが『こちら』です)。

つまり電子版に読者登録することで無料で記事をご覧になれます(もちろん日経ヴェリタス紙をコンビニで買うという手段もあります)。

* * *

さて、次回は何を書こうか・・。

原稿を提出し終わると、すぐに次の原稿を考えるようになり、それなりにたいへんです。

マーケットがコロナで大荒れな時にピント外れな内容のものを書けば「しらける」だけですし・・・。

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2020年3月27日 (金)

日経新聞電子版

日経新聞電子版のマネーセクションに私の寄稿記事が掲載されています。

『こちら』です。

電子版のメンバーでなくとも、登録すれば無料でご覧になれます(たしか月に見れる記事数に制約があると思いますが・・)。

   Nikkei_20200327085101

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2020年3月19日 (木)

完売

マスクが相変わらず入手できない。

東京の郊外、私鉄沿線A駅の周辺にはドラッグストアが5軒もある。

駅から徒歩1分のところで古くから美容院を営むBさん。

「5軒のうち、Cというチェーン店にだけ、週2~3日、マスクが入荷されるんです。

10時開店なのですが、うちでは毎日交替で朝8時前から並ぶ。

買える日もあれば(入荷がなく)買えない日もある。

美容院なのでマスクは必需品。

お客さんに安心してもらうため、どうしても必要なんです。

2週間ほど前は8時過ぎに並んでも平気だったんですが、今では8時がやっと。

油断して列に並ぶのが遅くなると、たとえ入荷されても完売になってしまって買えないこともある」

完売と言えば、今日、週刊文春が久しぶりに完売となった。

マスクと違って、日ごろ売れないので苦労している週刊誌にしては珍しい話。

週刊文春によると、文春が完売になるのは2年半ぶりのことらしい(『こちら』の記事)。

私もコンビニを2軒ほど覘いたが、どちらの店でもすでに完売で入手できず。

夕方、渋谷の「MARUZEN&ジュンク堂書店」に本を買いに行った際に、雑誌コーナーに寄ったら、なんと最後の1冊があった。

最後の1冊を買ったのは、私です。

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2020年3月14日 (土)

コロナ・ウィルスを予言した1981年の小説

ディーン・クーンツ(Dean Koontz)と言えば、アメリカのベストセラー作家。

100以上の小説を著し、4億5千万冊以上を売り上げたと言われています(『こちら』)。

その彼が1981年に著した『The Eyes of Darkness』と題する小説がSNS上で話題になっています(海外の知人から送られてきました)。

   Dk4

以下、小説の中から抜粋(私が翻訳したものです)。

『2020年ごろ、ひじょうに激しい肺炎のような病気が地球全体に広がるだろう。

この病気は人々の肺や気管支を攻撃する。

既知の治療法ではいっさい対処できない。

病気そのものと同様に不可解なのは、この病気はすぐに蔓延して、同じようにすぐに消滅してしまうことだ。

そして10年後に再来し、またすぐに消え去る』

下記の画像は上記翻訳の原文部分。

   Dk2

まぁ、この辺までは偶然の一致なのでしょうが(それに、すぐに消滅するというのも、少々違うような・・)。

しかし、次の一節はどうでしょう(これも私が翻訳したもの)。

ちょうどその頃、リー・チェンという名の中国の科学者がアメリカに亡命してきた。

この科学者は、中国で新しく開発された生物兵器の記録を収めたフロッピーディスクを持ち込んできた。

この生物兵器は、中国にとって、ここ10年間で開発された生物兵器の中でもっとも重要かつ危険なものだった。

中国人たちは、この「しろもの」を「武漢400」と呼んでいた。

というのも、これは武漢郊外のRDNA(リボソームDNA)研究所で開発されたものだからだ。

これはこの研究所で創られた人工微生物の生育株で400番目のものだった。

「武漢400」は完璧な武器だった。

これは人間だけを苦しめる。

他の生物にはうつらない。

梅毒菌のように、人間の身体の外では1分間も生きていることはできない。

ということは、炭疽菌や他の猛毒性の微生物と違って、人間以外の物質や地域全体を永久に汚染することは出来ないということだ。

宿主である人間が死ねば、体内の「武漢400」もしばらくして滅びてしまう。

死体の体温が30度以下になった途端に滅びてしまうのだ』

下記の画像は上記翻訳の原文部分。

   Dk3

なおこの小説の邦訳版も刊行されているようですが、中国人科学者を「ソ連の科学者」と訳し、武漢400を「ゴーリキー400」と訳しているようなので、あまりお勧めできません。

