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2011年4月 4日 (月)

最悪の事態の想定

夜タクシーに乗りましたら、運転手さんいわく、

「1月、2月も売り上げが落ち込んでいたのですが、地震・津波以降、さらに激減。

その前の3分の1の水準になりました。

私は夜中心に営業しているんですが、ひどいときは一晩中走ってもお客さんを乗せるのが2人だけなんていう時もあります。

これでは生活していけません」

   Taxi

このようにいろんなところに余波がきています。

* * * *

さて話を本題に戻して、このブログ記事のタイトルである「最悪の事態の想定」について書きます。

銀行がプロジェクト・ファイナンスの審査をする時。

あるいは投資銀行がM&Aでキャッシュ・フローのバリュエーションを行う時。

金融の世界ではこのような場合に「ノーマル・ケース(通常のシナリオ)」だけでなく、「ベスト・ケース」や「ワースト・ケース・シナリオ(最悪の事態)」を想定して、案件の審査や評価をします。

今回の福島第一でも、政府が「止める、冷やす、封じ込める」と繰り返すものの、

なかなか事態が好転しない中、 起こりうる「最悪の事態」についての議論が頻繁に出てくるようになりました。

たとえば今日発売された「週刊現代」(『こちら』)。

想定される「最悪の事態」とはどんな事態なのか、との特集が組まれ、

元東芝の原子炉格納容器設計者、後藤政志氏や同じく東芝で原子炉の安全性研究にかかわっていた奈良林直・北海道大学大学院教授などの見解を紹介しています。

後藤氏のコメントです。

「すでに炉心はかなり溶融(メルトダウン)していると思いますが、さらにこれが進んで圧力容器の底に落ち、熱い核燃料の塊ができて、それが圧力容器を突き破り、底に抜けた場合です・・・」

実はここのところまでは、専門家の見解はかなりのところ一致しています。

上述の後藤氏も、奈良林氏も、そして日立関連会社のエンジニアの田中三彦氏も、あるいはこのブログで紹介( 『こちら』 )した英国政府の科学顧問、Beddington教授も(もちろんそれぞれ違いはありますが)比較的似たような見解です。

問題は底が抜けた後、どうなるか?

そこから先に想定される事態は、上記4人がそれぞれ違う見解を持っています。

「爆発的事象」が起こる可能性があるとする見解。

あるいは起こらないとする見解。

仮に起きたとした場合のその程度、影響の度合いなど・・それぞれ見解が異なってきます。

大前研一さんも「圧力容器の底に落ち、熱い核燃料の塊ができて、それが圧力容器を突き破り、底に抜けた場合」までは同じシナリオですが、

そこから先は微妙に違うシナリオを示しています(大前さんのこの部分のレクチャーは『こちら』のYouTubeで見ることが出来ます。3分23秒です)。

要は、熱い核燃料の塊ができて、それが圧力容器を突き破り、底に抜けた場合にどうなるか、

「どうなるかは、現段階では誰にも分からないんじゃないですか」

という田中氏の言葉のような状況なのかもしれません。

出来るだけ多くの情報を集めて一人一人が考えろということなのかもしれません。

もちろんこれはあくまでも「最悪の事態」の話です。

冒頭の「審査やバリュエーションの話」に戻りますが、やはり一番高い蓋然性で起きるのは、ノーマル・ケース(通常のシナリオ)です。

* * * * *

なお3月30日に東京電力が行なった記者会見の模様。全文が『こちら』でご覧になれます。

     Zte

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コメント

危機管理には、「想定外」という言葉はありません。すなわち、危機管理の基本は「最悪の事態」への備えです。つまり「悲観的に予想(準備)し、楽観的に対応する」こと。それには、日頃から的確な予知・予防・対策をしておくことが大切です。
危機管理アドバイザー尾下拝

