« メドゥーサ(その10) | トップページ | メドゥーサ(その12) »

2008年5月13日 (火)

メドゥーサ(その11)

MEDUSAという言葉で表されるイスラムの世界。

実は見方によっては戦前の方が、日本とイスラムの世界が近い関係にあったということは意外と知られていません。

司馬 遼太郎の『十六の話』 (中公文庫;1997年)には、井筒俊彦との対談「二十世紀末の闇と光」が収録されています。

アラビア語、ヘブライ語、ギリシャ語など20カ国語を習得し、イスラム思想を研究していた井筒俊彦は、司馬 遼太郎をして、『二十人ぐらいの天才らが一人になっている』と言わしめた人です。

井筒は、イブラヒムという日本に亡命していたトルコ人にアラビア語を習ったと言いますが、司馬 遼太郎との対談の中で、次のように述べています。

『(イブラヒム)はパン・イスラミズム運動の領袖の一人だったんです。日本の軍部と結びついて、その助けで、トルコを中心として往年のイスラーム帝国を再建しようとしていた。

ヨーロッパ諸国の植民政策によって四分五裂してすっかり無力になってしまったイスラーム諸国を統合し、またサラセン帝国の栄光に戻そうというイデオロギーで・・。

それで、頭山満とか右翼の主な人と親しく、軍部の人たちとしょっちゅう会合して、何か計画を練っていたらしいんです。』

イビラヒムが最初に日本にやってきたのは1909年。

ロシア帝国のイスラム政策に反対し追放されていた彼は、日露戦争(1904-1905)に勝った日本に共感し、大隈重信、伊藤博文、頭山満、犬養毅などに会っていたとのことです(海野弘『陰謀と幻想の大アジア』平凡社)。

司馬 遼太郎との対談で、井筒は、大川周明とのつきあいについても語っています。

『オランダから『イスラミカ』という大叢書・・と手に入る限りの文献を全部集めて、それをものすごいお金で買ったんです。』

東京裁判に出廷した唯一の民間人被告であった大川周明は精神障害と診断され、入院中に以前よりの念願であったコーラン全文の翻訳を完成させたと言われています。

一方の井筒はアラビア語を習い始めて一ヶ月でコーランを読破したといいます。

そして彼もまた1958年にコーランの邦訳を完成させています。

戦前の日本がイスラムの世界と近い関係にあったのは、軍部の思惑と無縁ではありません。

しかし井筒俊彦、大川周明などイスラムの魅力に魅せられた思想家、研究者たちが果たした役割も非常に大きなものであったように思えます。

|

« メドゥーサ(その10) | トップページ | メドゥーサ(その12) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« メドゥーサ(その10) | トップページ | メドゥーサ(その12) »