iPad : マーケットはどう見たか
きちんと調べてから書けば良いのでしょうが、私の記憶では iPod にしても iPhone にしても、それが発表された翌日には、株式市場(アップルの株価)はあまり動かなかったように思います。
きちんと調べてから書けば良いのでしょうが、私の記憶では iPod にしても iPhone にしても、それが発表された翌日には、株式市場(アップルの株価)はあまり動かなかったように思います。
昨日ご紹介したスティーブ・ジョブズによる 「iPad 紹介のプレゼンテーション」。
実際のプレゼンは、1時間33分に及ぶものです。
その全ては『こちら』でご覧になれます。
(クリックした後、画面に現れる3つのボタンの何れかを更にクリックしてください。なお、プレゼンの途中、ジョブズではなくアップル社幹部の人々が説明する箇所も何箇所かあります)。
1月13日のブログ記事でご紹介した 『Earthwatch』。
2週間、南アフリカに行ってきた友人が漸く帰国して、メールとともに現地で撮った子供たちの写真を送ってくれました。
以下、彼の了解を得て、下記にメールと写真を添付します。
* * *
23日に無事に帰国しました。
22時間の搭乗時間、30時間に及ぶ移動時間、現地での苦手な英語での生活と結構疲れましたが、とてもEXCITINGな時間を過ごして来ました。
途中一日だけ、現地の小学生と高校生に、Wildlife、自然保護等に関するレクチャーをする機会がありましたが、子供たちの60%くらいが孤児であり、親をHIVで失っているという事実には驚きました。
祖父母が育てているようです。
また、アフリカの野生も電気の柵で守られていないと、一気に崩壊するような危機感を感じました。
* * *
(1)クライナー・パーキンス・コーフィールド・アンド・バイヤーズ
正式名は、Kleiner Perkins Caufield & Byers
1980年代、富士通は米国のフェアチャイルド・セミコンダクターを買収しようとしたことがあります。
この時、米国政府が「半導体産業の産みの親とも言うべきフェアチャイルドを買収するなんて・・」と買収に反対し、このディールは頓挫(1986年)。
ところで、「半導体産業の産みの親」とも言うべき、このフェアチャイルド社は、ショックレー研究所で働いていた技術者のうち8人が、独立・起業して1957年に興した会社です。
この8人の中には、日本でも(半導体関係者の間では)有名な Gordon Moore、Robert Noyce、Eugene Kleiner などがいます。
ベンチャー・キャピタルとして著名なクライナー・パーキンス・コーフィールド・アンド・バイヤーズは、フェアチャイルド設立から15年後の1972年、上記のEugene Kleinerほか3名によって興されました
(創業メンバーは、Eugene Kleinerを初めとして、ヒューレット・パッカードで活躍していたTom Perkins、さらにはFrank Caufield、およびBrook Byers)。
彼らはこれまでに次のような会社の初期段階で投資し、これらの成長を支援してきました。
Amazon
American Online (AOL)
Compaq
Fextronics
Genetech
Lotus
LSI Logic
Macromedia
Netscape
Segway
Sun Microsystems
Tandem
クライナー・パーキンス・コーフィールド・アンド・バイヤーズのホームページは『こちら』。
彼らは世界で3箇所に拠点を有しています(アメリカのシリコンバレー(メンロー・パーク)と中国、上海、北京です)。
(2)セコイア・キャピタル
正式名は、Sequoia Capital
クライナーと同じく、1972年に設立。
後にフェアチャイルド・セミコンダクター(上記)を買収することになるナショナル・セミコンダクター社は1959年に Sperry Rand Corporation で働いていた技術者のうち8人が独立・起業して興した会社(注:フェアチャイルドの創業に似ています)。
この8人のうちの1人である Don Valentine が興したのがセコイア・キャピタルです。
これまでセコイアは次のような会社の初期段階で投資し、これらの成長を支援してきました。
Apple
Cisco
Flextronics
LSI Logic
RockYou
Yahoo!