投稿: 講師 尾下義男 | 2012年5月15日 (火) 08時29分

前略
お世話になります。
危機管理アドバイザーの尾下と申します。
 平成24年11月3日東京大学駒場キャンパスで「日本精神対話学会」から研究論文推薦賞を受賞しました。「震災と心の危機管理」がタイトルで、趣旨は、「災害は」自然と社会環境との重層 的構造で起きる。東日本大震災では被災地に幾度も足を運び見聞いた「サバイバーズ・ギルト」、「死の境地」とはいかなるものか。これは、机上の空論即ち知的怠惰を廃した真実の体験報 告です。
 東日本大震災は、行方不明者を含めて約二万人の尊い命が奪われた。「震災」という表現を使 うには後ろめたさを覚える。間違いなく生活基盤と生命基盤が重大な危機に直面されている。変わり果てた故郷の光景に心が傷つき、職を失い、住む場所を追われ、家を崩壊され、家族を亡くし、財産を失う、孤独死、広がりゆく放射能汚染など。「東北ガンバレ!」のメッセージだけが虚しく響いている。小職は、「減災社会の構築」に向けて微力ながら力添えしています。関係各位におかれましては、この現状を真摯に受け止めて、「上から目線」ではなく、一刻も早い「見れる化」の対策が急務であることを肝に銘じていただきたい。

防災・減災対策は、個人・地域・学校・企業・自治体・国がそれぞれのポディションで、如何に防災行動力をアップし、さらに継続向上出来るかが大きな課題です。「靴を測って足を削る」から「悲観的に準備(想定)し、楽観的に実施(対応)する」を基本とした防災・減災が強く求められます。

私は、この大震災の教訓を生かした防災対策を推し進めるために、国民の目線に軸足を置き、机上の空論の知的怠惰性、いわゆる記問之学から脱し、培ってきた経験則と大学院での危機管理学研究を主軸に「正官」を重視し、防災リテラシー(災害から生命・財産をまもるために個人、地域、公の対応力・実践力・応用力の向上)をモットーに「減災社会」の構築のために実践的、具体的な災害への備えを教示致します。大学・企業・自治体、防災セミナー等で高い評価と信頼を頂いています。これからも日々研鑽を続け、防災の敵は「忘災」を肝に銘じ、より一層鋭意努めて行く所存です。

尾下拝

投稿: 講師 尾下義男 | 2012年11月 9日 (金) 17時22分

前略
お世話になります。
現在、「防災・減災社会の構築」を主軸に講義・講演中です。

「避難所トリアージについて」
 必ず起こる南海トラフ巨大地震は、全国の死者最大32万人超に達します。この地震を前にして、大被害を免れ得ないとしたら、私たちは何にどう備えればよいのでしょうか。今回、「避難所トリアージ(フランス語で選別)」が提唱されましたが、何時、誰が、どのように行うのかという具体策が示されていません。そもそも実現性自体が疑わしい。仮に自治体に運用を委ねても、庁舎や職員に大きな被害が出て機能不全に陥ったときはどうするのか。それでも避難所の混乱を回避するためには、在宅避難のほか空き家・空き室の制度的活用という選択肢がありますが、その場合は食料・水や衛生用品などの備えが必要です。最終報告は1週間以上持ちこたえる家庭備蓄を求めています。しかし、これも掛け声倒れでは困ります。1週間の備蓄といっても、一般市民にはまだ切迫感がないのが実情です。あらかじめ用意する救援物資と考えれば、無償配布や公費による購入補助も今後検討されていいのではないでしょうか。
 最終報告はすべてを「公助」には頼れない、と読み取れます。これからの減災対策は、ハード面だけではなく、ソフト面のレジリエンス(resilience=復元力、回復力)が必要です。それは「被災した生活のリズムを、集団としていち早く取戻す能力」です。従来型の「三助の法則:自助7・共助2・公助1」は、「公助」の言訳、「共助」の自己満足、「自助」の無策でした。しかし「公助」が「自助」を支えることにもつながるはずです。災害対策は、ハードだけの公助であってはなりません。防災学習や防災を担う人材の育成に力を入れることも大切であり、こうした部分にこそ自助を育てる公助が必要ではないでしょうか。
 減災社会の構築(build a society mitigation)は、机上の空論(原理・原則)に終始せず、「百閒は一見に如かず」を再生させ、予想と実践と交互に繰り返して、その都度予想の間違いを修正しながら整合性のある理解を積み重ねて、過去の教訓を学び最新の知見等を踏まえて、防災リテラシー(災害から生命・財産を護る対策)を具体化(見える化)することです。関東大震災の「不意の地震に不断の用意」の標語は、巨大地震から90年経つ現在も色あせていません。
 私は自戒し日々研鑽を重ねより一層鋭意努めて参ります。ご指導ご鞭撻賜りますようお願い申し上げます。 尾下拝
防災危機管理研究所(所長:尾下義男)