 武漢ウイルス研究所は1956年に設立されたようなので、ディーン・クーンツはここからイマジネーションを膨らませ、1981年にこの小説を書いたのかもしれません。

 「1981年のディーン・クーンツのスリラー小説はコロナウィルスのアウトブレイクを予想したのか」

イギリスの「Daily Mail」紙は先月末このような題名の『記事』を書いています。

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2020年2月 2日 (日)

創造の論理はあるか

『伊東俊太郎先生をお招きして“創造の論理はあるか”とのテーマでサロン的な小規模勉強会を開きます』

紺野登多摩大学大学院教授からこんな誘いを受け、昨日、勉強会(セミナー)に出席してきました。

      Seminar

        (セミナーの模様;紺野登教授撮影)

伊東先生は日本を代表する科学史家・文明史家。

1991年に定年退官するまで東京大学教授を務め、かつて東宮家の科学方面の教師を務められていました(Wikipediaより)。

以下、昨日の伊東先生の話のエッセンス

【1】創造の論理は無いとする意見

科学哲学者であり、論理経験主義の代表的主唱者であるハンス・ライヘンバッハ(Hans Reichenbach, 1891年ー1953年)は、『科学哲学の勃興(The rise of scientific philosophy 1951)』の中で、『科学的発見の論理(logic of discovery)は無い』と述べている。

いわく、『科学的発見を説明することは論理学者のすることではない』。

つまりライヘンバッハによれば、『創造の論理は無い』ということになる。

カール・ポパー(1902年ー1994年)は純粋な科学的言説の必要条件としての反証可能性を提唱したことで有名だ。

彼もまた『どんな発見も非合理的要素を持つ』とし、発見の論理に否定的だった。

【2】創造の論理は有るとする意見

しかし私(注:伊東先生)は、科学的発見は合理的プロセスの結果でもあり、創造の論理は有るのではないかと考えている。

そもそも論理的思考とはどういったものか。

(1)演繹法(deduction)

一般的・普遍的な前提から、より個別的・特殊的な結論を得る論理的推論の方法。

演繹の代表例として三段論法がある。

「人は必ず死ぬ」という大前提、「ソクラテスは人である」という小前提から

「ソクラテスは必ず死ぬ」という結論を導き出す。 

(2)帰納法(induction)

 個別的・特殊的な事例から一般的・普遍的な規則・法則を見出そうとする論理的推論の方法。

「人であるソクラテスは死んだ。人であるプラトンは死んだ。人であるアリストテレスは死んだ。したがって人は全て死ぬ」 

と一般化させる。

演繹においては前提が真であれば結論も必然的に真であるが、帰納においては前提が真であるからといって結論が真であることは保証されない。 

これら2つの論理的思考よりも更に発見の論理に近いものとして、次の「アブダクション」がある。

(3)アブダクション(abduction)

飛躍的な直観的推論。

アメリカの哲学者、チャールズ・サンダース・パース(Charles Sanders Peirce、1839年―1914年)は、演繹、帰納に対する第三の方法としてアブダクションを強調。

結論b に規則「a ならばb である」を当てはめて仮定a を推論する。

帰納が仮定と結論から規則を推論するのに対し、アブダクションは結論と規則から仮定を推論する。

ここでの問題は a という仮定、仮説をどう立てるかにある。

(4)帰納法(induction)も発見につながるのではないか

例えば、ボイルの法則、すなわち気体の圧力(P)と体積(V)を掛け合わせたものは一定である(PV=constant)は、帰納から導かれたものではないだろうか。

さらに、

(5)演繹法(deduction)も発見につながるのではないだろうか

 ロバート・フック(Robert Hooke、1635年ー1703年)は、移動する物体は何らかの力を受けない限りそのまま直進する(慣性の法則)とし、更に引力は距離が近いほど強くなると述べた。