YouTube
セコイア・キャピタルのホームページは『こちら』になります。
(3)コスラ・ベンチャーズ
正式名は、Khosla Ventures
サン・マイクロシステムズはスタンフォード大学のビジネス・スクールを1980年に卒業したビノッド・コスラと彼の同級生スコット・マクネリーほか2名によって設立されました。
このうちコスラは最初にサンのCEOになり、1985年には退社。86年には上記のクライナー・パーキンスに移り、ベンチャー・キャピタリストとして活躍してきましたが、2004年、自らの投資会社、コスラ・ベンチャーズを設立。
彼は1500億円とも言われる個人資産の大半をコスラ・ベンチャーズに投下、しかも当初コスラ・ベンチャーはLP(Limited Partners)相手の大規模なファンドレイズ(資金調達)は行わずに、ほとんど彼の資金だけを投資原資としていたということで話題を呼びました(詳しくは『こちら』 )。
コスラ・ベンチャーズのホームページは『こちら』です。
なおコスラ・ベンチャーズについては『こちら』も参考になると思います。
* * *
もちろんシリコン・バレーには上記のほかにも数多くのベンチャー・キャピタルがあります。
これらシリコンバレーのベンチャー・キャピタルは、大学の教授、研究者、ビジネス・スクールの学生たちと密接にコンタクトしながら、次の時代を牽引する第2、第3のグーグルやアップルを産み出すべく尽力しています。
実際にどんな動き方をしているのか。『こちら』の記事が参考になると思います。
来週1週間だけで、米ダウ平均株価に採用されている銘柄(全部で30社)の3分の1以上の会社、そしてS&P500銘柄のおおよそ4分の1の会社が、第4四半期の業績を発表します(詳しくは『こちら』)。
特に注目されているのは、ボーイングやキャタピラーの業績がどうなったかですが、25日(月曜日)に発表される予定のアップルの業績にもマーケットは関心を寄せています。
もっともアップルの場合はそれだけではありません。
27日(水曜日)には、サンフランシスコで新製品の発表が予定されています。噂では10~11インチのタブレットPC(800~1000ドルの価格帯)になるのではないか、とのことですが詳細は分かっていません。
下記の絵は、『アップルのある熱狂的なファンが想像するイメージ』として FoxNews.com に載っていたものですが、アップルは情報コントロールを徹底させていて、詳しいことは伝わってきていません。
一番最新のウォールストリート・ジャーナル紙の記事(『こちら』)は、アップルはかつてアイポッドが音楽のマーケットを変えたように、この製品で、出版(新聞、雑誌、教科書)やテレビの業界を変えようとしているのではないかと報じています。
昨年の9月以降、公の席には姿を現していないスティーブ・ジョブズが、27日(水曜日)には自ら登壇して新製品を発表するのではないか、マーケットはそんなことも期待しています(詳しくは、『こちら』のビデオ(英語ですが)をどうぞ)。
今日、19日、日本航空が会社更生法の適用を申請します。
もう30年以上前のことになりますが、スタンフォード大学のビジネス・スクールに留学していた時に、サウスウエスト航空のことを知りました。
『サウスウエストなんて聞いたことがない』という方が日本では多いかもしれませんが、
実は乗客数で世界1位の航空会社です (くわしくは『こちら』)。
1位 サウスウエスト (102百万人)
2位 アメリカン (93百万人)
3位 デルタ (72百万人)
ちなみにドイツのルフトハンザは8位、フランスのエールフランスは9位。
日本航空も全日空もトップ10には登場しませんが、乗客数はどちらも約50百万人。
(注:旅客キロ数では世界1位はアメリカン、サウスウエストは世界8位)
なお世界の航空会社のこうしたデータは、『IATA』 が発表しているのですが、『こちら』の頁でかなり分かりやすくまとめています。
ぜひご覧になってみて下さい。
さてサウスウエスト航空の株価はこんな具合に推移してきています(↓)。
現在時価総額約8000億円。
全日空(7000億円)を上回ります。
アメリカの航空会社なので、『従業員はリストラされて大変なのでは』と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
あに図らんや、サウスウエストは従業員の解雇やレイオフを行わない会社として有名です。
米国のビジネス誌フォーチュンは同社を「アメリカで最も働き甲斐のある会社」(Best Companies to Work For)と評価したことがあります(1997年、98年は全米1位。99年、2位。2000年、4位。以降、同社はこの調査に参加せず。詳しくは『こちら』)。
同社が成功している要因についてはいろいろ語られていますが、 『こちら』の本に詳しくまとめられています。
