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2007年3月25日 (日)

性善説

先日、私が毎月参加している勉啓塾という勉強会で、中学入試事情に関するお話を講師の方から頂戴しました。

(1)小中学校9年間の主要教科(国、算、社、理、英)の時間数を見ると、

1947年 (生活単元カリキュラム) 6335時間

2002年 (完全5日制カリキュラム) 4550時間

つまりピーク時に比して、72%の時間数に減っています。

(2)東大合格者数の推移で見ると、

1971年 公立高校 2007人 私立高校 683人

2000年 公立高校 977人 私立高校 1804人

1991年に私立高校が公立高校を逆転して以降、私立高校出の人数は基本的に右肩上がり、一方、公立出は基本的に右肩下がりです。

(3)こうした事情の結果なのか、中学校を受験する小学生の割合はどんどん増えていて、

東京都の場合

2000年 19.0% → 2007年 27.4%

へと増加しています。

特に港区や渋谷区では50%を超える小学生が中学受験をしているのではないかと推定されるようです。

塾の業界では中学受験の塾生獲得の為、幼稚園の年長さんからアプローチし始めているとのこと。要は、小学校受験に失敗した子ども(の親御さん)に対して、すぐさま中学受験のアプローチをかけるとのことです。

(4)勉啓塾の参加者(受講生)の中から、講師の方に対して「自分たちの頃は、塾など行かずに原っぱで遊んでいた」との発言も出ました(日本でも高名な医学博士のお医者さんの発言です)。

これに対して、講師の方:「いわゆる『原っぱ論』ですね。でも今は子どもが遊べる原っぱなんて、そんなに沢山ありません。放っておけば、子どもは高層マンションの一室でテレビ・ゲームをしてしまいます。」

(5)私が印象に残ったのは、講師の方の次の言葉でした。

「教育というのは性善説にたって児童と接しないといけない。

今、経済人の方が、学校経営を始められるケースが増えているが、経済や企業経営のロジックを持ち込む為、なかなか良い学校に育っていかない。

私立武蔵を作った根津嘉一郎(東武鉄道)のように『カネは出しても口は出さない』ようにしないと上手くいきません。」

「私学だろうと公立だろうと、必要なのは、良い教育。

現状残念ながらこの面で、公立が力を落としてきている。

理科室や図書館といった施設、更には行事やクラブ活動の充実も良い教育に必要だ。

例えば開成の野球部は結構がんばっている。

中高一貫校というと受験のみと思われがちだが、例えば、クラブ活動は『課題を発見し、自ら調べ、考え、判断する力』を養い、様々な人間関係を通してコミュニケーション力を育てる場だ。」

(6)政府の教育改革国民会議では、議論の中で、委員の方から『団地、マンション等に「床の間」を作る』、あるいは『子どもを厳しく「飼い馴らす」必要がある』といった発言もあったようですが、もう少し現場に即した、レベルの高い議論を期待したいところです。

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2007年3月18日 (日)

全ての道はローマに通ずる

前回、興銀の審査の話を少し書きました。現場に足を運ぶことの重要性を書きましたが、一方で、数字をベースとした分析は一体どうするのでしょうか。

興銀の審査部では、『全ての道はローマに通ずる』という言葉をもじって、よく『全ての道は収支予想に通ずる』と言われていました。

企業の沿革、経営者、業界事情、生産、販売、技術、収支・財政といろいろな項目にわたって調査・分析を重ねていきますが、それらの分析が全て統合・凝縮されて、その会社の収支予想となって表現されるという意味です。

個々の分析にはいろいろなやり方がありますが、まず売上や売上原価、製造コストなどを、全て 数量×単価に分解してみることが分析の第一歩になります。よく『売上は20%増加しました』などという記述を目にしますが、これは『数量増の影響はどの位なのか』、『単価はどうなのか』と分けて考えて行くのです。

こうして(幾多の分析を経て)会社の収支の予想が、審査の結論となって表現されると、銀行として金を貸して、その金が返ってくるのかどうかが分かってきます。銀行の審査は基本的にはここで終わりです。