アイザック・ニュートン(Isaac Newton、1642年ー1727年)はフックの考えを発展させ、逆二乗の法則にたどりついたが、

これなども演繹と言えるかもしれない。

〔岩崎注:ちなみにニュートンは、どうしてそんなにたくさんの発見を出来るのかと聞かれたとき「問題の解決は、突然のひらめきによってなされたのではなく、たゆまぬ継続的な思考の結果である」と述べた(『こちら』)。〕

ピタゴラスの定理も補助線を加えれば証明できるもの。

つまり演繹法で発見できるものだ。

それでもこの発見は驚きに値する。

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(6)アブダクション(abduction)についてもう少し詳しく説明したい

アブダクションは発見そのものの論理だ。

「新しい理論の創造はアナロジー、類推から生まれることが多い。(略)発見的思考法にはアナロジーが大切で、私は発想の“グノーモン構造”(gnomonic structure)と呼んでいる」(『こちら』)。

      Gnomon

 グノーモン構造は洞察力に近い概念で、デザインや幾何学に通じるものでもある。

(7)このほか発見の論理学としては、integration(統合)や、極限化も重要だ。

(8)またシステム化(Systemization)についても述べておきたい

ドミトリ・メンデレーエフ(Dmitri Mendeleev、1834年ー1907年)が提唱した元素の周期表が良い例だろう。

        Photo_20200202212701  

         (出所:Wikimedia Commons;CC-BY-SA-4.0)

ある一定の規則に従って、元素を並べていき、先に周期表が出来た。

その時には、埋まらない空欄も多くあったが、これらはいずれ発見されるはずだと考え、事実、人類はその後、これらの空欄を埋めるべく、新しい元素を発見していくことになる。

これなどは、Systemization が発見に結び付いた例だ。

【3】湯川さんによる中間子理論(1934年)について

最後に湯川さんによる中間子理論(1934年)を考えてみる。

1932年にジェームズ・チャドウィック(James Chadwick、1891年ー1974年)が中性子を発見する。

すると直ちにヴェルナー・ハイゼンベルク(Werner Heisenberg、1901年ー1976年)らが「原子核は陽子と中性子から 構成されている」 との考えを提唱。

ここで電気的にニュートラルな中性子とポジティブな陽子がなぜ結びつくのか、いわゆる核力の問題が浮上した。

この問題に対しては当初ベータ崩壊を使った理論での説明が試みられたが、上手くいかない。

湯川さんは,ベータ崩壊のように電子やニュートリノが放出されるのではなく、中性子が陽子と未知の粒子に分かれ、その粒子が陽子に受け取られ中性子になる、と考えた。

この間に力が働き、原子核をつくる結合力になると、この粒子の交換により中性子は陽子に、陽子は中性子に絶えず変化していく。

この未知の粒子が中間子である。

媒介の役を担うので、中間子は中国語では介子(バイシ)と言っている。

中間子の理論的発見にはモデルがあった。

それはハイゼンベルクやパウリによる「場の量子論」である。

ハイゼンベルグによれば「陽子と電子の間に電気力が働くのは、陽子から光量子が出て電子に吸収され、そして電子からまた光量子が出て陽子に吸収される、このキャッチボールにより力が働く」と電磁場の力(電気力)を説明した。

