2008年1月30日 (水)
2008年1月27日 (日)
日銀の政策金利(2)
米連邦準備制度理事会(FRB)の『ホームページ』に入りますと、いろいろな統計情報を見ることが出来ます。
例えば政策金利(intended federal funds rate)の推移は『こちら』(ご関心ある方はクリックしてみて下さい)。
2000年以降、FRBは利上げを20回、利下げを17回実施(合計37回の金利変更)。
政策金利を最大6.5%、最低1.0%のレンジで上下させてきました。
因みにこの間、日銀は1999年のゼロ金利政策を2000年に一時解除したものの2001年2月には政策金利(無担保コールレート;オーバーナイト物)を0.25%から0.15%に引き下げ、更に同年3月には量的金融緩和を開始(無担コールレートは実質ゼロ)しています。
その後、量的金融緩和政策は2006年3月に解除され、同年7月と翌年2月の2度の政策金利引き上げを経て現在の0.5%の金利に至っています。
ポイントは現在の日本経済の状況をどう見るかです。
日銀のホームページを見れば分かるように、日銀にはありとあらゆる統計データが集められています。そしてこれらのデータを基に景気動向を判断して政策金利を決定しています。
ところがこれらのデータには必ずしも現況をタイムリーに反映していないものもあります。
例えば地価動向。公示価格や基準地価は実勢価格(取引価格)を後追いする傾向にあります。
そこで不動産開発業者、不動産ファンドなどの業界関係者の話を直接聞くのが一番参考になる訳ですが、複数の関係者の話を総合すると、実勢価格は昨年までは、郊外、地方では総じて低迷。一方、東京の山手線の内側(特に港区、渋谷区、千代田区、中央区など)は引き続き上昇。
それが今年に入ってこれらの上がっていた地域でも高止まり、もしくは一部については下がり始めたという話を耳にするようになってきました。(注:これは私が日ごろ接触ある方たちの話をベースとしているだけであり、綿密な調査に基づいたものではありません。従って違っている可能性ももちろんあります。)
先週火曜日(22日)福井日銀総裁は 『国内の民間需要は、ひと言でいえば増加している』としつつも『住宅投資は改正建築基準法施行の影響から大幅に減少している』と述べました(日経金融新聞1月23日付)。
一方で、(福井総裁は)『日本の場合、金利水準が非常に低い。そのために我々は金融政策について、そこを出発点に制約があるという前提で物事を考えるという立場はとっていない。』とも述べています(日経金融新聞1月23日付)。
一部のエコノミストの間では、『日本はすでに景気後退状況』として、日銀の金融政策について『今年2月に利下げ』と予想する(三菱UFJ証券の嶋中雄二氏;日経新聞1月23日付)向きも出てきています。
私が日ごろ現場で中堅中小企業のコンサルを行ったり外資系の方々と接触したりしている中での実感(皮膚感覚)からしても、今年に入ってからの景気は昨年までとはかなり異なった様相を呈しており、日銀による適時適切な対応(利下げ)の重要性が増してきているように思えます。
2008年1月23日 (水)
日銀の政策金利
本当は昨日(1月22日)の段階で日銀が先陣を切って、
政策金利(現状0.5%)の引き下げを行うべきだったのでしょうが、
better to be late than never.
