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2011年10月 3日 (月)

権威への挑戦

『The History of Jobs and Apple』(注:日本語の本です)を読んでいて、改めて自分は凄い時代にスタンフォード大学にいたのだと実感しました。

私がこれから先、自分の一生を終える時に

自らの人生を振り返って後悔することは何か・・・

それは間違いなくスタンフォードでの2年間です。

スタンフォードの周辺であれほどエキサイティングなことが数多く起きていたのに、

私は企業派遣の留学生という枠に縛られ、その機会を十分に生かし切ることができなかった・・・

そのことに対する後悔や自責の念が『The History of Jobs and Apple』を読んでこみ上げてきました。

* * * *

1978年私はスタンフォードのビジネススクールに入り、マクドナルド先生のファイナンスの授業を取りました。

先生は『この近くに出来たインテルという会社。もうナスダックに上場(1971)したんだけど、最近画期的なマイクロプセッサーを開発してね・・』などとよく話していました。

また先生は教室にゲーム会社アタリを創業したノーラン・ブッシュネルを呼んだりしました。

Photo_3

        ( ノーラン・ブッシュネル)

(マクドナルド先生はバフェットの友人でバフェットを教室に呼んだり、あるいはキャピタル・アメリカのカービーを招いたりと、それこそ2~3週間に1回は教室にゲストスピーカーを招いていました)

アタリの創業者ノーラン・ブッシュネルは1974年スティーブ・ジョブズをテクニシャンとして採用、ジョブズにゲームセンター向けゲーム機の部品点数を削減するよう命じます。

このときの経験と報酬(5000ドル)が役に立ち、ジョブズは1977年アップルを設立。

スタンフォードのマクドナルド先生が授業で『昨年アップル・コンピューターという凄い会社が出来てね・・』と興奮気味に何回も話していたのが思い起こされます。

この授業を私と一緒に聞いていたのがサンマイクロシステムズを創業したビノッド・コースラやスコット・マクネリーであり、マイクロソフトのスティーブ・バルマー(現CEO)です。

ビノッドやスコットは私と同級生でしたが、スティーブは1年上。彼はビルゲイツに説得され、ゲイツと同じように大学(彼の場合は大学院でしたが)を中途で退学して、マイクロソフトにジョインします。

一方、ビノッドはサンマイクロの後、クライナーに参加。グーグルなどの創業を助けます。

* * * *

さてシリコンバレーの人たちに共通するのは既存の権威に対して挑戦するという精神。

多くの場合、権威とは米国東部エスタブリッシュメントであり、その象徴的存在であるIBMでした。

そしてスタンフォード大学自体が東部エスタブリッシュメントのハーバード、イェールを意識して成長してきたことでも知られています。

『The History of Jobs and Apple』に出てくるアップル創業時のジョブズやウォズニアックの髭面でヒッピーのような写真を見ていると、そこには権威や体制、管理に反発し、人間的自由・解放を目指す70年代の西海岸の若者の顔があります。

* * * *

ところでジョブズが1986年に買収したピクサーはジョージ・ルーカス率いるルーカスフィルム社の一部門。

当時ルーカスは妻と離婚協議中でそのために現金が必要だったため、ピクサーをジョブズに売却したのです。

以来、ジョブズとルーカスは親交を深めますが、

ルーカス自身もハリウッド巨大資本の体制・権威に反発して自らの映画会社を大きくしてきたことで知られています。

30年近くかけてスターウォーズ全6部作を作り終えた後、ルーカスが語った言葉です(詳しくは『こちら』)。

『アナキンはダークサイドと戦いつつも、結局は自らダース・ベイダーになっていく。

私も最初にスター・ウォーズを作り始めたとき、巨大ハリウッド資本に対抗して戦いを挑んだが、

こうして30年近くたってみると、自らが反発していたはずの巨大資本のようになってしまっていることに気づいたんだ』

ジョブズのアップルもIBMやマクロソフトを抜き去り時価総額で全世界1位の会社までに昇りつめました。

今度はフェイスブックを初めとする新しい挑戦者の挑戦を受ける立場になります。

『全てを否定することで新しいものが生まれてくる・・・。 死は生が生んだ唯一の最高の発明品だ・・・。それは古いものを一掃して新しいものが登場するための道を作ってくれる』

ジョブズのこの言葉は築き上げたものにとらわれない、常に挑戦者であり続けたいという彼独特の哲学から生まれてきたのかもしれません。

死と常に隣り合わせて生きてきたジョブズならではの言葉です。

* * * *

ところでマクドナルドのクロックがハンバーガー・チェーン店を創業したのはクロックが52歳のとき。ケンタッキーのカーネルおじさんが現在のケンタッキー・フライド・チキンの原型を生み出したのはカーネルが65歳のとき。

冒頭、私は自分が一生を終える時に自らの人生を振り返って後悔することについて書きましたが、挑戦することを止めてしまっては、いまこの瞬間を後悔することになりかねません。

常に挑戦し続けたいと思います。

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コメント

生きているうちにtoo lateは無い。

投稿: mucka | 2011年10月 3日 (月) 15時23分

生きているうちにtoo late はない!はおしゃる通りで勇気が出ました。
数年前にピケンズが当時80歳を超えるのに風力発電のプロジェクトを始めた記事で読みました。彼については賛否両論あるかもしれませんが、新しいことに挑戦を続ける姿に感動したことを岩崎さんのブログを読んでいて思い出しました。私も頑張ります!!

投稿: 川名 亘子 | 2011年10月 3日 (月) 23時49分

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