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2012年9月12日 (水)

排除の系譜

興銀時代、私は銀行の組合の副委員長を務めていたことがあります。

しかし実のところ、私は労働問題とか組合活動には疎い方で、学生時代にはマルクス経済学をかじったこともありましたが、いまひとつ納得できませんでした。

むしろサムエルソンの「近代経済学」を読んだ時の方がすとんと胸に落ちました。

私が学生のころは、労働問題とか組合というと、まず思い起こされるのが、ストライキ。

JRが国鉄と呼ばれていた時代で、ストで電車がよく止まり、これを利用する者としては大変不便な思いをしました。

国労と動労とがあって、それぞれがストを打っていたような記憶があります。

そう言えばこの当時、国鉄の上層部の方とお会いした時、「千葉方面は動労が強くて成田などには電車や列車のスピードを上げて運航することが難しい」と嘆いていたのが思い出されます。

もっともこれらは1960年代後半~70年代の話であって、実は終戦直後の組合は、これよりも更に強力であったようです。

電力会社でも同じで、かつて電産(日本電気産業労働組合)は強力な力を誇っていたと言われています。

しからば、その電産に電力会社はどう立ち向かったのでしょうか。

(木川田一隆は)「1946年6月、電産の前身となった「日本電気産業労働組合協議会」(電産協)の発足に伴い、これとの交渉役を果たすべく関東配電の企画課長から労務部長に昇進。すぐ労務担当の常務へと昇格し、以来、日発と九配電の首脳らで構成される「電気事業経営者会議」(電経会議)の事実上のリーダー格として、電産を圧倒する労務管理を追求し続けた・・・なお平岩外四が木川田の直属の部下になったのもこの時代だ。1949年に労務部の給与基準係長を拝命し、木川田の下働きを務めている」(123頁)

このように木川田一隆らが電産を排除していく過程を描くことで、東電という会社に流れる脈々とした「企業体質」とでも言うべきものに迫ろうとした作品が、『「東京電力」研究 排除の系譜』(斎藤貴男著)です。

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実はこの本は、ある出版社の編集長の方から「凄い本がありますよ」と勧められて購入したもの。

この編集長は著者の斎藤さんと知り合いらしいのですが、編集長が太鼓判を押しただけのことはあって、読んでみると、私も「なるほどこれは凄い本だ」との感想を持ちました。

数多くの人たち(多くが鍵を握る人物)に取材(インタビュー)を重ね、調べた文献の量も半端ではありません。

しかも本書のカバーする領域は東電に収まりません。

たとえばGHQとレッドパージとの関係。

「レッドパージは「日本の経営者が仕掛けた戦後初めてにして最強の労働争議」であった」(121頁)とする説。

あるいは、

「経団連には他にも、財閥や金融機関の経営者をトップに据えないという暗黙のルールがあった。強大で産業資本の生殺与奪の権を握っている彼らが覇権を得たら、総資本がいいように誘導されてしまいかねないからである」(219頁)といった記述。

本書を読むことで、乾いた土に水がしみこむように、いろいろな事実関係が頭の中にインプットされていきます。

知らなかった部分を知ることで全体像がはっきりと見えてくる、別な言い方をすると、パズルの missing piece が次々と見つかって埋まっていくような快感を得ることが出来た本でした。

もちろんジャーナリストである著者は自らの意見を本書ではっきりと主張しているのですが、自説を強引に展開するようなスタンスは見られません。

むしろ事実を丹念に積み上げているところが多く、事実は事実、意見は意見とはっきり分かれて提示されているところが好感が持てます。

さらに膨大な形で出典が注記さているのも特徴。

あとがきに「私が少なくとも原発推進の立場でないことを承知しながら、それでも誠実な対応をしてくれた原子力ムラの関係者たち、東京電力総務部広報グループの青野泰朗氏にも深く感謝したい」(389頁)とありますが、この本の立ち位置を示す言葉のようにも思えました。

前回のブログ記事でファクラーさん(NYタイムズ)の書籍を紹介しましたが、ファクラーさんに、日本にもこういう経済ジャーナリストがいることを知ってほしいと思いました。

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