しかしよく考えてみますと、この収支予想をもう一歩進めて、出された結果の数値を現在価値に割り戻してみれば、その会社の企業価値が出てきます。

そしてこの企業価値を、『債権者にとっての価値』と『株主にとっての価値』に分解します(この辺は、『サバイバルとしての金融』や『間違いだらけの株えらび』といった私の幾つかの著作に書きましたので興味のある方はご覧になってみてください)。

仮に債権者にとっての価値が15しかないのに、銀行が100貸付けていたらどうでしょうか。

先週(3月15日)、産業再生機構が解散しましたが、彼らがやったことは、基本的には、この『債権者にとっての価値』を割り出し、これをベースに銀行と『債権のカット』を交渉し(注:上述の例では銀行に85部分のカットを迫ります)、新しいスポンサー(出資者)を呼び込んで、(場合によっては経営者も入れ替えて)企業の再生を図るというものです。

こうした再生の手法は、基本的にファイナンスの面からのアプローチです。

ただ企業は最終的には人によって成り立っていますので、いくらファイナンス面から手術を施したからといって、手術後の体を、なんとか『価値を生み出していくような元気な体』に変えていくことが出来なければ、また元の病気の体に戻っていってしまいます。

経営者や従業員の意識を変えることが出来るかどうか、企業再生の成否は実はこの一点にかかっていると言っても過言ではありません。

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2007年3月15日 (木)

足で書く調書

興銀の審査部に5年間在籍していた時、私は全部で80社くらいの会社(プロジェクト会社を含む)を審査しました。

当時(1987年~1991年)の興銀の審査部では、審査担当者が対象会社(プロジェクト)のことを一ヶ月位かけて徹底的に調べ上げます。

こうした審査の結果、審査担当者がイエスの結論を出せば、営業部店は審査対象会社に貸出を行えるようになりますし、ノーの結論であれば、会社に対しての貸出は難しくなります。

いわば企業の命運を決めることにもなるだけに責任は重大で、余りの重圧の為、審査担当者が社宅のベランダから夜、突然、紙飛行機を幾つも、幾つも、飛ばし始めたとか、あるいは、ある日、突然、審査担当者が会社の人事部幹部に直通電話を入れ、英語で話し始めたとか、本当かどうかは分かりませんが、審査部ではいろいろな逸話が語り継がれていました。

ところで実際に審査を行うに際しては、一つ一つの事実の積み上げ、分析が重要ですが、ある程度、審査という仕事に慣れてきますと、『会社の空気』というものを感じることが出来るようになります。

ある医者が『患者が診察室に入って来た時に、その患者の顔色や喋り方で、患者がどの位、重い病気にかかっているのかを判断する材料の一つにする』と言っていましたが、これに通じるところがあります。

良い会社では、工場や会社の執務室に入った瞬間に、ピンとピアノ線を張ったような緊張感が伝わってきます。一方、駄目な会社からはそういった緊張感や従業員の方々の覇気が伝わってきません。

興銀の審査部では『調書は足で書け』と教えられてきましたが、数字ばかり見ていないで現場に足を運びますと、その数字の裏にある『現実』が見えてきます。そして『現場の空気』を肌で感じることが出来るようになります。

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2007年3月13日 (火)

夏時間

頭では分かっていたのですが、始まってみると早いですね。

アメリカではもう既に夏時間(Daylight Saving Time) がスタートしていました。

詳しくは、昨年12月31日付の私のブログをご覧下さい。

このように、アメリカは夏時間の開始日を今年から、大幅に変更(前倒し)しましたが、日本でも今年のカレンダーから変更になった点があります。

来月29日は今まではみどりの日でしたが、今年からは、昭和の日になります。

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2007年3月 8日 (木)

格差問題の本質

夜は、1時間100円のネット・カフェで背骨を折り曲げるようにして、何とか睡眠をとり、コインロッカーに身の回りのものを入れて暮らす、ホームレス一歩手前の若い人たち。