湯川さんは、これと同じで、今度は陽子と中性子の間に重量子=中間子のやりとりがあるとし、核力を説明した。

つまり「場の量子論」のアナロジーである。

ここで、原子核をつくる陽子と中性子の二つの粒子はある距離の間は強い力が働くが、ある距離以上離れると全然働かなくなる。

この特別な性質を説明しなければならない。

ハイゼンベルクの不確定性理論を用いて、中間子(重量子)の質量を計算すると、100MeV、電子の質量の約200倍になる。

それくらいの質量の新しい粒子が見いだせれば、核力を説明できることになる。

湯川さんはこの200倍という数字を頭の中で繰り返していたという。

湯川さんが原子核の核力を媒介する新しい粒子は電子の200倍であるという、中間子の存在の理論予測の結果を得たのは1934年10月。

室戸台風が去った後だと鮮明に記憶しているという。

もしかすると、台風一過が創造性にも作用したのかもしれない。

なぜ湯川さんは、世界に先駆けて、この核力の理論、中間子の理論を創り出し得たのか。

ハイゼンベルクは湯川さんにとって先生であり先輩に当たる競争相手だが、なぜハイゼンベルクではなく湯川だったのか。

湯川さんの中間子理論は、ハイゼンベルクの「場の量子論」を核力の場にアナロジカルに適用したわけだが、ハイゼンベルクと湯川さんの間ではっきりと異なる点がある。

「場の量子論」は、陽子と電子の間で光量子のやり取りがあり、電気力が生じる場合は交換されるが、陽子は陽子、電子は電子で実体の変化はない。

一方、中間子理論の場合、陽子と中性子の間で中間子のやり取りがあり、核力が生じるが、その中間子の交換により陽子は中性子に変わり、中性子は陽子に変わる。

たえず実体が交互に変化し、千変万化の中で核力が働くとする。

ヨーロッパでは、実在の根底には不変な「実体」があるとする考え方の伝統がある。

これに対して東洋の伝統は、一切が諸行無常の縁起によって生じると考える。

東洋の伝統の中で育った湯川さんの中に「この考え方のモチーフが潜んでいた」と想定することも可能かもしれない。

かつて湯川さんは谷川徹三氏との対談で、

「素粒子というものはできたり消えたりするものですね。

これはむしろ“諸行無常”という言葉がピッタリとするものですね。

・・・あるものがなくなり、あらわれたり、また姿を変えるということが自然のあり方ですね」

と述べている。

実際ハイゼンベルク自身、「湯川が中間子を発見したのは、彼が東洋の伝統の下にあったから」という趣旨の言葉を残している。

今や素粒子の世界では、素粒子が千変万化し諸行無常だというのは物理学者の常識だが、

以前は違って、世界の根底をなす粒子は不変だと考えられていた。

このように変わった契機は湯川さんの中間子理論だった。

湯川さんは、核力の問題を解決した中間子理論だけでなく、そこから始まる素粒子論という領域を開拓し、その基本的パラダイムを作ったのである。

創造には二つあり、一つは既存の領域で新たな事実や法則を発見し定式化すること、

そして、もう一つは、新しい領域そのものを生み出すことだ。

思うに、本当の創造性とは、第一に、外のものをどん欲に取り入れることで生まれる。

と同時に、自分の伝統の中にあるものを生かすことで生まれてくる。

湯川さんによる中間子の発見は、この2つのポイントを教えてくれるように思う。

* * *

以上が、伊東先生によるレクチャーのエッセンス(なお、これをまとめるにあたり、一部、『こちら』を参考にさせて頂きました)。

【4】レクチャー後のセミナー参加者コメント、質問など

レクチャーの後のセミナー参加者の主な質問、コメントは次の通り。

・『本日の話は、科学の発見に関するもの。私は、イノベーションに論理があるか、つまりどういったプロセスなりロジックでイノベーションが生まれるかに興味ある。本日の話と同じように考えてよいか』

・『本日の先生の話、それ自体があくまでも仮説ではないか』

・『イノベーションの点で聞きたい。どうして日本企業は遅れをとってしまったのか』

・『若い研究者が研究に関する予算を獲得する際には、仮説をたて、それを研究することに対してのペーパーワークの提出が結構大変だ。自由な発想が行われにくい』

・『イノベーションのプロセスなりロジックを研究する国にイノベーションは生まれない。先月亡くなられたクリステンセン氏も日本で言われているほど米国ではメジャーに扱われてはいない。自分は東大の大学院で教えているが、教え子たちにはイノベーション学の研究などしないで、さっさと起業しろと発破をかけている』

* * *

なお昨日の勉強会の主催者である紺野先生の『イノベーション全書』が先週末、新しく刊行されています。

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2020年1月 2日 (木)