FRBに追随する形であっても、今日(1月23日)にでも日銀も利下げに踏み切った方が良いと思います。
2008年1月22日 (火)
封緘ファンド
昨日の日経平均は535円の下落(▲3.9%)。
上海、香港、シンガポール、ムンバイ(インド)の株式市場もそろって下げました。
* * *
『9時15分、日経平均は早くも500円安。
主力株はなお商いが成立せず、気配値を切り下げる。
・・・「怖くなってきた」。
準大手の株式部長が真顔でつぶやいた。
前場は棒下げで1720円安。』
* * *
これは昨日の日経金融新聞の記事ですが、昨日の株式相場を書いたものではありません。
昨日の日経金融新聞が1990年4月2日の株式相場を書いたものです。
株価が下げる時にはこんな感じで下げていきますので、こういったことも起こり得ると心の片隅に覚悟しておく必要があります。
ところでバブル(1989年)の頃に証券関係に従事されていた方々はご存知なのでしょうが、当時良く耳にした言葉に封緘ファンドというものがあります。
『国際優良株中心に○○億円』
『内需株中心に○○億円』
と大凡の指示だけしておいて、後は証券会社がそれに副って銘柄を選び、銘柄を書いた紙を封にして渡されるというもの。
5年後や10年後にその封を開けるまで、投資家(発注者)には運用結果がどうなったか分からないという仕組みです。
実際にこの種の封緘ファンドが設定されたのか、あるいは話だけで終わったのか、詳しいことは知りません。
ただ、自分がどの株に投資をしているのか知らなければ、目先の相場の動きに一喜一憂することもありません。
(注)私としてはこの種の封緘ファンドを勧めている訳ではありません。また現在の法制下でこの種のファンドが合法なのかどうかも調べていません。
要は、あまり目先の動きに捉われることなく5年先、10年先を見渡して業績が上がると思われるものに投資をしていけば、どのような相場の下でも大怪我をすることはない――
このことをお話したかったのです。
バブルのピーク時に100万円を投じて日経平均を買っていれば、今のあなたは、34万円しか手にしていません(▲66万円の損失)。
同じタイミングでトヨタを買っていればどうでしょう。
あなたは207万円を手にしています(107万円のプラス)。昨日のトヨタの株価 5260円をベースにしてもこれだけのプラスになっています。バブルピーク時の89年12月29日のトヨタの株価は2540円でしたので。(実際は毎年配られる配当金がこれに上乗せされます)。
封緘ファンドの考えには賛成できませんが、目先の動きに一喜一憂しないで5年先、10年先を見渡す姿勢は大事だと思います。
2008年1月18日 (金)
冬来たりなば春遠からじ
最近の株価下落を受けて、仕事関係でご一緒している方などからメールや電話などで質問を頂戴することが多くなってきました。
『株価はどこまで下落するのでしょうか』
『いっそのこと全部売ってしまおうと思いますが、どう思われますか』
『目をつぶって、今、買いに入るべきでしょうか』
『アメリカの株式市場以上に何ゆえ日本が大幅に下げなければならないのでしょうか』
株価がここまで安くなってきているのであれば、誰かが借金をしてでも株価の安い会社を買収して傘下に収め、その会社から上がるキャッシュフローで借金を返済する―――
本来であればM&Aがこのように機能して株価は下げ止まるようになります。
もう少し分かりやすく説明しましょう。
例えばあなたがアパートを経営していて、毎月10万円の家賃収入があるとします。
(簡便化のため税金や建物劣化などのコスト要因をここでは捨象して考えることにします。)
金利を2%と想定すると、このアパートの価値は:
(10万円×12ヶ月)÷0.02=6千万円
ということになります。
6千万円を定期預金や国債で運用しても毎月10万円の利息が得られますので、(アパート経営に内在する事業リスク等を捨象して考えれば)投資家にとってみれば、6千万円でアパートを購入して家賃収入を得ても、預金に置いて利息収入を得ても「同じ」ということになります。
さてここで景気の悪化が予想されるようになり、家賃収入が月10万円ではなく(10万円ではもはや借りてくれる人がいなくなり)、月9万円になったとします。