【注】ちなみにこの本は、経営の本としても参考になると思います。エクセレント・カンパニーの著者、トム・ピーターズが『今年はビジネス書を1冊しか読むひまがないという人には、ぜひ本書を推薦したい』と序文を寄稿しています。
アマゾンのブックレビューには次のようなコメントもありました。
「米国企業は株主主権、日本企業は従業員主権」などという薄っぺらな固定観念が、粉々に砕け散る本だ。読んでいて小躍りしたくなった。・・」
* * *
『航空会社は経営のやり方で凄く差がつく。こんな面白い業界はない』
これはTPGの創業者ボンダーマン氏と会ったときに彼から聞いた言葉です。彼と会ったときのことは、拙著『M&A新世紀』に書きました(38~39頁)。
先週火曜日、Bloomberg News は全米67のビジネススクールのMBA候補生6,207人に対するアンケート調査結果を報道(詳しくは『こちら』)。
就職希望(most desirable place to work)で1位から4位となった会社は:
1位 グーグル
2位 マッキンゼー(コンサルタント)
3位 ベイン(コンサルタント)
4位 ゴールドマン・サックス
米国社会からの金融機関に対する批判にもかかわらず、このように投資銀行(ゴールドマン・サックス)は就職先として根強い人気を維持しています。
米国の金融機関6行で、2009年の業績に対応する形で支払われる賞与(Total Executive Compensation)は14兆円にのぼり、史上最多となった2007年(15兆円)に迫る勢いを示しているといいます(詳しくは『こちら』)。
このような情勢下、オバマ大統領は次のように述べて銀行に対する課税強化を打ち出しました(詳しくは『こちら』)。
『ほとんどの金融機関は公的資金を返済してくれた。これは良いニュースだ。しかし私としてはそれで十分だとは思っていない。我々は納税者の金を取り戻したい。最後の10セントに至るまで回収するつもりだ』
外資系投資銀行で働いていた時にはよくグローバルなベースでチームを組んでいました。
IBMでガースナー会長のすぐ下で戦略・企画を担当していて投資銀行に引き抜かれて来た中国系アメリカ人のZさん。
ニューヨークの彼の下で、非常に良く働いていたイタリア人のMさん。
そういったチームの人たちからは今でもクリスマスカードとかNew Year's Card が届きます。
2007年、Mさんが日本に来たときの話はこのブログにも書きました(『こちら』と『こちら』)。
Mさんのいるイタリアも日本と同じように国債発行残高が積み上がり、ベルルスコーニ首相に関しては次から次へとスキャンダルが(日本の政治家とは違った種類のスキャンダルですが・・)報じられています。
さらにイタリア政府が株式の約半分を保有していたアリタリア航空は、2008年会社更生手続きに入り、翌年同国2位のエアワンと統合させられています(そういった意味でなんとなく我々日本人にとって親近感が湧く国です)。
ところで、リーマンショックの影響で世界の人々の嗜好も、イタリアの高級ブランドからスウェーデンのH&Mのようなものへと変化してしまったのではないか、この結果イタリア人は元気を無くしているのかと思っていましたが・・・。
あに図らんや、『イタリア』という国の名前を付けたクルマが登場し、これを特集した、思いっきり派手な雑誌が先日ヨーロッパから送られてきました。
エヴァンゲリオンみたいでカッコいい!
萎縮することなく前に進む力強さ、陽気さ・・・『イタリア』を体現したようなクルマです。
(『こちら』をクリックして少し待つと再生ボタンが出てきます。そこを押すと動画になります)。
テレビ東京の『世界を変える日本人』でやっていたのですが、マドンナのツアーダンサー、Kento Mori に対して2009年、マイケル・ジャクソンのロンドン公演のオーディション話が飛び込んで来たといいます。
Kento はマドンナとの契約金を返上する覚悟でマイケルのオーディションにチャレンジ。
そして彼はナンバー・ワンの成績でマイケルに選ばれます。
しかし Kento がマイケルのロンドン公演に参加するには、マドンナとの契約の問題を解決しなければなりません。
このためマイケル本人がマドンナ本人に直接電話をし、「Kentoを使わせて欲しい」と交渉しましたが、結局認められなかったとのこと。(従ってKento はマイケルの映画 THIS IS IT ! には登場しません)。
マイケルの死後、約1週間後に催された、マドンナによるロンドンコンサート(昨年7月4日)。
マドンナは直前に急遽プログラムを変更し、マイケルのために捧げるコーナーを特に設けました。そしてKento にこう話したと言います。
「Kento、あなたがマイケルをやるのよ」
『これ』がその時の映像です。
* * *
【第一フェイズ】
生産やサービス提供の拠点として使う。インドにコールセンターを設置。中国に現地の安価な労働力を使う生産拠点を設立するなど。
【第二フェイズ】
中国やインドをマーケット(顧客)と捉える。中国には個人資産1億円以上を持つ人が5000万人いるとも言われています(『こちら』)。
