燃える槍
挫折を繰り返しながらも、夢を追い続けている方への一文です。
* * *
彼のミドル・ネームは、『フセイン』だ。アメリカ人が好む名前ではない。
そして彼のラスト・ネームは、ビンラディンのファースト・ネームである『オサマ』と韻を踏む。
ケニヤから留学してきた黒人の父親とカンザス生まれの白人を母親に持つ彼は、外見的には父親の容姿を引き継いだ。
彼は幼い頃に図書館で見た『ライフ』誌の中に、自分の肌を脱ぎ捨てようとした黒人男性の写真を見つけ、衝撃を受けた。
図書館から自宅に戻り、洗面所に行き、鏡の前に立ってみた。
次第に彼は気がつき始める。『アイ・スパイ』に出てくるビル・コスビーがいつも女の人に振られてしまうことや、『スパイ大作戦』の黒人男性がいつも地下で活動していることに。
学校で。
『あなたのお父さんはどこの部族の出身か知っている?』という先生の問いにクラスの子供たちが笑った。
10歳の彼はやっとの思いで『ルオ族』と答える。するとクラスの男の子がサルの鳴き声のような声で『ルオ、ルオ』と繰り返し、女の子は彼の髪の毛を触りたいと言い出した。
『君のお父さんは人を食べるのか』と聞いてきた子もいた。
彼が2歳の時、彼の父親は、彼と彼の母をアメリカに残し、ケニヤに帰っていった。(父親はその後再婚した)。
彼の母はその後インドネシア人と再婚し、彼が6歳の時、一家はインドネシアに移り住んだ。彼は10歳になるまでインドネシア現地の学校に通った。(その結果、彼は今でもまずまずのインドネシア語を話す。)
彼がまだ10代の頃、彼の二番目の(インドネシア人の)父親と母親は離婚してしまう。そして彼が34歳の時に彼の母親は他界した。
彼の言葉だ。
『私は日々、自分の娘たちの中に、好奇心旺盛な母の姿や、母の喜びを見出している。母を失った悲しみが、今もどれほど深いかをここで述べることはしない。ただ分かっているのは母ほど心優しく、寛大な人を私は他に知らないということ、それから私の良いところはすべて母譲りだ、ということである。』
『私はさまざまな弱者の絶望と混乱を目のあたりにしてきた。ジャカルタやナイロビのストリートで暮らす子どもたちは、シカゴのサウスサイドで暮らす子どもたちと同じように、将来への希望を失っている。』
2000年の下院選で惨敗した彼はこうも述べている。
『私は自分の選んだ道に疑念を抱き始めた。役者やスポーツ選手が直面するに違いない葛藤に見舞われたのだ。特別な夢を何年も追いかけ、ウェイターやウェイトレスをしながらオーディションを受けたり、マイナーリーグでどうにかヒットを打ってきたあと、ふと気がつく。才能や運がなければたどり着けない世界のまわりを、自分はただうろうろしているだけではないのかと。』
アイオワ州の民主党党員集会で圧倒的勝利を収めた彼はあと数時間でニューハンプシャー州の予備選結果を迎える。
バラク・フセイン・オバマ。
彼を大統領候補に選ぼうとしているアメリカという国の凄さに私は改めて驚愕する。
挫折を繰り返しながらも、夢を追い続けている方へ。彼が書いた『マイ・ドリーム』と『合衆国再生』という本はどちらも勇気を与えてくれる本です。(このブログのタイトルである『燃える槍』の逸話も彼の書いた本に出てきます。)
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コメント
岩崎先生、いつも勉強させていただいております。ありがとうございます。
オバマ候補がそのような運命を乗り越えてきたのを初めて知り、そしてまた励ましをいただいた想いです。(不勉強でスイマセン)
オバマ候補が大統領になったらアメリカは変わりますね期待がもてます。
投稿: youichi | 2008年1月10日 (木) 19時43分