『死ぬ前にどう生きるか』 (その2)
(Steve Jobs のスピーチ。前回からの続きです)。
* * *
2番目の話は、「愛」と、「喪失」に関しての話だ。
私は幸運だった。
自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができた。
私が20歳の時に、私は親友のウォズ(Steve Wozniak)と2人で、私の両親の家のガレージ(車庫)でPCを作ることを始めた。これがアップルのスタートだ。
我々2人はがむしゃらに働いた。その結果、2人がガレージで始めた会社は10年して、従業員4,000人以上、売上20億ドル(1,800億円)の企業となった。
そして自分たちが世に出しうる最高の作品、マッキントッシュを発表してから、たった1年後、私がちょうど30歳になったときに、私は会社をクビになったんだ。
自分が創業した会社で、創業社長の私が、いったいぜんたい、どうしてクビになるなんてことが起きたんだ?
そんなことが本当に起こり得るのか?
それが起こったんだ。要はこういうことだ。
アップルが成長していく過程で、われわれはある人物を採用したんだ。私はその人物がとても有能だと思い、私と一緒になって会社を経営していってもらったんだ。
最初の1年かそこらはうまく行った。
しかし我々2人の将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、ついには2人は仲たがいするようになってしまった。われわれの仲がどうしようもなくなってしまった時、アップルの取締役会は彼に味方した。
そこで30歳のときに私はアップルから放り出されてしまったんだ。
それもただ放り出されたのではない。私がクビになったことは、世の中の誰もが知っているという状況だった。それくらい派手に報道されみんなに知られてしまっていたんだ。
私が成人してから全てを捧げて打ち込んできたものが取り上げられてしまたんだから、私はズタズタで荒廃しきっていた。
数ヶ月間はどうしたらいいのか本当に分からなかった。
自分のせいで、前の世代の起業家たちの評判まで傷つけってしまった、自分は自分に渡されたリレーのバトンを落としてしまったんだ、そう感じたんだ。
こんなにもみじめに失敗してしまったことを詫びようと思って、ヒューレット・パッカードの創業者の1人で起業家として著名なデイヴィッド・パッカードや、フェアチャイルド半導体とかインテルを創業したボブ・ノイスにも会いに行った。
私は世の中の誰もが知っている「失敗した人」(落伍者)になってしまった。一時はシリコンバレーを離れどこかに逃げ出すことも考えたほどだ。
しかしながらそうこうするうちに私には少しずつ何かが見えてきたんだ。
私はまだ自分のしてきた仕事が好きだった。
アップルでいろんなことが起きたけど「自分のしてきた仕事が好きだ」ということには変わりなかった。
私はアップルに拒絶されたけど、私の方はアップルをまだ愛していたんだ。
だからもう一度、一から出直してみることに決めたんだ。
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続きは次回にします。ここまでで15分間のスピーチのうち、半分弱がカバー出来たことになります。
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