« 投資の定義 | トップページ | 格差問題の本質 »

2007年3月 4日 (日)

下駄を履く

上海株式市場での下落(2月27日上海総合指数は前日比▼8.84%)に端を発した世界の株式市場における水準訂正(英語ではcorrectionと報道されています)の動き。

一番ホッとしているのは、日銀の福井総裁かもしれません。

『2月21日の政策委員会・金融政策決定会合の開催が、仮に1週間遅れて2月28日だったとしたら・・・(多分とても利上げなど決断できなかっただろう)』

この間の日経平均の動きを追ってみます。

2月21日(日銀利上げ) 17,913円

2月26日           18,215円

3月 2日          17,217円

利上げ後、一部マスコミが『中小企業は悲鳴を上げている』と書きたて、これに対して、ある新聞記者の方から『本当にそうなんですか』とコメントを求められました。

企業にとってみれば、金利は安いに越したことはありませんが、利上げ後の水準(無担保コールレート、オーバーナイト物0.5%)でも、日本はまだ異常な低金利です。

誰が得をして、誰が損をするのか、分配の視点から金融政策を議論するのは必ずしも適切ではありませんが、日本の家計セクターが、本来受け取れたであろう利息が目減りしたことによる負担コストの合計(1993年からの10年間の数字)が154兆円。

中小企業の声はマスコミで取り上げられても、預金金利で細々と生計を立てるお年寄りの声は、なかなか取り上げられません。

ところで、世界的に見ても、または時間軸の観点から見ても、「異常な低金利」。 これをいつまでも続ければ、どういう弊害が起こるのでしょうか。

日銀が気にする物価への影響はもちろんですが、そのほかにも弊害は沢山あります。

一番大きいのは、本来行われるべきでない無駄な投資が行われてしまう、ということではないでしょうか。

財政に対しても、本来必要とされる discipline (規律)がなくなり、無駄な道路などがどんどん建設されてしまうといったことになりかねません。

非効率な経営をしている会社が生き続け、効率的経営、製品・サービスに対する差別化への努力を怠るようになり、国際的な競争力の無い会社に対して、競争力をつけさせようとする力が働きにくくなります。

アメリカの企業が5%で資金を調達しているの対して、日本企業が2.5%で調達するとしたら、日本企業の方が、下駄を履かせてもらって経営していることになります。

病人を健康体にする上では、超低金利というカンフル剤が必要だったのかもしれませんが、いつまでも打ち続ければ、体を壊してしまいます。

本来必要とされるのは、価値を生み出す経営。 効率的な経営を行い、製品・サービスの差別化を図って、正々堂々と外国企業と競争して勝つことです。

|

« 投資の定義 | トップページ | 格差問題の本質 »

コメント

岩崎先生、こんばんわ。

ここのところ、日経平均、大幅に下げていますよね。
僕自身は影響は軽微ですが、高値掴みをして大損を蒙ったのは、またしても弱小な個人投資家かな?という印象です。

「皆が買っているから自分も買う」といったスタンスで、目先の値動きに目を奪われて、投機に走った人は後悔と悔恨の涙を流しているように思います。

>本来必要とされるのは、価値を生み出す経営。

まさに、岩崎先生のおっしゃる通りだと思います。

僕自身は『21世紀は情報通信ネットワークが発達し、個々人は定型的なルーチンワークから解放され、人間が本来もつ創造力を生かした、クリエイティブな活動に、いっそう、取り組むことができるようになる。』などと、読みかじり&聞きかじりで、漠然と思っていました。

ですが、「不都合な真実」etc…を思い起こすと、21世紀は、さほど、輝かしい未来では無いのかな?などとと考えてしまいます。
でも、このような消極的な態度は、否定するのが正解なのでしょうね。

小さい頃に、「メトロポリス」というSFを読み、正確な内容は忘れてしまったのですが、若者たちが前向きに希望を持って生きていけば、その社会には、輝かしい未来が約束されるという結末だったと思います。

「価値を生み出す経営」を実行するためには、付加価値を生み出す人材が多数必要だし、そういう会社は、皆が協調しあって困難に挑むような、アグレッシブな社風なのだと思います。

ワーキング・プアを「死語」にし、就業機会を拡大するような政策を望んでいる人は、多数居ると思います。

投稿: まさくん | 2007年3月 5日 (月) 22時23分

まさくん様

こんばんは。「ワーキング・プア」という言葉、本当に「死語」にしたいですよね。

我々は気づかぬうちに悪弊が築き上げられるのを許してしまっているのではないか。

最近そんな風に思うことがあります。

ますます階層化し固定化していく社会。例えば、本来『談合』をチェックする側にあるはずの、マスコミ自身が、新聞休刊日を同一日に設定し、購読料もほとんど変わらない(値上げのタイミングも従来は殆ど同じ)。

我々一人ひとりが 『おかしい』 と思ったことを 『おかしい』 と言い、これを正す努力をする。

そうすれば、『若い世代の人たちが希望を持てる社会』 に近づけると思います。

投稿: 岩崎 | 2007年3月 6日 (火) 00時12分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 投資の定義 | トップページ | 格差問題の本質 »