投稿:  尾下義男 | 2013年6月16日 (日) 19時15分

「危機意識の継続を」
10人が死亡した福岡市の医院の火災は、煙や炎が広がらないようにする防火扉と初期消火に威力を発揮するスプリンクラーの重要性を改めて浮かび上がらせた。ベッド数が19床以下という医院はスプリンクラーの設置義務がない。火災のたびに改善されてきた福祉施設に比べると防火態勢の脆弱さは際立っております。
防火扉が閉まらなかった背景には消防の査察と自治体の点検にまたがる「二重のチェック漏れ」。消防の査察では、閉鎖を妨げるものが置かれていないか視認し、作動状況まではチェックしない。大きな原因は、防火扉の設置基準が、消防法ではなく建築基準法で定められている点です。消防は「(感知器と結ぶ)配線が生きているか、扉がちゃんと閉まるかなどのチェックは査察ではなく、ビルオーナーが点検業者に頼む筋合いのものだ」とし、基本的に「同法は所管外」が消防のスタンスです。チェックの網から漏れるもうひとつの理由は、報告対象外だったことです。対象外施設の点検は所有者の自主性に委ねられているのです。
人の命を守る病院で「尊い命が奪われること」の悲劇は残念でなりません。
指導に当たる行政機関は「二重行政」の弊害を撤廃し、国民目線での業務執行をお願いしたい。また、このような惨事を繰り返さないために、私たち国民一人ひとりが「危機意識の継続」を持ち続けるけることが大切です。 尾下拝

投稿: 危機管理アドバイザー尾下義男 | 2013年10月14日 (月) 20時31分

減災・防災における「人・もの・金」
 減災・防災に関わらず、ことを動かすには、「人」・「もの」・「金」がいるといわれています。しかし、言うまでも無く一番大切なのは「人」です。適切な対応力や判断力のできる人を事前に準備しておくことが重要です。行政は「減災・防災が重要だ」として、巨額の予算を付けますが、そのほとんどは「もの」を購入したり造るための「金」であり、「人」を育てたり、「人」をつけるための「金」ではありません。また、「もの」をうまく運用する「金」でもありません。原因は、行政に総合的な防災力を向上・持続し発展させることのできる「人」が不足し、その高額の予算をうまく執行できるだけの質と量の研究者や技術者などの「人」を育ってなかったことです。「お金やエネルギーは,被災地のために準備しておくのではなく,被災地で困る人を減らすために事前に有効活用する」これが基本です。減災戦略計画の実現は、たとえトップが途中で代わろうとも一貫した考え方に立って推進する必要があります。そうでなければ、ばらばらで付け焼刃的な対策によって結局、被害軽減対策が実現しないことになってしまいます。尾下拝