『きっと新しいことが始まる』

今から24年前。

1996年。

パリ在住のフランス人、カレンさんは、フランスのテレビ局に勤めていました。

当時26歳でしたが、すでに部下が8人もいる技術部長でした。

「カレン、ちょっといいかい?」

あるとき上司に呼び出されます。

上司の後をついて会社の休憩室に行ってみると、こう言われました。

 「カレン、バカンス(長期休暇)を取らないか? 有給休暇がたまってるだろ?」

そう言えば、カレンさんは入社以来、仕事に夢中でまとまった休みを取っていませんでした。

「局の立ち上げ以来、君が頑張ってくれたおかげで今はスタッフが育っている。

数週間、君が抜けても大丈夫だよ」

「分かりました」

「どこか海外、そうだな、ニューヨークにでも行って、羽を伸ばしてきたら、どうだ?」

「アメリカは嫌です」

そんなカレンさんが行き先として選んだのは日本。

5週間のバカンスでした。

しかしいきなり行ったわけではありません。

バカンスの取得は3か月後ということでアレンジし、その間、仕事の合間を縫って

パリにいる日本人と知り合いになったり、

彼らから日本語を教わったりして、

初めての日本渡航に備えました。

出来るだけ日本に親しむことにしたのです。

しかし、

そんな彼女でも、日本に向かう飛行機の中で、もう胸はドキドキ。

飛行機の中は日本人のキャビンアテンダント。

そして乗客のほとんど全員が日本人!

もうここはすでに日本だ!

覚えたての日本語で日本人キャビンアテンダントの質問に答えても

いっこうに通じず、

フランス語で返されてしまう始末。

10時間以上のフライトが終わりに近づきつつあるとき、

機内アナウンスが入ります。

「当機はまもなく成田国際空港に到着します」

これを聞いて、カレンさんは思います。

「いったい何と言っているんだろう?

日本ってどんな国なんだろう」

この後、カレンさんの身に起きたいろいろな出来事。

まだその時のカレンさんには、これから先、いったいどんなことが起こるのか、

まったく想像がつきませんでした。

全然!

でもカレンさんは、飛行機の中で、

日本に行くことが人生の転機になると、

なぜかはっきりと感じていました。

「きっと新しいことが始まる」

そう強く感じていたと言います。

* * *

そんなカレン(Karyn Nishi-Poupee)さんは、現在フランス最大の報道機関、AFP通信の東京特派員。

バカンスで初めて日本に行った後、日本とフランスの間を行き来するようになり、

勤めていたテレビ局もやがて辞めて、

フリーのジャーナリストとして活躍。

2004年にAFP通信東京特派員に就任。

2008年「LES JAPONAIS 日本人」を出版。

2009年に「渋沢・クローデル賞」を受賞。

翌2010年には「Histoire du Manga 日本漫画の歴史」出版。

同年、仏国家「功労勲章」を受章。

現在は日本人の夫(漫画家のじゃんぽーる西さん)と2人の息子さんと一緒に日本に住み、

日本の技術、経済、社会を海外に伝え続けています。

* * *

『私はカレン、日本に恋したフランス人』は、カレンさんの夫、じゃんぽーる西さんが著した漫画本。

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26歳のカレンさんがバカンスで日本に行こうと思いたち、それから現在までの足跡が漫画で綴られています。

* * *

ところで、話は若干それますが、昨年引退したイチローが、先月22日、小学生の子どもたちに次のような言葉を送っています(全文は『こちら』)。

「僕が27、28の歳にアメリカに渡って、(略)外に出て初めてわかること、

調べれば知識としては、わかることであっても、

行ってみてはじめて分かることってたくさんあって(略)、

やっぱり外に出て、傷つくことだってあるし、楽しいことももちろんいっぱいある、

勉強することはいっぱいありました。

それを知識として持っておくのではなくて、体験して感じてほしい。(略)

今まであった当たり前のものというのは、決して当たり前ではないというふうに気づく。

価値観が変わるような出来事を、みんなに体験してほしいというふうに思います」

* * *

 深くは考えずに、

しかし準備は出来るだけして、

思い切って外に出てみる。

そうすることで、

きっと新しいことが始まる。

今から24年前。

26歳のカレンさんはそう感じながら異国の地に向かって飛び出したのでした。

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2019年12月23日 (月)