日経平均採用銘柄(225社)のなかで去年最も株価(時価総額)を上げたのは日産です(333円→810円。約2.4倍)。
これは中国の需要を同社が取り込むことに成功したからともいえます。
【第三フェイズ】
中国やインドの優秀な人材を日本に呼び込む。アメリカ政府はインドの優秀な大学生をターゲットにアメリカの大学院にきたらどうかとテレビCMまで作って呼び込みを強化しています。
スタンフォード大学ビジネススクールの一学年365名のうち、日本人3人、韓国人7人、中国人15人弱、インド人20人強。(その他中国系アメリカ人、インド系アメリカ人などを入れると全体の2~3割がアジア系。)
グーグルを作った1人、セルゲイ・ブリンはロシア系ユダヤ人(モスクワ生まれ)。ヤフーを作った1人、ジェリー・ヤンは台湾生まれ。サンマイクロを作った1人、コスラーはインド出身(『こちら』)。
アメリカはこのように優秀な海外の人を自国に呼び込み、彼らに会社を興させ国としても発展してきました(グーグルやヤフー、サンマイクロ、クーライリス、コスラー・ベンチャーなどが無いアメリカって・・・、国としての魅力が結構半減します)。
日本も中国やインドを単なる安価な労働が得られる生産拠点とか自社製品のマーケットとして捉えるだけでなく、彼らの人的パワーを活かすことを考える段階に来ているように思います。
高校時代の友人が Earthwatch という NGO のメンバーで、南アフリカに2週間行くというので、先週その壮行会がありました。(彼はいま南アフリカのテントのような簡易宿泊所にいるはずです)。
* * *
さてEarthwatch から話はだいぶそれてしまいますが、最近新興国に対する日本の投資家の関心が高まっています。
東洋経済の先週号はアフリカ特集。
これ一冊でアフリカのことがかなり分かります。
証券会社に勧められて新興国を投資対象とするファンド(投資信託)などを買う前に実際に現地に行ってみるとか、あるいは最低限この種の本や雑誌を読んで勉強することをお薦めします。
昨日の日経ヴェリタストーク(日経CNBC)(おそらく今日再放送されると思います)ではナイジェリアが取り上げられました。
たとえばナイジェリアの原油産出・生産に大きくかかわってきたシェルはナイジェリアから撤退する方向で考えているといいます(詳しくは『こちら』)。
こういったニュースはなかなか日本の新聞や雑誌には伝わってきませんので、新興国投資に際しては、海外のマスコミ報道にも注意を払う必要があります。
Steve Jobs のスピーチ。 前回からの続き(第6回)です。 これで最終回になります。
* * *
あなたたちの時間は限られている。
だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にしてはいけない。
他の人たちの考えた結果とともに生きていくという教義に惑わされてはいけない。
他の人たちの意見という雑音によって、自分の内面から生じる声を消されないようにしないといけない。
そして最も重要なことだが、自分の心や直感に従って行動するという勇気を持つことだ。
心や直感は、どういうわけかあなたが本当になりたいことを既に知っているんだ。
だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。
私が若い頃、"The Whole Earth Catalog(全地球カタログ)"という素晴らしい出版物があった。私の世代のバイブルの一つだった。
これはここからそう遠くないメンローパークでスチュアート・ブランドという人によって製作されたもので、彼の詩的なタッチによって生き生きしたものに仕上がっていた。
60年代後半のことだったので、パソコンやデスクトップによる印刷が普及する前のことだ。したがってそれはタイプライターとはさみ、そしてポラロイドカメラで作られていた。
それはペーパーバック版のグーグルのようなものだった。グーグルが出現する35年前のことだが・・。その出版物は理想主義的で、素敵な道具と偉大な考えで溢れていた。
スチュアートと彼のチームは The Whole Earth Catalogue を何号か出した後、やがて最終号を出した。
70年代半ばのことだ。
当時、私は今のあなたたちと同じ年頃だった。
最終号の裏表紙には、朝早い田舎道の写真が載っていた。
冒険の好きならそこでヒッチハイクでもしていそうな、そんな写真だ。
その写真の下にはこんな言葉があった。
「Stay Hungry, Stay Foolish.(ハングリーであれ。利口ぶらずに馬鹿げたことでも熱狂しろ)」。
それが出版を取りやめるに際して彼らが残したお別れのメッセージだった。
Stay Hungry. Stay Foolish.
私自身、常にそうありたいと願ってきた。
そして今、卒業して新たな一歩を踏み出すあなたたちに私は同じ言葉を贈りたい。
Stay Hungry! Stay Foolish!