投稿: 危機管理アドバイザー尾下義男 | 2013年12月19日 (木) 11時36分

お世話になります。
防災危機管理アドバイザーの尾下と申します。

「防災・減災対策は〜防災教育の充実〜」
阪神・淡路大震災から19年、東日本大震災から3年が経ち風化が進んでいる現状に憂いています。
防災危機管理の基本は、災害のメカニズムを知り(knowing hazard)、弱いところを知り(knowing vulnerability)、対策を知る(knowing countermeasures)こと。危機管理の推進には、国民の視点を重視し、「知る」・「備える」・「行動する」の三点にあります。
首都直下型地震や南海トラフ地震などの巨大災害が発生した場合、国全体が一層深刻な影響を被るのは必定です。地震による被害は、建物やインフラ被害をきっかけに波及拡大することを考えると、平時からできる限り被害を軽減する方策に投資することの方が費用対効果の高いことは火を見るより明らかです。
防災対策の基本はそれぞれの役割の中で、自助・共助・公助が有機的に連携して最大限のパワーが発揮できることです。普段から、自分の命や財産は自分で守る「自助」の意識、近隣の人々が助け合う「共助」と初動・応急期の対応を進める「受援力」を高めていくことが求められます。
そのためには、企業・学校・行政の「BCP(Business Continuity Plan)=事業継続計画」や家庭での「FCP(Family Continuity Plan)=家族継続計画」と、地域継続計画(District continuity Plans)が、三位一体でPDCAサイクルを推進して、被害の最小化を図ること。災害を知り、地域を知り、「災害を正しく恐れ」て、減災に取り組む人づくりの防災教育を義務教育段階で充実を図ること。安全教育においては、自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう人間の心理的特性である「正常化の偏見(バイアス)」の克服が重要です。防災教育だけでなく安全教育全体に関わる課題として、そのための教育手法を開発・普及する必要があります。子どもは「希望」。子どもは「未来」。子どもたちの命を守るために、今、私たちができることは・・・。「命」「支え合い」「自ら動く」を合言葉にした、地域ぐるみの「命の活動」。「防災」は、その「命の活動」の中の一つ。「学校」が地域の核として動き、「地域」がその組織力・行動力で学校と連携していくことができれば、「命の活動・防災」の歯車は大きく動き出します。つまり、 教育とは「おぎゃ―」と生まれた赤ん坊が、人生を全うする術を教えることです。その対処法を教える「互教互学」の精神を後世にしっかりと受け継いで行くことが我々に与えられた使命と考えています。私は自戒を込めて日々研鑽を重ね一層鋭意努める所存です。尾下拝

投稿: 危機管理アドバイザー尾下義男 | 2014年1月21日 (火) 12時38分

危機管理アドバイザーの尾下です。
「防災対策は国境を超えて」
この度、中国北京の視察団(北京)に、「災害大国日本の防災・減災対策と災害ストレス」を演題に講演を行いました。日本は自助7・共助2・公助1。つまり自分の身は自分自身で守るのが基本ですが、中国は全く逆で、大変驚いていました。また、災害ストレス(セルフヘルプという概念そのものが浸透していない)そのものの存在をあまり理解できないようです。最後に、大災害は必ず来る。だが、その大災害の被害を最小化(減災)することは、日本人の知恵と強固な社会によりできる。そのために、東日本大震災の教訓を活かし、災害に強い国にする必要があると締めくくった。視察団は、大変熱心でかつ興味深く小職を中国へ招聘し、防災対策と災害ストレスについて話して欲しいとのことでした。これは、冗談だと思いますが、それに報いるためにも更なる努力を積み重ねて参りたいと存じます。小職にとっても大変有意義かつ実りある数日でした。

この度、NHK(クローズアッフ現代)で放送されたことから、「レジリエンス」について、防災危機管理の面で問い合わせを受けました。
「減災対策の危機管理とレジリエンスについて」
被災者の困難が長期に継続する今回の東日本大震災では、被災者に内在する「強み」への気づきや「希望」という視点がなければ再発のリスクを低減することは困難です。しかしながら、これまでは詳細な研究が行われていないのが現状です。たとえば、「大丈夫何とかなる」という首尾一貫感覚のSOC( Sense of Coherence)、「どん底の状態から立ち直る力」であるレジリエンス(Resilience)、それに「困難な状態からのポジティブな心理的変化」である心的外傷後成長(PTG:Post-Traumatic Growth)などを用いることで、被災者のポジティブな心理的変化を各要素に分類して詳細に分析を行うことが必要です。今回の東日本大震災の厳しい経験から、多くの方がこれから真に安全で安心できる社会を築いていかなくてはと痛切に感じています。しかし、災害に強く、安全・安心な社会とは、どのようなことを意味するのでしょうか。

私は、本当の強さとは、「困難な状況に負けないこと」であると考えています。自然の猛威を前に人間は無力ですが、東日本大震災を経験した私達が、歴史の生き証人としてこの教訓を今後に活かさないのであればそれは天災ではなく人災にもなり得ることを忘れてはいけないと自分に言い聞かせる度に、これからの真に安全で安心できる社会の構築に必要なことは、困難な状況に負けない力を備えることであると強く感じています。