アパートの価値は:
(9万円×12ヶ月)÷0.02=5千4百万円
となります。
毎月の家賃は10%(10万円→9万円)減価し、アパートの価値も同じように10%減価(6千万円→5千4百万円)しました。
減価の率はどちらも10%で同じです。
さてここからが本題です。
日本の株式市場で現在起きていることはどういうことでしょうか。
それは、『毎月予想される家賃収入の減価以上に、アパートの価値が減価してしまった』ということです。
5千4百万円ではなくてアパートは3千万円になってしまった。
もうお分かりですね。
この場合、Aさんはたとえ無一文だとしても、借金をしてでも、このアパートを3千万円で購入すれば良いのです。そして毎月上がる家賃収入9万円で借金3千万円の金利(2%で、年60万円)を返済していき、更に余った金(月9万円マイナス月5万円)で元本を返済していけば良いのです。
(エクセルのスプレッド・シートで計算してみれば分かりますが、借金は徐々に減っていき10年後には3千万円の借金は2千5百万円以下にまでなります。)
すなわち予想されるキャッシュフロー(毎月の家賃収入9万円)から割り出される評価額(5千4百万円)以上にアパートが減価してしまった場合、誰かが借金をしてでもこのアパートを買収すれば、いずれ借金も全て返済できて、アパートは労せずしてこの『誰か』のものになります。
M&Aには、このようにマーケットが理論的に算出される株価以上に割り込んだ場合、(会社全体の買収が行われることによって)、株価を下支えする効果があります(別言すれば株価は、予想キャッシュフローによって理論的に算出される株価へと、『いずれは』 収斂していきます。)
しかし会社が買収されることを望まない日本、特に敵対的買収に対して拒絶反応を示す日本では、必ずしもこのような形でマーケットが機能しません。
スティール対ブルドックの判決が示すように、株主平等の原則も守られず、日本独自の資本主義のロジックが幅を効かせてしまっています。
欧米や中近東の投資家の目からすれば如何に日本株が理論株価から乖離して割安に評価されていたとしても、やはり敬遠しておいた方が無難だと映ってしまうのでしょうか。
もっとも海外の投資家も結局のところ儲かりさえすれば良いのです。すなわち日本市場に独自の障壁があろうと無かろうと、要は日本株が十分に割安になり投資家が儲かると思えば資金は流入してくるし、儲からないと思えば資金は逃げていきます。
『冬来たりなば春遠からじ』です。
日本独自の市場慣行はただ単に春が来るのを遅らせてしまっているだけです。
2008年1月 8日 (火)
燃える槍
挫折を繰り返しながらも、夢を追い続けている方への一文です。
* * *
彼のミドル・ネームは、『フセイン』だ。アメリカ人が好む名前ではない。
そして彼のラスト・ネームは、ビンラディンのファースト・ネームである『オサマ』と韻を踏む。
ケニヤから留学してきた黒人の父親とカンザス生まれの白人を母親に持つ彼は、外見的には父親の容姿を引き継いだ。
彼は幼い頃に図書館で見た『ライフ』誌の中に、自分の肌を脱ぎ捨てようとした黒人男性の写真を見つけ、衝撃を受けた。
図書館から自宅に戻り、洗面所に行き、鏡の前に立ってみた。
次第に彼は気がつき始める。『アイ・スパイ』に出てくるビル・コスビーがいつも女の人に振られてしまうことや、『スパイ大作戦』の黒人男性がいつも地下で活動していることに。
学校で。
『あなたのお父さんはどこの部族の出身か知っている?』という先生の問いにクラスの子供たちが笑った。
10歳の彼はやっとの思いで『ルオ族』と答える。するとクラスの男の子がサルの鳴き声のような声で『ルオ、ルオ』と繰り返し、女の子は彼の髪の毛を触りたいと言い出した。
『君のお父さんは人を食べるのか』と聞いてきた子もいた。
彼が2歳の時、彼の父親は、彼と彼の母をアメリカに残し、ケニヤに帰っていった。(父親はその後再婚した)。
彼の母はその後インドネシア人と再婚し、彼が6歳の時、一家はインドネシアに移り住んだ。彼は10歳になるまでインドネシア現地の学校に通った。(その結果、彼は今でもまずまずのインドネシア語を話す。)