* * *
【注】このスピーチ(2005年)の後、Jobs は健康問題を抱えながらも次々と画期的な製品を世に送り出した。Apple TV、iPod Touch、iPhone・・・。そして2010年1月4日、Wall Street Journal紙は、タブレット・デバイスがこの3月にも出荷されると報じた(『こちら』)。20歳でアップルを立ち上げてから35年、Jobsほど不屈の精神で革命的製品を世に出し続けた人はいないだろう。
Steve Jobs のスピーチ。 前回からの続き(第5回)です。
* * *
主治医は私に、家に帰ってやるべきことをきちんと片付けるよう、助言した。
これは医師の世界では「死への支度をしろ」という意味の言葉だ。
それは自分の子どもたちに今後10年間の間に言っておこうと思っていたことを、今後たった数ヶ月間で全て伝えきるということだ。
それは自分の家族が出来るだけ楽になるよう全てを整えるということだ。
そしてそれは「さよなら」を言うということだ。
私はその診断結果をまる一日抱えて過ごした。
その日の晩、私は生体組織検査を受けた。喉から内視鏡を入れて胃を通過させて腸内に入り込ませた。そしてすい臓に針を入れ、腫瘍から細胞を幾つか採取したんだ。
私は鎮静剤を与えられていたのだが、妻はその場にいて、後でその時の状況を私に話してくれた。医師たちが顕微鏡で採取した細胞をのぞいたとき彼らは泣き出したという。
私の癌は、すい臓癌としては極めて稀なタイプのもので手術で治せるものだ、そう分かったからだ。
私は手術を受け、今はこうして元気でいる。
これは私が生きてきた中で最も死に近づいた出来事だ。そしてあと数十年は、この時の出来事こそが最も死に近づいた出来事だ、そういう状態であり続けて欲しい。
以前の私にとって死は役に立つ概念ではあったが頭の中での概念に過ぎなかった。しかし実際に死に近づくことを経験したからこそ、私は確信を持ってこう言える。
誰も死にたくはない。
天国に行きたいと願っている人ですら、そこに行くために死にたいとは思わない。
しかし死は我々誰もが共有する終着点だ。
そこから逃れられた人はこれまでに誰一人としていない。
そしてそれは、そうあるべきことなのだ。
というのは死はおそらく生が生んだ唯一の最高の発明品だからだ。
それは生の変更代理人(チェンジ・エージェント)だ。
それは古いものを一掃して新しいものが登場するための道を作ってくれる。
今、新しいものと言ったら、それはこのスピーチを聞いているあなたたち卒業生のことだ。
しかしいつか遠くない将来、あなたたちもやがて年を取り、一掃されることになる。
劇的な話で申し訳ないが、これが事実なんだ。
* * *
続きは次回にします。
【注】Jobs のこのスピーチは、2005年のものです。前年の2004年にすい臓癌を患い手術をした後、2006年8月、アップル社主催の世界ソフトウェア開発者会議に Steve Jobs は、げっそりとやせた姿で現れました。そして彼の健康問題に関して数々の憶測が飛びかいました(詳しくは『こちら』)。
2009年1月、Jobs は、6ヶ月間会社を休み健康問題に専念すると発表。同年4月彼は肝臓移植の手術を受け、同年6月にアップルのCEOとして会社に復帰。同年9月、ニューヨーク・タイムス紙は復帰後のJobs とのインタビュー記事を報道しました(詳しくは『こちら』)。
Steve Jobs のスピーチ。 前回からの続き(第4回)です。
* * *
今回のスピーチでは冒頭、「3つのことを話す」と言って話を進めてきた。
さて第3番目は、死に関する話だ。
私が17歳の時、こんな言葉をどこかで読んだ。
「毎日、これがあなたにとって人生最後の日だと思って生きる。実際にその通りになる。誰にもいずれは必ず人生最後の日というのがやってくるのだ」。
この言葉は私に強烈な印象を与えた。
そしてそれから現在に至るまでの33年間、私は毎朝鏡を見て自分自身にこう問いかけてきた。
「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やろうとしていることを私は本当にやりたいだろうか」。
この質問に対する答えが「ノー」の日が何日も続くと、私は何かを変える必要があると思うようになってくる。
自分は遅かれ早かれ「何れは死ぬ」、そのことを思い出す ― これは私が人生で重要な選択を迫られ決断を下すときに、もっとも役にたった方法だった。
というのは、ほとんど全てのこと、それが外部からの期待であれ、己のプライドであれ、恥ずかしい思いや失敗に対する恐怖であれ、そういったもの全てが、死の前には意味を持たなくなる。消え失せてしまうのだ。そして真に重要なものだけが後に残る。
自分もいつかは死ぬということを思い出す ― このことは、自分は何か失うものがあるんじゃないかと思ってしまう「わな」に陥るのを避ける最善の方法だ。
我々は失うものがあると恐れる必要などは何もない。もうすでに素裸なんだ。
