格差問題の本質
夜は、1時間100円のネット・カフェで背骨を折り曲げるようにして、何とか睡眠をとり、コインロッカーに身の回りのものを入れて暮らす、ホームレス一歩手前の若い人たち。
彼らは、それぞれ事情がありますが、例えば両親からの虐待を逃れて家を飛び出し、日払いのバイトで何とか生活していたが、安いアパートの家賃さえ払えなくなった。。。
こういった人たちが少しずつ増えています。
適度な格差が必要だとか、再チャレンジ出来るようにすれば良いとか、いろいろなことが言われていますが、格差問題の本質は、次の3点だと思います。
(1)格差が世代を超えて継承されること。
すなわち人生の出発点からして、イコールになっていない。
100メートルの競争をする時、ある人は40メートル先からスタートするようなものです。
政治家になるには、政治家の親を持つこと、といった形で、いろいろな分野で固定化されてしまう社会が、本当に機会均等で、フェアな社会かどうか。
この問題の解決には、相続税を強化することが一番です。
(2)富めるものはますます富み、貧しいものは努力しても豊かになれないという格差拡大に関する構造上の問題。
たとえば、『リスクを取って(株式市場などで)投資をしろ』と言いますが、貧しい人と豊かな人では取れるリスクが違います。
豊かな人は、ある程度リスクが取れるので、例えば、株式投資をする、あるいは不動産投資をすることが出来ます。
貧しい人は、リスクを取りづらいので、必然的にリスクの小さい預金をするという行動に出ます。
普通に株式投資をすれば、年率5~10%のリターンが期待できますが、銀行への預金では、0.2~0.3%くらいしかつきません。
(3)健康で文化的な最低限度の生活(日本国憲法25条)さえ営むことが出来ないという、冒頭にあげたようなワーキング・プアの問題。
セーフティ・ネットが機能していません。
『敗戦直後の日本社会の方がもっと大変だったんだ』と主張される方も多いのですが、(そして、それは恐らくは事実なのでしょうが)、一方で、今、起きている現実を直視しなくてはいけないと思います。
我々の社会が抱える『構造的問題』を一つ一つとぎ解していくことが必要です。
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コメント
自分自身が健全な生活を送れていると、つい「下流」と言われる人々を怠け者のように思いがちです。
人生において取れるリスクがあるのに、それを取らないか、そのようなことについて考えずに日々に忙殺されて生きているか・・・私のような者は彼らのことを心の奥底でこのように思ってしまう時があります。
というのも、そういう人々に興味がない人々よりは彼らについて心配しているからです。
著作も読ませて頂いていますが、岩崎さんのように成功を絵に描いたような人生を歩んできた方が「下流」に属する人々に厳しさのない目を向けていることにとても感心します。
同じように考えていた私に「それはキレイ事」だ、と言った人も何人かいます。
社会の進化は選ばれた者によって行われると言ったニーチェの考え方が時々引き合いに出されました。今では、私もそう感じるようになっています。でも、それが少し後ろめたく感じるのです。
問題を解決するには、突き詰めると空論だけではなく「構造」を解き明かす分析と実行が不可欠ですね。
投稿: カトウ | 2007年3月 8日 (木) 22時04分
岩崎先生、こんばんわ。
>格差
「格差」という日本語の表現は、幾通りにも意味が解釈できるかな?等と思いました。
ですが、岩崎先生がおっしゃっている「格差」を英語に直したら、"inequality(不平等)"という単語が適切のようですね。
僕は、個々人のネックとなる不平等の項目を洗い出し、加重平均して「平等化」する作業は、非常に困難だと思います。
その理由は、生物は生まれながらにして、それぞれの才能に応じて個人差があるので、その誕生からして平等とは言えないと思うからです。
「才能は備わっているが、経済力は弱小のAさん」、「何事においても凡庸な才能だが、(先祖代々の遺産を受け継いで)経済力は超強大のBさん」の2人の存在を仮定し、さらに、Aさんの性格が「超利己主義」、Bさんの性格が「(大して苦労もせず、のほほんとした)博愛家」だとすると、AさんよりもBさんの存在の方が、社会にとって好ましいような気もします。
A.A.ミルンは、「クマのプーさん」という物語で、「頭の有る人もある。無い人もある。それが世の中なんだ。」とプーさんに語らしめておりますが、今、考えると、児童物語には似つかわしくない、意味深長なセリフのように思います。
格差を是正するのは、とても難しいことだと思いました。
投稿: まさくん | 2007年3月 9日 (金) 22時27分
岩崎先生、こんばんわ。
>夜は、1時間100円のネット・カフェで背骨を折り曲げるようにして、
僕は、つい最近知ったのですが、「ネットカフェ難民」という言葉があるのですね。
「YouTube」の以下のURLに、TV番組の取材の録画が載っています。
http://www.youtube.com/watch?v=uuxuoVWgj1Y
この取材を見て、僕は、これらネットカフェ難民と呼ばれる人たちの親は、自分の子供の生活の状況について、無関心なのかな?と思いました。
また、実の両親が子供を虐待するということは、僕には、なかなか想像できませんが、大きな問題ですよね。
ネットカフェ難民という社会問題の背景には、僕は、「親が子育てを理解していない」、あるいは、「親が子供の人権、人格を無視している」という、いわば、「産み捨て」とも形容できる、「無責任な親の存在」も有ろうかと思います。
(内容はまるで異なりますが、学校の給食費を支払わない、無責任な親の問題と通ずるような気もします。)
日払いのバイトで多い職種は、倉庫内作業、仕分け、荷物搬入・搬出、梱包、積み下ろし、製本補助、事務所移転、検品、ピッキング、ラペル貼り、製造ライン作業、PC設置、イベント会場設営、建設現場などだそうですが、アマゾンなど、ネットで注文した品物の仕分け、あるいは、僕が今、集めているビール缶のキャンペーン用のシールの貼り付け作業に、ネットカフェで寝泊りしている人たちが携わっているのかもしれないと思うと、なんとも、やるせない気持ちです。
>(3)健康で文化的な最低限度の生活(日本国憲法25条)さえ営むことが出来ないという、冒頭にあげたようなワーキング・プアの問題。
人は「衣食住」が備わらなければ、健康を害するし、心もズタズタになっていきます。
ネットカフェにも入れないくらいに、収入が絶たれてしまったら、おそらく、犯罪を起こして刑務所で暮らした方がマシだと考える人が増えてくると思います。
格差を完全に無くすのは非常に難しい、ですが、貧困の撲滅は可能だと思います。
ネットカフェ難民、ワーキングプアといった言葉を死語にするために、能力は有りますが、様々な事情で経済的に困窮している方を救済するための、国営の社会施設を建設して欲しいと思いました。
投稿: まさくん | 2007年3月21日 (水) 21時51分