子どもを守るということ

安冨歩さん。

以下『#あなたを幸せにしたいんだ』より。

* * *

「私の両親は、私を立派に育てました。

誰よりも立派に育てたと思います。

彼らは必死で私を育てて立派な人間にしようとして、

そして(私は)京都大学に入って、住友銀行に入って2年半で辞めたんですけど、

で、大学院に入って博士号取って大学教授になって、最後、名古屋大学から東京大学の教授になるという、

立派なエリートコースを歩んで、両親は私を立派に育てたんですが、

でもその私は虐待のサバイバーだと思っています。

子どもを守るというのは、

私のような人間を作らないっていうことです。

私は、例えば京都大学に合格したときも、

私が34歳で最初に書いた博士号を取った論文を本にして、

日経・経済図書文化賞という賞を獲りました。

そういう賞のですね、受賞の連絡を受けたときも、

東大に職を得たときも、

これっぽっちも嬉しくなかったんです。

いつも私はそういったときには、ほっとしていました。

その日経賞っていう賞は大体、とっても功成り名遂げた立派な先生が受賞するような賞なんですけれども、

私は34歳のときにそれを受賞したんですが、

本を書いて出版したときに、

『この賞を獲らなかったら死ぬ』

って思ってました。

本当に怖くて、獲れなかったらどうなるんだろうと思ったときに電話がかかってかかってきてですね。

受賞したのでほっとしたんですね。

完全におかしいです。

成功する人間というのは、そういう人間です。

成果を上げなければ生きてる値打ちなんてないって、

心の底から思ってるから成果を上げられます。

東大や京大に合格するような勉強を、そんなことのために青春を捧げるのは、まともな人間には無理です。

合格しなかったら死ぬって思ってるから、合格するんです。

そんなふうに子どもを育てるのは虐待です。

考えてみてください。

この国はそういう学歴エリートによって指導されています。

私たちエリートは怯えています。

誰かに何かを言われるんじゃないかと思って、怯えています。

特に、自分に力を振るうことの出来る人に叱られるのに怯えています。

五十何歳にもなって、親から縁を切って十何年もたって、

東大教授で有名人なのに、

『あゆむ』という名前を呼ばれるだけで、

私は怯えるんです」(本書140-141頁)。

* * *

安冨さんは、「たびたび湧き起こる自殺衝動に

長らく悩まされてきたという」。

そんな安冨さんが「『解放』された転機のひとつが、離婚。

それと同時に両親とも絶縁すると、

自殺衝動は消えたという」(本書145頁)

* * *

以下、再び安冨さんの言葉。

「大人が好き好んで子どもに隠蔽された虐待を加えているわけではなく、

社会に適応できるように育てようとして、

やってしまっている。

つまり、社会システムの再生産のために誘導されて、

子どもに隠蔽された暴力を、

「良かれと思って」振るっているんです。(略)

恐ろしいことに、日本の子どもの自殺率は世界一です。

社会が隠蔽された暴力で満ちているので、

ガチで子どもを虐待する親も出てくる。

直接殴ったりせず、子どもを死に追いやる親もいる。

そういう恐ろしいことをやめないといけない。(略)

これからはインターネットの時代に合うような社会システムを考えないといけなくて、

それを子どもたちに考えてもらうしかない。

それに賭けるしかないので、子どもを叱るとか、ふざけんなと思うわけですよ。

なんで世界を救えない奴が、救うかもしれない人を叱ったりするんだよって(笑)。」(本書152-153頁)

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2019年10月20日 (日)

デイリー新潮

昨日のデイリー新潮にインタビュー記事が掲載されました(『こちら』)。

『老後2千万円不足問題の最適解 50歳から「ダウ平均」に投資するメリット』という記事なのですが、

内容的には、拙著『人生100年時代の正しい資産づくり』のエッセンスを抽出したような記事になっています。

なぜ日経平均よりもダウ平均の方が高いリターンを上げてきたのか。

その理由は、上記のインタビュー記事や拙著に譲りますが、

たとえば日経平均の過去20年間の年率平均リターンが1.1%なのに比して、

ダウ平均は4.9%(myIndex、9月末データ)。

100万円を投資するとして、日経平均の方は20年後、124万円。

ダウなら260万円。

(もちろん、これは将来が過去の実績と同じリターンで推移するとの大胆な仮定での話。また為替レートは無視しています)。

もう少し分かりやすくグラフで示すと下記のようになります。

Dow

ピンク色がダウ、水色が日経平均です。

この間、例えば2013年3月には黒田東彦氏が日銀総裁に就任。

その後、13年4月に第一弾の「量的・質的金融緩和」、

14年10月に第二弾の「量的・質的金融緩和の拡大」、

16年1月に第三弾の「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」、

と立て続けに「バズーカ砲」と称される大胆な金融緩和の施策を実施してきました。

にもかかわらず、ダウ平均の方が、より高いリターンを上げ得てきています。

まぁ、そうは言っても、大切なお金の話です。

投資の世界に足を一歩踏み出すか否かを含め、慎重に検討されることをお勧めします。

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2019年9月19日 (木)