自分の心が導くままに生きる ― そうしない理由などどこにもないはずだ。
今から1年ほど前の2004年、私は癌と診断された。
朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていた。
私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。
医師たちは私に、「これはほぼ確実に、ある特別なタイプの癌であり、それは治療不能だ」と言った。
残された命は3ヶ月から長くても6ヶ月、それ以上は期待できないとのことだった。
* * *
続きは次回にします。
Steve Jobs のスピーチ。 前回からの続き(第3回)です。
* * *
その時には分からなかったことで、今になって初めて分かることがある。
それはアップルをクビになったことが、自分の人生にとって最も良い出来事だったということだ。
成功者であることの重み、それがもう一度初心者になるということの軽さに代わった。初心者、すなわち、あらゆる事に対して前ほど自信を持てなくなったのだが。
アップルをクビになったことで、私は自由になれ、自分の人生で最もクリエイティブな時期に入ることが出来た。
この後の5年間で私はネックスト(NeXT)という会社を始め、さらにもう一つピクサー(Pixar)という会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は私の妻になった。
ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画「トイ・ストーリー」を創り、今や世界で最も成功しているアニメーション・スタジオになっている。
さらに驚くべき展開が起きた。アップルがネックストを買収することになり、その結果、私はアップルに戻ったんだ。
われわれがネックストで開発した技術は、今のアップルの輝かしい成功の中核を占めるに至っている。
そして妻のロレーヌと私は素晴らしい家庭を持っている。
確かなことは、もし仮に私がアップルをクビになっていなかったら、こうした事は何ひとつ起こらなかっただろうということだ。
アップルをクビになったということは私にとって非常に苦い薬だった。
しかし私という患者はそれを必要としていたんだと今になってみると思う。
時として人生は我々の頭をレンガで殴りつける。
しかし信念を失ってはいけない。
私が困難にもめげずにやってこれたのは、煎じ詰めれば、自分のやっていることが好きだったからだ。
あなたたちも自分がやって好きなことを見つけなければならない。
好きだということ、愛するということ。恋人に対してそういう感情を持つのと同じように、仕事に対しても、好きだということ、愛するということが重要だ。
あなたたちにとって仕事が人生に占める割合は大きい。したがって人生に真に満足できる方法はただ一つ。あなたが素晴しいと信じる仕事をやることだ。
そして素晴らしい仕事をする方法はただ一つ、自分のしていることが好きで愛せなければならない。好きなことを仕事にすることだ。
もしまだ好きなことが見つかってないなら探し続けることだ。
妥協してしまって好きでもない仕事に就いてはいけない。
好きということは心が感じることだから、全ての心が感じることがそうであるように、どんな仕事が好きかということは自然と分かる。 あなたが好きな仕事に出会えば、あなたは自ずとそのことが分かるようになる。
そして好きということがベースにある関係は、それが仕事とあなたとの関係であっても、あたかも恋愛関係のように、年が経過するごとにどんどん良くなっていく。
だからそういった仕事に出会うまで探し続けることだ。
好きでもない仕事で妥協してしまってはいけない。
* * *
続きは次回にします。
アップルのスティーブ・ジョブズに関しては多くの本が書かれていますが、
が一番面白いと思います。
(Steve Jobs のスピーチ。前回からの続きです)。
* * *
2番目の話は、「愛」と、「喪失」に関しての話だ。
私は幸運だった。
自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができた。
私が20歳の時に、私は親友のウォズ(Steve Wozniak)と2人で、私の両親の家のガレージ(車庫)でPCを作ることを始めた。これがアップルのスタートだ。
我々2人はがむしゃらに働いた。その結果、2人がガレージで始めた会社は10年して、従業員4,000人以上、売上20億ドル(1,800億円)の企業となった。
そして自分たちが世に出しうる最高の作品、マッキントッシュを発表してから、たった1年後、私がちょうど30歳になったときに、私は会社をクビになったんだ。
自分が創業した会社で、創業社長の私が、いったいぜんたい、どうしてクビになるなんてことが起きたんだ?
そんなことが本当に起こり得るのか?
