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2010年2月26日 (金)

あらためて「人が死ぬということ」について考えさせられる本

島田先生の近著『葬式は、要らない』 。

最近のデフレ風潮もあり、この本は「そもそも葬式に231万円(日本人の平均費用)もかけるなんておかしい」と思っていた人たちに受けて、幅広く読まれているようです。

しかし読んでみると、そういったコストの話以上に、改めて「人が死ぬということはどういうことなんだろう」と考えさせれます。

浄土教では(念仏によって)死後極楽浄土の世界に行く、ゆえに葬式も派手なものにつながりやすい(本書58-64頁)。「死者を無事極楽浄土に送るには、豪華な道具立てが必要だという感覚」(本書70頁)があると言います。

しかし日本人の中には死者ははるか彼方の極楽浄土に行ってしまうのではなく、死後も身内の身近なところにいて見守ってくれている・・こう考える人も多いようです(本書77-78頁)。

お墓参りをすると、何となく先祖(死者)がすぐ近くにいて見守ってくれている・・そう思う人たちです。

こういった人たちにとってはお墓は必要なのでしょうが、華美な葬式は必要ない。さらに島田先生も述べているように戒名料などにまつわる分りにくさも相俟って、これから先、日本の葬式の形態が変わっていくことも予想されます。

海外の葬式はどんな感じなのでしょうか。

私はアメリカで葬儀に出席したことが何度かありますが、富豪の人たちの葬儀も決して派手なものでなく、「近しい人たちだけが集まって死者を厳かに送る」といった内容のものでした(ハリウッド映画にも黒いスーツを着た人たちが20名程度集まるシーンが出てきます)。(島田先生の本によれば、日本の葬式の平均費用231万円に比し、イギリス12万円、アメリカ44万円)。

ハンバーガー・チェーン店で有名なマクドナルドの創業者が亡くなった時。

当時私は興銀(シカゴ)にいました。興銀はマクドナルド社とも取引があったので、日頃接していたVice President Finance の人に、『日本では香典というものがあるんだけれど・・』と言って、『どうしたらいいか』、尋ねたことがあります。

返ってきた答えが、『そういったお気持ちがあるなら、故人の意思であるのだが、○○財団に寄付して欲しい』。 こう言われて、そこ宛のチェックを書いたのを覚えています。

AFS留学時代のアメリカ人家庭の母が他界したときも、やはり故人の意思に基づきHabitat for Humanity に寄付しました。

『ほとんどの動物は死ねば忘れられる・・

ところが人間だけは、死後に何かを残そうとする・・

残るということは・・生きた証がそこに見えるということである・・

何も残らないとどこか悲しい』。 

島田先生の本に出てくる一節(170-171頁)です。

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