6000人の命
今日、1月26日は外交官、杉原千畝さんの孫(中村まどかさん)と、杉原さんからビザをもらって生き延びたユダヤ人夫婦の孫(ダニエル・グリーンバーグさん)とが対面した日(2002年1月26日)。
こういったこともあり、今日のお昼のテレビ番組『DON!』では杉原さんの特集を組んでいました。
1939年9月
ドイツがポーランドに侵攻。第二次世界大戦勃発。このときヒトラーひきいるナチスドイツはユダヤ人を迫害。人権を奪い財産を没収、強制収容所に送り込み殺戮した。約600万人のユダヤ人が死においやられた。
1939年11月
杉原リトアニア領事代理になる
1940年7月
ユダヤ人がリトアニアにある日本の領事館に押し寄せ、杉原にビザ発行を求める。
このとき(ユダヤ人が)ヨーロッパを脱出する(方法として日本を経由して米国等に向かうというルートがあった。杉原は)、
外務省とかけあうもビザ発行を禁止されるが、杉原は独断でビザ発行。
1945年8月
終戦
1947年
杉原一家は日本へ帰国。杉原は外務省をやめさせられる。三男晴生が小児癌で急逝
1968年
助けられたユダヤ難民が杉原を訪ねてくる
1986年
杉原死去
2002年
杉原の孫まどかさんと、救われたユダヤ人の息子ダニエル・グリンバーグさんが面会。
* * * * * *
杉原さんのことについては奥さんの幸子さんが本にして残してくれています。
「6000人の命のビザ」という本です(『こちら』)。
また、テレビ番組にもなりDVDも発売されています(『こちら』)。
私も拙著『リーマン恐慌』で、シカゴ・マーカンタイル取引所会長を務め「先物取引の父」と言われたレオ・メラメドが、8歳の時に杉原さんに発行してもらったビザでナチスから逃れ日本経由アメリカに渡った旨を書きました(225頁)。
杉原さんが残した言葉です。
「私のしたことは外交官としては間違っていたかもしれないが、人間としては当然のこと。私には彼らを見殺しにすることはできなかった 」
「人間としては当然のこと」なのかもしれませんが、組織の意向に反して自らの信念を貫くというのはそう簡単に出来るものではありません。
杉原さんの話はこれからも多くのユダヤ人の方たちの間で語り継がれていくと思います。
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コメント
「M&A新世紀」読み終えました。文章も読みやすく図解も多いせいか、イメージとして頭のなかにスッと入ってくる感じです。とても面白く、何度もおかわりしたくなる書籍です。1500円という価格は、書籍から得られる価値に対して「安すぎる」と思いました。何回も繰り返し読みます。
投稿: えいとまん | 2011年1月27日 (木) 21時30分
えいとまん様
コメント、ありがとうございます。
気に入って頂いて嬉しいです。
投稿: 岩崎 | 2011年1月27日 (木) 22時04分