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2005年10月10日 (月)

原点(哲学概説)

灰谷さんの本との出会い(下記の記事参照)が一つの衝撃であるとすると、同じように強烈な思いを大学一年の頃に読んだ樫山欽四郎さんの『哲学概説』でも味わった。

私は小さい頃から自己中心のわがままな子供だった。 だから、なおさらのこと、死への恐怖心を人一倍強く持っていたのだと思う。

やがては自分も死ぬ。 そのことを突き詰めて考えていくと怖くて眠れなかった。 自分が死んでいなくなってしまうというのは、一体どういうことなのだろう。

自分が生まれる前には、自分がいなかった『過去の世界』がこれまで存在していた。 同じように、自分が死んで、いなくなったからといって、再び、自分のいない世界が永遠に続いていくだけだ。 分かっていても、どうしようもない恐怖心に襲われる。

手塚治虫の火の鳥に、何年たっても自分だけは死ねない老人が出てくる。 これを読んで、少しは死への恐怖が和らいだが、やはり自分の存在が無くなってしまうことが怖い。 こう思っている、この『自分自身』が、無くなってしまうのだ。

そういった中で、手にしたのが樫山さんの『哲学概説』だった。 自分と同じように死への恐怖を直視しようとしている人がいる。 樫山さんの言葉を書いてみる。

『哲学とは、そういう問題を正面から扱おうとする学問である。・・・これは実は一番身近な、誰もがゆるがせにできないことなのである。 それが、一見捨ててかえりみられないように見えるのは、日常の人生が逆になっているからである。 人々は・・・このことを忘れて・・・日常生活に没頭しているだけのことである。・・・言わば、自己忘却におちいっているのである。 哲学は、この忘却に対して、目をさますように呼びかけるのである。 哲学はこの呼びかけである。』

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