それが起こったんだ。要はこういうことだ。
アップルが成長していく過程で、われわれはある人物を採用したんだ。私はその人物がとても有能だと思い、私と一緒になって会社を経営していってもらったんだ。
最初の1年かそこらはうまく行った。
しかし我々2人の将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、ついには2人は仲たがいするようになってしまった。われわれの仲がどうしようもなくなってしまった時、アップルの取締役会は彼に味方した。
そこで30歳のときに私はアップルから放り出されてしまったんだ。
それもただ放り出されたのではない。私がクビになったことは、世の中の誰もが知っているという状況だった。それくらい派手に報道されみんなに知られてしまっていたんだ。
私が成人してから全てを捧げて打ち込んできたものが取り上げられてしまたんだから、私はズタズタで荒廃しきっていた。
数ヶ月間はどうしたらいいのか本当に分からなかった。
自分のせいで、前の世代の起業家たちの評判まで傷つけってしまった、自分は自分に渡されたリレーのバトンを落としてしまったんだ、そう感じたんだ。
こんなにもみじめに失敗してしまったことを詫びようと思って、ヒューレット・パッカードの創業者の1人で起業家として著名なデイヴィッド・パッカードや、フェアチャイルド半導体とかインテルを創業したボブ・ノイスにも会いに行った。
私は世の中の誰もが知っている「失敗した人」(落伍者)になってしまった。一時はシリコンバレーを離れどこかに逃げ出すことも考えたほどだ。
しかしながらそうこうするうちに私には少しずつ何かが見えてきたんだ。
私はまだ自分のしてきた仕事が好きだった。
アップルでいろんなことが起きたけど「自分のしてきた仕事が好きだ」ということには変わりなかった。
私はアップルに拒絶されたけど、私の方はアップルをまだ愛していたんだ。
だからもう一度、一から出直してみることに決めたんだ。
* * *
続きは次回にします。ここまでで15分間のスピーチのうち、半分弱がカバー出来たことになります。
昨日ご紹介したスピーチの中には既に日本語に翻訳されているものもあります。
特に Steve Jobsのスピーチ は翻訳されたものが何種類かあり、ネット上でも各所で紹介されています。ここでは私なりに抄訳版を作成し載せてみます(必ずしも正確に訳されていないところもあります。悪しからずご了承下さい。また全訳ではなく、あくまで抄訳です)。
* * *
『死ぬ前にどう生きるか』(スタンフォード大学に招かれた時のスピーチ)
大学の卒業式にこうやって招かれているが、正直なところ私は大学を卒業したことがない。
ところで今日は3点についてのみお話したい。
まず最初は、点と点とを繋ぐということについてお話する。
私は大学に6ヶ月間行っただけでドロップ・アウトした。
正式に退学したのはそれから18ヶ月くらい後だ。
どうしてドロップ・アウトしたか。
実はこの話は私が生まれる前に遡る。
私の生みの親は若い未婚の大学院生だった。
そして彼女は私を養子に出した。
彼女は、私は大学を卒業した親に育てられるべきだと強く信じていた。
その結果、私はある弁護士の夫婦に養子として引き取られることが決まっていたんだ。
ところがいざ私が生まれるとなると最後のギリギリの土壇場になって、その弁護士夫婦は、やっぱり女の子が欲しいと言い出した。
で、養子を貰う順番待ちのリストに名前が載っていた今の両親は、真夜中に電話を受け取ることになった。
「突然、予期せぬ形で男の赤ちゃんがたった今生まれたんだけれど養子としてもらいますか」。
この電話に私の育ての親となるカップルは「もちろん」と答えた。
私の生みの親は後になって、私の育ての親のうち、母親の方は大学を出ていないことを知った。
そればかりか父親に至っては高校さえ出ていなかった。
そうと知った生みの親は養子縁組の最終書類の署名を拒んだ。
そうして数ヶ月が経って、今の親が将来私を大学に行かせると約束したので、生みの母親は態度を和らげたんだ。
これが私の人生のスタートだった。
やがて17年後、私は本当に大学に入学したのだが、何も考えずにスタンフォード並みに学費の高い大学を選んでしまった。
その結果、労働者階級の育ての親の貯金はすべて私の大学の学費に充てられることになってしまった。
そうして大学に入って 6ヶ月も過ぎた頃には、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。
自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からなかった。
なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。
だからドロップ・アウトすることにしたんだ。何とかなると信じてね。
そりゃ当時としてはこの決断を下すのはかなり怖かった。
ただ、今こうして振り返ってみると、あれは人生最良の決断だったと思える。
ドロップ・アウトした瞬間から興味のない必修科目はもう採る必要がなくなった。
その分はるかにもっと面白そうなクラスを聴講しにいけたんだから。
もちろん生活は甘いものではなかった。
大学の寮には自分の部屋がなかったから夜は友だちの部屋を次から次へと訪れては床の上で寝た。
コーラの空き瓶を店に返すと5セントがもらえるんで、それを貯めて食費に充てた。