彼らは、それぞれ事情がありますが、例えば両親からの虐待を逃れて家を飛び出し、日払いのバイトで何とか生活していたが、安いアパートの家賃さえ払えなくなった。。。

こういった人たちが少しずつ増えています。

適度な格差が必要だとか、再チャレンジ出来るようにすれば良いとか、いろいろなことが言われていますが、格差問題の本質は、次の3点だと思います。

(1)格差が世代を超えて継承されること。

すなわち人生の出発点からして、イコールになっていない。

100メートルの競争をする時、ある人は40メートル先からスタートするようなものです。

政治家になるには、政治家の親を持つこと、といった形で、いろいろな分野で固定化されてしまう社会が、本当に機会均等で、フェアな社会かどうか。

この問題の解決には、相続税を強化することが一番です。

(2)富めるものはますます富み、貧しいものは努力しても豊かになれないという格差拡大に関する構造上の問題。

たとえば、『リスクを取って(株式市場などで)投資をしろ』と言いますが、貧しい人と豊かな人では取れるリスクが違います。

豊かな人は、ある程度リスクが取れるので、例えば、株式投資をする、あるいは不動産投資をすることが出来ます。

貧しい人は、リスクを取りづらいので、必然的にリスクの小さい預金をするという行動に出ます。

普通に株式投資をすれば、年率5~10%のリターンが期待できますが、銀行への預金では、0.2~0.3%くらいしかつきません。

(3)健康で文化的な最低限度の生活(日本国憲法25条)さえ営むことが出来ないという、冒頭にあげたようなワーキング・プアの問題。

セーフティ・ネットが機能していません。

『敗戦直後の日本社会の方がもっと大変だったんだ』と主張される方も多いのですが、(そして、それは恐らくは事実なのでしょうが)、一方で、今、起きている現実を直視しなくてはいけないと思います。

我々の社会が抱える『構造的問題』を一つ一つとぎ解していくことが必要です。

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2007年3月 4日 (日)

下駄を履く

上海株式市場での下落(2月27日上海総合指数は前日比▼8.84%)に端を発した世界の株式市場における水準訂正(英語ではcorrectionと報道されています)の動き。

一番ホッとしているのは、日銀の福井総裁かもしれません。

『2月21日の政策委員会・金融政策決定会合の開催が、仮に1週間遅れて2月28日だったとしたら・・・(多分とても利上げなど決断できなかっただろう)』

この間の日経平均の動きを追ってみます。

2月21日(日銀利上げ) 17,913円

2月26日           18,215円

3月 2日          17,217円

利上げ後、一部マスコミが『中小企業は悲鳴を上げている』と書きたて、これに対して、ある新聞記者の方から『本当にそうなんですか』とコメントを求められました。

企業にとってみれば、金利は安いに越したことはありませんが、利上げ後の水準(無担保コールレート、オーバーナイト物0.5%)でも、日本はまだ異常な低金利です。

誰が得をして、誰が損をするのか、分配の視点から金融政策を議論するのは必ずしも適切ではありませんが、日本の家計セクターが、本来受け取れたであろう利息が目減りしたことによる負担コストの合計(1993年からの10年間の数字)が154兆円。

中小企業の声はマスコミで取り上げられても、預金金利で細々と生計を立てるお年寄りの声は、なかなか取り上げられません。

ところで、世界的に見ても、または時間軸の観点から見ても、「異常な低金利」。 これをいつまでも続ければ、どういう弊害が起こるのでしょうか。

日銀が気にする物価への影響はもちろんですが、そのほかにも弊害は沢山あります。

一番大きいのは、本来行われるべきでない無駄な投資が行われてしまう、ということではないでしょうか。

財政に対しても、本来必要とされる discipline (規律)がなくなり、無駄な道路などがどんどん建設されてしまうといったことになりかねません。

非効率な経営をしている会社が生き続け、効率的経営、製品・サービスに対する差別化への努力を怠るようになり、国際的な競争力の無い会社に対して、競争力をつけさせようとする力が働きにくくなります。

アメリカの企業が5%で資金を調達しているの対して、日本企業が2.5%で調達するとしたら、日本企業の方が、下駄を履かせてもらって経営していることになります。

病人を健康体にする上では、超低金利というカンフル剤が必要だったのかもしれませんが、いつまでも打ち続ければ、体を壊してしまいます。

本来必要とされるのは、価値を生み出す経営。 効率的な経営を行い、製品・サービスの差別化を図って、正々堂々と外国企業と競争して勝つことです。

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