夏休みの読書
このところ、土、日は、ある独立行政法人の契約審議委員会や選定委員会の委員の仕事で、膨大な量の提案書を読むことになったり、
あるいは大阪経済大学の講義で大阪を往復したりで、何かとせわしかったのですが、ようやく先週末あたりから腰を据えて本を読めるようになりました。
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著者のバートン・ビッグスは1973年にモルガンスタンレーのパートナーとして迎い入れられ、同社の持分3%を30万ドルで与えられます(ビッグスはモルスタに30万ドルを支払ってモルスタの3%を保有するパートナーとなる)。
この時のビッグスは40歳。
当時のモルガンスタンレーはパートナー27名、社員255人、資本金1000万ドルの会社でした。
翌74年にはパートナーであっても海外出張時の航空券は格安のツーリストチケットを使うことが決められます。
そんな時代を生き抜いて、ビッグスはモルガンスタンレーのチーフ・ストラジストとなり、その後、名声を欲しいままにします。
2003年までモルスタに在籍していたので、このブログの読者の方の中には「彼と会った」という方もいると思います。
彼は Instituional Investor 誌の "All-American Research Team" に10回選ばれ、1996年から2000年まで同誌の"Investor Global Research Team Poll"で、トップ・グローバル・ストラジストに選出されました。
CNBCテレビにも数多く出演してきた著名人である彼は、自らも巨万の富を築き、英国の元首相サッチャー夫人とともにタイガー・マネジメントの取締役に名を連ねるなど、社会的にも尊敬される地位にありました。
彼には、通常でいけば引退後は「悠々自適」、と言うよりは、それ以上にはるかに「優雅な生活」が約束されていました。
にもかかわらず、彼は70歳にしてモルガンスタンレーを退社して、自らヘッジファンドを立ち上げることを決意します。
そして全米各地の機関投資家を足しげく回り、自分の孫のような年の担当者を相手に、来る日も来る日もプレゼンをして、資金集めに奔走します。何人もの機関投資家や富裕層に断られながら・・。
2003年6月、必死の努力をしてかき集めた2億7000万ドルと、モルガンスタンレーの出資、そしてビッグス自身の資金を足し合わせて、総額3億9000万ドルでファンドはスタートします。
「オフィスはワン・ロックフェラー・プラザの4階の仮住まいである。友だちのジョン・レヴィンから借りた。
薄暗く、薄汚く、粗末で古い空間だ。会議室の絨毯がかび臭くて、行くたびに咳が出た。しかし・・・窓はちゃんと開けられて、広場で演奏するバンドの音楽や歌手の歌声が聞こえてくる。
高層ビルの密閉された無菌のオフィス環境で長年過ごした身には、新鮮な空気と通りの騒音がとても気持ちよかった」
ファンド立ち上げからまだ1年も立っていない2004年5月。
彼は1バレル40ドルで原油を空売りします。
複雑な原油価格回帰モデルを構築し、適正価格を32.48ドルと算出。彼は原油価格は下落していくだろうと考えたのです。そして約1ヵ月後の 6月30日には原油価格は36ドルまで下落するのですが、その約2ヵ月後の8月19日には原油価格は48ドルとなります。
ニューヨークタイムズは、ビッグスの写真を載せて、彼のファンドが石油の空売りで大損しているとの記事を掲載します。
はたして彼は30年もかけて築いてきた富と名声、社会的地位を、70歳で始めたヘッジファンドという「新たな冒険」で失ってしまうのでしょうか。(本書をお読みになればその後のいきさつが分ります)。
なお本書ではビッグス以外の登場人物の多くは名前を変えたり、場所や日付を変えたりして出てきます。そうすることで、かえって「事実を多く書ける」といった意味合いもあるのだと思います。
しかし訳者もあとがきで書いているように、業界関係者であれば、仮名の誰が、現実には誰のことなのか、多くの場合、見当がついてしまうかもしれません。
例えば本書では「ヘッジファンド業界では本物の伝説に残るべき人」と書かれた「ティム」。
著者の描写では次のように書かれています。
「細身で黒い髪、ハンサムで、年は55くらいだろうか・・・ティムは、緑の多いロンドン郊外にあるアンティークの家具とすばらしい東洋の敷物と陶磁器で飾られた、静かで広いオフィスで働いている。他には秘書が一人いるだけだ。
運用資産は10億ドルを超えていると思うが、おそらくそのうち半分は彼自身のものだろう。
ティムのやり口は・・大きなレバレッジをかけ、集中投資を行い、組織は持たない。彼並みのレバレッジを利用としようと思ったら、鋼鉄のワイヤーを紡いだ神経と大きな自信が必要だ。
ティムは・・言っている。『・・パートナーがいても何の助けにもならない。結局、売るか買うかの判断は真夜中に一人でやらないといけないんだから。』」
年齢や髪の毛の色は少々違いますが、この「ティム」が誰なのか、業界の方であれば見当がつくと思います。(私のブログや著書にも登場してくる人物です)。
