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2011年5月28日 (土)

男気

昨晩はデジタルハリウッド大学復興支援委員会(仮称)とデジコンサロンとの共催会議に出席しました。

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楜澤さん大矢さんなど、被災地にボランティアで行かれていた方々から生の声を聞きました。新聞・テレビで報道されない現地の実情がわかります。

たとえば「石巻では3月末時点で被災者の誰も白いご飯を食べていない」との情報を農水省が聞きつけた。そして名古屋で18,000人分の炊き立てご飯を作り、自衛隊基地経由で石巻の自衛隊基地に運ばせたが、石巻に着いたときは既に炊き立てではなくなっていた。しかも自衛隊はこれを被災者に配るルートがその時なくて、結局16,000人分は捨てられてしまった・・・。

特に大矢さんは3月27日からずっと現地入りしていて昨日東京に一時帰ってきたばかりとのことで、我々は直近の生の情報を知ることが出来ました。

現地の情報を的確に捉えないと、全国から古着がたくさん送られてきて被災地はむしろ対応に困ってしまうといった「ミスマッチ」が生じてしまいます。

* * * *

秋葉原での会議の帰り。駅のスタンドを覘いたら、夕刊フジの大きな見出しが目に入りました。

「菅に逆らった、原発所長、男気」

実は海水注入を中断せずに、現場判断で注入を続けていたことを報じたものなのですが、この辺のタイトルのつけ方はさすがですね。思わず130円出して買ってしまいました。

大新聞が書きたくても書けないことをピンポイントで突いてきます。

私はその昔、ジェット機のパイロットから聞いた話を思い出しました。

機が何らかの事情で操縦不能になったらどうするか。

そのパイロットが教官から教わったのはただ一つ。

「乗客を救おうとか、管制塔の指示に従うとか、そんなことを考えるよりも、自分が生き延びることだけを考えろ。それが結果的には乗客、乗員を救うことにつながる」

たとえ官邸が「総理が海水注入を中断しろと言っている」と指示したとしても、そんなことをしたら現場の所長以下、職員の命が無くなる可能性が高くなる。だとしたら、現場の指揮官としては、現場が生きることを優先させる。それが結果的には日本を救う道につながる・・。

まったくの私の憶測ですが、当時の吉田所長はまさに操縦不能機を運航するパイロットのような心境だったのかもしれません。(すいません、最近憶測でブログを書くことが多くて反省しています)。

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