困難な状況に負けない力とは、困難を乗り切る力です。大きな災害や事故に見舞われた時に、私達の組織や地域社会は、いくら入念に防災対策を講じていたとしても、程度の差こそあれ影響や被害を受けることは避けられないでしょう。しかしながら、傷を負いながらも堪え忍び、厳しく困難な時期を何とか乗り切り、乗り越える力こそが、重要になるのではないでしょうか。それが、「レジリエンスの高い」組織や地域社会の姿であると考えます。

それには、まずは日頃十分な備えをすることが基本となります。対策を講じていれば問題が生じたとしてもその程度は軽くてすむことが期待されます。被害の程度が軽微であれば、その後の復旧・復興の過程は大きく変わってくるでしょう。事前に備えることの重要性はレジリエンスを高めるために、とても大事な要素であることに変わりはありません。そのことに加えて、レジリエンス向上のためには危機管理の実質的な仕組みと仕掛けを充実していくことが大切になると思います。例えば、意志決定やコミュニケーション、地域連携、情報共有管理などがレジリエンス向上のための重要な指標となるのではないかと考え講義・講演で力説しているところです。
今後ともご支援ご指導賜りますよう宜しくお願い申し上げます。尾下拝

P・S 「プレス民主」325号に小職の「分散型危機管理」が掲載されています。

投稿: 尾下義男 | 2014年4月21日 (月) 19時25分

お世話になります。

全国各地の教育関係者に防災・減災教育の講演活動をさせて頂いている、危機管理アドバイザーの尾下と申します。

「避難訓練(逃げる)防災・減災教育は、いじめ対策に効果あり」

現在もゼミ学生や看護学生たちと被災地に赴いていますが、東日本大震災からわずか3年目の現在、誠に残念ながら、「喉元過ぎれば……」の感は否めません。

今回の東日本大震災の教訓を踏まえつつ、今後の防災教育を考える上で、自然災害への理解を深める学びの必要性を痛感しました。

防災・減災教育は、「自ら危険を予測し、危機回避の行動を取れる子を育てる」ことが最も重要と考えます。そのため、状況に応じた適切な行動がとれることも基本事項で大事です。

つまり、避難訓練(逃げる)は、いかに生徒たちに真剣に取り組ませるか。それが指導する際に最も大事にするポイントの一つです。

地震はいつ来るか分かりません。そのため一律に「机に隠れて」「オ・カ・シ・モ」だけでは不十分です。例えば、「倒れてこない、落ちてこない場所に避難しましょう」を合言葉に、様々な場所や状況にあっても適切な安全行動が取れるよう、柔軟な思考力と行動力を磨く訓練を積むことが大事です。

それには年間5回以上の危機予知・危機回避訓練が必要と言えます。

一連の訓練の結果、児童・生徒は、トイレにいた場合は落ち着いて入り口付近に身を寄せ姿勢を低くし、音楽の授業中には持っていた音楽袋を頭巾代わりにして頭を保護するなど、冷静な判断と行動力が身に付きます。つまり、授業中・休み時間などの状況別、さらに、校舎内と校庭に出る避難方法や具体的な対応を教師が指示する場合と、しない場合(発災型訓練)などです。

そのことで、学校だけでなく、あらゆる生活場面でも防災意識と行動力が高まります。

避難訓練「逃げる」ことは「生きる」こと、お互い「助け合い・励まし合う」ことです。

昨今「イジメ」が大きな問題になっていますが、地震や火事は「災害」で、イジメは「人災」です。「発生するであろう災害に対して「防災訓練」は、必要な対応ではないでしょうか?避難訓練を複数のバリエーションで、計画的に何回も実施することで「思いやりの心」が育まれ、自分の命も、友達の命も「守ること」がでます。即ち、複合的・重層的効果で「いじめ撲滅」につながります。現に東日本大震災で「釜石の軌跡」が実証していることを、今一度思い起こして頂ければ幸甚に存じます。

ご理解の上、真摯な取り組にご期待申し上げます。尾下拝

投稿: 尾下義男 | 2014年5月24日 (土) 10時54分

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