この本が書かれたのはリーマンショック前の2005年12月。
しかしこの本に登場する「ヴィンス」はこう述べています。
「株式市場はもっと下がるさ。まだぜんぜん高すぎるからな。
アメリカ経済は何年も停滞するだろうよ。債務は多すぎ、貯蓄は少なすぎ、定年後の蓄えは不十分。
次の大災害は住宅用不動産だな。
みんな短期で借りて長期で投資、変動金利の住宅ローンに借り替えているやつが多いだろ。短期金利が上がれば、借金の利払いは上がるわ住宅価格は下がるわってことになる。
資産効果と可処分所得の減少のダブルパンチだ。文明の消滅、衰退の始まり、アメリカ帝国の没落だ」
「ヴィンス」のこの発言は2004年夏。S&P500の株価指数が1070~1110の時でした。
この時、彼はこのようにも発言しています。
「高級不動産はみんな暴落だ。金融バブルがはじけた後は、あらゆる種類の金融資産がみんな消えてなくなるんだ。3年以内にアメリカは不況、S&P500は500ポイントになるぞ」
ヴィンスのこの予言は少しだけ外れて、「3年以内」ではなくて、4年後の2008年9月15日にリーマンブラザーズが破綻。株価は同年11月20日、S&P500が752ポイントにまで落ち込みます。
この本のもうひとつの特徴は著者ビッグスの金融に関する圧倒的な知識や教養を垣間見ることが出来る点です。
例えばビスマルクとブライヒレーダーの話。
1859年、後に鉄血宰相の異名を持つことになるドイツのビスマルク(当時44歳)は、ブライヒレーダーというユダヤ人(37歳)を彼の投資アドバイザーに任じます。
この時ビスマルクはプロイセン国会の下院議員を経て外交官として活躍していました。
19世紀のドイツでは、ビスマルクのようなプロシアの貴族が、ブライヒレーダーのようなユダヤ人を「魔法の道具のようなもの」として雇うのが一般的だったといいます。以下は本書からの引用。
「ビスマルクは、ブライヒレーダーには「投資に対するある種の臆病さ」があると言った・・ブライヒレーダーはお客に、自分は長期的に年4%の実質(つまり物価調整後)リターンを目指す運用をすると言っている・・つまり彼は自重したからこそ大金持ちになったのだ・・
ビスマルクが彼に預けたお金は25年間で年10%の複利リターンを上げ、一方インフレ率は平均で年1%を下回った。
ビスマルクはそんなリターンに完全に満足したが、いつも利益を現金化して土地や森を買った」
本書のもう一つの楽しみ方は、本書が執筆された時は、リーマンショック前の2005年であり、これを読んでいる私は(出版直後に購入しなかったものですから)リーマンショックを経た2010年にいるということ。
例えばフィボナッチ数を株式市場分析に使う「Mr. メイン」が著者を訪問した時の話が本書に出てきます。メインはフィボナッチ数を使って2002年10月と2003年3月の2回とも株式市場の底入れを見事に言い当てていました。
フィボナッチ数から導き出される 0.618 という黄金率は古代のピラミッドやダ・ヴィンチの絵画などにも良く使われている比率です。
メインは著者を訪れ「市場は今、3つの波がともに下落に向う「殺し屋」サイクルにある。S&P500に見られる次の殺し屋下落波動は(現在の波動1050の0.618倍である)650で底入れする」と言います。
これを聞いて著者は「面白いし、カクテル・パーティーの話のネタにはなるだろうけれど、ポートフォリオをそれに賭けるのはやめた方がいい」とコメントします。
この本が書かれた当時、1200以上あったS&P株価指数がそのように過激に下落するとは誰も信じなかったでしょうから、当たり前のコメントなのでしょう。しかし、当時のS&P(2005年9~10月の2ヶ月の平均1217)に 0.618 をかけるとリーマンショック後に記録するS&Pの底値 752(2008年11月20日)にピタリと一致します。(と、それこそカクテル・パーティーの話のようですが、数字はすべて本当です。)
本書の中で集団思考についてビッグスが書いた下りも一読の価値があります。
「運用チームや運用委員会は、とるべき行動について意見が分かれると、お互い気を使いあったり礼儀を重んじたりして、結局麻痺してしまう・・
狂気は、個人では例外的だが集団ではよくあることだと言ったニーチェは鋭い・・
集団内の付き合いが深くなればなるほど・・集団のメンバーでいること自体が極めて大事なので、メンバーはそれぞれ、違う意見を言って村八分や破門になるのを恐れるようになる」
本書は、業界の人だけでなく、株式投資や債券投資を行っている個人投資家、投資信託を購入している人、FXをやっている人など、全ての投資家やトレーダーの方にお勧めできます。これを読むことで、あなたの投資や資産運用に関する理解は圧倒的に深まると思います。
本書の帯には「奈落と絶頂が隣り合わせの苛酷な世界」とありますが、本書はそういった投資や投機の世界をあたかも自分が体験しているかのように錯覚するほどリアルに案内してくれます。非常に価値ある一冊と言えるでしょう。
なお、この本はすでに文庫(ヘッジファンドの懲りない人たち)にもなっています。