彼がまだ10代の頃、彼の二番目の(インドネシア人の)父親と母親は離婚してしまう。そして彼が34歳の時に彼の母親は他界した。
彼の言葉だ。
『私は日々、自分の娘たちの中に、好奇心旺盛な母の姿や、母の喜びを見出している。母を失った悲しみが、今もどれほど深いかをここで述べることはしない。ただ分かっているのは母ほど心優しく、寛大な人を私は他に知らないということ、それから私の良いところはすべて母譲りだ、ということである。』
『私はさまざまな弱者の絶望と混乱を目のあたりにしてきた。ジャカルタやナイロビのストリートで暮らす子どもたちは、シカゴのサウスサイドで暮らす子どもたちと同じように、将来への希望を失っている。』
2000年の下院選で惨敗した彼はこうも述べている。
『私は自分の選んだ道に疑念を抱き始めた。役者やスポーツ選手が直面するに違いない葛藤に見舞われたのだ。特別な夢を何年も追いかけ、ウェイターやウェイトレスをしながらオーディションを受けたり、マイナーリーグでどうにかヒットを打ってきたあと、ふと気がつく。才能や運がなければたどり着けない世界のまわりを、自分はただうろうろしているだけではないのかと。』
アイオワ州の民主党党員集会で圧倒的勝利を収めた彼はあと数時間でニューハンプシャー州の予備選結果を迎える。
バラク・フセイン・オバマ。
彼を大統領候補に選ぼうとしているアメリカという国の凄さに私は改めて驚愕する。
挫折を繰り返しながらも、夢を追い続けている方へ。彼が書いた『マイ・ドリーム』と『合衆国再生』という本はどちらも勇気を与えてくれる本です。(このブログのタイトルである『燃える槍』の逸話も彼の書いた本に出てきます。)
2008年1月 3日 (木)
2008年1月 2日 (水)
新春に想う
正月休みにDVDで何本か映画を観ました。観終わって余韻に浸りながらエンド・クレジットのところを眺めていますと、実にたくさんの人々が映画の製作にかかわっていることに驚かされます。
映画を創るということは、プロデューサーたちが製作に必要な人を集めて、あたかも一つの会社を興すが如く作業を進めていくことです。『業を興す』ことが凝縮されているような側面があります。
『業を興す』-これは、人を雇い、結果として人々に雇用・生活の糧を提供し、世の中に対して『価値あるもの』(製品・サービス)を送り出していくことです。
私が学生時代に就職先として日本興業銀行を選んだのも、こういった業を興すことに係わっていきたいと思ったからにほかなりません。
そして私はこれまで金融の世界を通じて業を興すことに関与してきましたが、一方で、会社を駄目にしていく経営者たちも随分たくさん見てきました。
ビジネスは戦争ですから、戦国時代の大河ドラマのように、駄目な領主(経営者)のもとでは、国(会社)はどんどん競争力を無くし、人を雇うどころか、人を切る(人員削減)とか派遣に頼る(人件費削減)ことに追い込まれていきます。業を興すとは全く逆のスパイラルで価値が破壊されていきます。
結果的に倒産してしまった会社、あるいは禿たかに食われるが如く他社に買収されてしまった会社を私はこれまでに多く目撃してきましたが、最後に一番辛い思いをさせられるのは末端で働いている従業員の方たちです。
そういった意味で経営者の責任は重大だと思います。
ところで現在私が代表を務めるインフィニティという会社は大きく分けて2つの業務内容を持っています。
一つは経営コンサルタント業務で、顧客である会社の経営者の方たちと一緒になって価値の創造・競争力の強化について考えます。
もう一つはベンチャー・キャピタル機能で、それも極めて初期のエンジェルとしての投資です。こちらは多くの場合、まさに出発点、ゼロから企業を興すところに係わるものです。
そしてインフィニティの特徴は、これらの業務を行うに際して、その時々に応じて必要なプロ達が外部から集まって業務を遂行することにあります。いわば映画が作られる際に、『カメラは▽▽に、CGは△△、スタントは◇◇に・・』とそれぞれが集まって仕事にあたるのと同じような形態です。(旧来型の固定的な会社組織に慣れた方たちにはチョッと分かりにくいかもしれませんが・・)。
設立して5年を迎えますが、引き続き『業を興すこと』、『価値の創造』に寄与していきたい。新春を機にそういった想いを強くしました。