日曜の夜はいつも7マイル(11km)歩いて街を横断して、施しの食事を出してくれる寺院に行き、1週間に1度のまともな食事をした。
こうして自分の興味と直感の赴くままに当時身につけていったことの多くは、後になって値段がつけられないほど価値のあるものだということが分かってきた。
ひとつ例を挙げてみよう。
私のいたリード大学(Reed College)は、当時としてはおそらく米国内最高水準のカリグラフィー(西洋書道)教育を提供する大学だった。
キャンパスのそれこそ至るところ、ポスター1枚から戸棚のひとつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィー(飾り文字)で飾られていた。
私はドロップ・アウトしていて通常のクラスには出なくていい。
そこでカリグラフィーのクラスを取ってこれを勉強することにした。
セリフ(serif)やサンセリフ(sans-serif)のフォントを学び、あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだ。
活字の体裁を美しくする術を修得したんだ。
それは美しく、歴史があり、科学では捉えること出来ないアートの微細さを持つ世界で、私はすっかり夢中になっていた。
こういったことは、どれも私が生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものばかりだった。
だけど、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する段になって、この時の経験が全て私の中に蘇ってきたんだ。
そして私たちはその全てをマックの設計に組み込んだ。
そうして完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータだった。
もし私が大学であのひとつのクラスに寄り道して参加していなかったら、マックには複数書体もなかったであろうし、字間が綺麗に調整されたフォントも存在しなかっただろう。
そしてウィンドウズはそもそもマックを単にコピーしたに過ぎないので、パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンはおそらくこの世に存在することはなかったに違いない。
もし私がドロップ・アウトしていなかったら、あのカリグラフィーのクラスにはドロップ・イン(寄り道)していなかった。
そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントは搭載されていなかった。
もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんて出来なかった。
しかし10年後になって過去を振り返ってみると、非常に明確に分かる。
もう一度言おう。
人は未来を見通して点と点とを繋げて見ることは出来ない。
出来るのは過去を振り返って繋げることだけだ。
だからこそ点と点とは将来それらが何らかのかたちで繋がっていくと信じなくてはならない。
自分の直感、運命、人生、カルマ(宿命)…何でもいい…そういったものを信じなくてはならない。
点と点とが自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで人は確信を持って己の心の赴くまま(follow your heart)生きていくことができる。
たとえそれが人と違う道を行くことになってもだ。
そしてこう信じることこそが人生に決定的な違いをもたらせるようになる。
* * *
続きは次回にします。ここまでで15分間のスピーチのうち、約3分の1がカバー出来たことになります。
『フリー』を読んだ方ならご存知だと思うのですが、アメリカ、カリフォルニア州モントレーで、『TED Conference』 という会議が毎年開催されています。
この会議に出席するには年会費6,000ドルを支払ってTEDの会員になる必要があるのですが、実は会議の模様は全てネットで無料公開されています(『こちら』)。
これまでにビル・クリントン元米大統領(講演の動画像は『こちら』)、
アル・ゴア副大統領(『こちら』、なおこの動画は日本語字幕付き)を初めとして、
イギリス、ヴァージン・グループ創業者リチャード・ブランソン(『こちら』)や
ノーベル賞受賞者でDNAの二重螺旋構造の共同発見者、ジェームズ・ワトソン(『こちら』)などが講演をしてきています。
(これまでの講演者のリストは『こちら』)。
さらにTED Talks のページからは例えばアップルの創業者Steve Jobsがスタンフォード大学の卒業式で行った有名なスピーチ、How to live before you die の動画も見ることが出来ます。『こちら』です。
世界のどこにいても著名な経営者やノーベル賞学者の講演を身近に聞ける、私たちはそんな時代に生きています。
2008年後半に壊れてしまった世界の金融システム。
2009年がこの修復の年であったことについては既に昨年12月27日のブログで書きました(『こちら』)。
昨年の上記記事は株式市場の推移から見たものですが、長期金利の動きからもこのことが窺えます。
(米国債30年ものの利回り(イールド))
ちなみに現在のイールド・カーブ(利回り曲線)は:
ところで日本はどうでしょう。
日本の長期金利は相変わらず低位のままで動きが余りありません。
1999年以降、10年間のトレンドを追っても同じような状況です。