アポロ13の帰還

映画でも見て、現実の動画(ビデオ)も、テレビで何度か見ました。

「アポロ13号の帰還」。

たまたまSmithsonian.comで動画(3分47秒)を発見しました(『こちら』)。

Mission_control

   左から(親指を立てている)グリフィン、クランツ、ルーネイ

     From Wikimedia Commons

何度見ても感動します。

途中、“The crew also thanks Houston just in case" といったナレーションが入りますが、

乗員たちは、「場合によっては」と、半ば死を覚悟していたのかもしれません。

ヒューストンで指示を出す 4人のFlight Directors(飛行管制主任)たちは全員30代。

そのうちの1人、ジーン・クランツは、

Think ahead (常に先のことを考えよ)、

Respect your teammates (仲間を信じ、敬え)

といった10か条の名言を残しています。

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2019年7月29日 (月)

To infinity.... and Beyond(無限の彼方へ さあ行くぞ!)

『To infinity.... and Beyond(無限の彼方へ さあ行くぞ!)』

これは映画『トイ・ストーリー』に出てくるセリフ。

これを製作したのは映画会社『ピクサー』ですが、その会社のCFO(最高財務責任者)が書いた本が

『To Pixar and Beyond』(日本語訳『ピクサー』)。

おそらくは『トイ・ストーリー』に出てくる有名なセリフを文字って付けた題名なんだと思います。

   Pixer

さて、これはひじょうに読みやすい本(文章も製本も)です。

内容も面白くて、あっという間に読めてしまいます。

ピクサーはもともとはジョージ・ルーカスが持っていた『ルーカスフィルム』の一部門。

1983年、ルーカスは離婚の為に現金を必要とするようになり、ピクサーを売却することを決断(『こちら』)。

当初はディズニーに売却話を持って行きますが、このときのディズニー会長カッツェンバーグはこの話を拒絶。

1986年になってこれを買ったのは、前年にアップルを追い出されたスティーブ・ジョブズでした。

しかしジョブズはピクサーを買ったものの、経営には関心なし。

そもそもジョブズはピクサーをソフトではなくハードの会社だと思って買った節がうかがえる・・。

当時ピクサーの経営を担っていたのはエド・キャットムル(共同創業者の一人)で、彼が毎月ジョブズのところに赴き、不足資金分の個人小切手をジョブズに切ってもらうようなことをしていました。

1994年の段階になってもジョブズはピクサーを手放すことを考えていて、ホールマーク・カード社、ポール・アレン氏、ラリー・エリソン氏などに売却しようとしますが、いずれも上手くいかず(『こちら』)。

そして、その年の11月にこの本の著者ローレンス・レビーに電話します。

『ピクサーのCFOになって、ピクサーを上場させてほしい』

こうジョブズが頼むところから、本書はスタートします(ほんの少し前まで売却しようとしていたのに無理だと知ると一転、わずかなチャンスの上場に賭けるようになったという訳です)。

そもそもアニメーションの世界は簡単ではありません。

ウォルト・ディズニーでさえ1937年公開の『白雪姫』の製作費用は、彼の自宅を抵当にして金を借りたり、危ない銀行融資に頼ったりして捻出したと言います(本書93頁)。

そういった世界に関してはまったくの門外漢の筆者。

彼は、無謀にもジョブズの要請を受け入れ、未知の世界に飛び込んで行ってしまいます。

そして結果は、というと・・。

なんと、たった1年でIPO(株式公開、上場)を果たします。

さらに2006年には(上場会社となっていたピクサーを)ディズニーに売却。

著者によれば、いつ大失敗になってもおかしくないピクサーの命運は「ごく細い糸にぶら下がっていた」(本書204頁)。

そんなごくごく細い糸を大切に手繰り寄せながら、成功を勝ち取っていく様には、読んでいて手に汗握るような臨場感が味わえます。

なお本書はIPOとは何か、株式公開を引き受ける投資銀行業務はどういったものかを知るには絶好の読み物。

CFOの仕事とはどういったものかについても知ることが出来ます。

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