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2006年3月28日 (火)

金融機関から見た水俣病(その2)

2月25日のブログの続きです。

PPPの原則というのがあります。

Polluters Pay Principle(汚染者負担の原則)のことで、環境汚染や公害問題を「起こした企業」が、「汚染を除去し環境を復元する」そして「被害にあった方たちへ補償する」といった、ある意味で、当たり前のことを謳った原則です。

水俣病に関しては、汚染者であるところのチッソ(株)が、患者補償などの支払により 1,400億円を超える債務超過に陥ってしまったこと、その為、PPPの原則を求めるにしても、「チッソが汚染者として Payする(負担する)能力がない」ことで、問題を複雑化してしまっています。

患者の方々への補償が滞りなく行われるよう、1978年6月の閣議了解で熊本県債の発行によるチッソへの金融支援を柱とする対策が決定され、同年12月に第1回の県債が発行され、熊本県からチッソへの融資が実行されています。

しかし、この先人達の「知恵の結晶」のようなチッソへの金融支援のスキームも、よく考えてみますと、問題の先送り以外の何ものでもないことが分かります。県債、およびチッソへの融資というのは、何れは返済しなければならないからです。

融資を受けたチッソが、その資金を投資に回すのであれば、その結果、収益が生まれ、その収益をもってして、融資の返済にあてることが可能です。(これが金融の一般的なロジックです。)

ところがこの金が患者の方々への補償金に回るのであれば、その金は返ってきません。補償金というのは、投資と違って「行ったきり」だからです。金融の世界で言うところ「返済原資がない、あるいは返済原資を生まない」融資です。

問題の先送りであっても、その間に、チッソが収益力をつけ、実力で補償金を払い、さらにこれまで(補償金支払の為に)借りてきた膨大な借金を返済していくことが出来れば話は別です。

しかし現実には金融機関から金利の減免、棚上げなどの支援を受けつつも、チッソの長期借入残高は増加してきています(2000年3月末 1,353億円 → 2005年3月末 1,420億円)。

企業努力により経常利益は向上してきています(2001年度46億円 → 2004年度71億円)が、現在の好調な収益力をもってしても債務超過の解消には20年を要する計算になります。

「これがアメリカならどうしただろうか。」

興銀で1992年から97年にかけての5年間、水俣病問題を担当しながら、幾度となく私はこんな疑問を抱きました(興銀時代だけでもその時すでに米国に7年駐在していたからかもしれません)。

米国であれば、恐らくチッソはとうの昔に破綻させ、(a)患者の方々を補償する為の公社のようなものを作る(b)議員立法で何らかの法的裏づけを与えた上で政府が患者を補償する(c)患者は泣き寝入りになる(そして政府や銀行に対する訴訟が起き、恐らくは裁判によって救われる)-これらの何れかのルートになると思います。

政府や銀行に対する訴訟はたとえ、(a)(b)のルートを辿ってもアメリカでは必ず起きると思います(日本でも、チッソ、国、県に対する訴訟は数多く起きています)。

銀行の責任はどうなのでしょうか。

実は1972年から73年にかけて興銀本店には患者や支援団体の方たちが来行し、

「興銀はチッソの経営に直接関与して会社を実質的に支配している。従って興銀は水俣病患者に対してチッソと共同責任があるので、速やかに補償をおこなうべきである」(『日本興業銀行75年史』より抜粋)

と主張していました。

アメリカで言うところの「Lender Liability」(貸手責任)の議論です。

この辺については、次回、「金融機関から見た水俣病(その3)」として考えてみたいと思います。

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コメント

+ C amp 4 +様

TBありがとうございます。

普通のブログの記事は20分~1時間くらいの時間を使って書いているのですが、水俣病関連のブログは2~3時間を使い、かなり神経質に書いています(現時点でも訴訟が起きていますので)。

でもこの問題は非常に重要な論点をわれわれの前に提示してくれており、是非ともこれからも考察を続けて行きたいと思います。

実は『金融機関から見た水俣病』の『その3、4、5、6』くらいまでは、書きたいことがたまっています。

+ C amp 4 +様の記事では、補償金の問題に触れられていましたが、私がこの問題を最初に興銀で担当し、勉強した時に思っった感想は補償金が安すぎるというものでした。

水俣病が原因で亡くなったかたは100人を超えています。

この方たちに対する命の値段としては、過去の問題ではあるにせよ、やるせない思いがしました。

これから時間を見つけて、いろいろの問題について書いていきます。

投稿: 岩崎 | 2006年4月 4日 (火) 14時57分

失礼しました。TBを送信したスワンという者です。

匿名ブログのうえ挨拶なしのぶしつけなTBを反省していたところでした。好意的に受け取っていただいてホッとしております。

水俣病公式確認から50年の今年、私たち国民は、水俣病にについて多面から本当のことをもっと知る必要があると強く思っています。

岩崎様の記事を今朝見つけまして、金融業務という視点から水俣病について知る機会がもてることにいささか興奮し、思わず申し訳程度に言及してTBを打ってしまいました。


記事をお書きになるにあたって、いろいろと神経をつかう面はあろうかと推察いたします。ただ一読者としては、それだけに誠実な記事を期待してしまいますので(笑 ぜひともその3その4・・と楽しみにしております。

長々と失礼いたしました。

投稿: swan_slab | 2006年4月 4日 (火) 18時35分

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