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2012年9月 8日 (土)

教えることの難しさ

2007年から大阪経済大学社会人大学院(北浜キャンパス)で毎年講師を務めてきています。

もう今年で6年目なのですが、毎年実感するのが教えることの難しさ。

受講生と一口に言っても、公認会計士もいれば、証券会社勤務の証券マン、中堅企業の経営者、自分で投資講座の私塾を経営されている方など様々な方がおられます。

一人ひとりの経験やニーズは違っていて、ある人にレベルを合わせると他の人は何が語られているのかよく分からない(あるいは逆に退屈に感じられる)ということが起こりえます。

受講生全員が「土曜日の午後にわざわざ学校に来てよかった」と感じるような講義をするというのは、言うのは簡単ですが、実は結構大変なことなのです。

思うに、教えるということには、いくらやってもきりがないという要素があるような気がします。到達点が見えにくいのです。

社会人大学院でもこんな状況なので、小学生や中学生相手の現場の先生のご苦労はほんとうに大変なものだと推察されます。

もちろん学校の先生といってもいろいろですから、なかには割り切っている先生もいれば、教頭や校長といった管理職を目指している先生もいるかもしれません。

しかし多くの先生が現場で一人ひとりの児童や生徒の能力を伸ばすにはどうしたらいいのだろうと知恵を絞っているのが現状なのだと思います。

クラスの出来ない子、宿題をやってこない子にレベルを合わせて授業をすれば、きちんと宿題をやってきた子は退屈してしまいます。

かといってきちんと宿題をやってきた子に授業を合わせれば、やってこなかった子は落ちこぼれていってしまうかもしれません。

* * * * * *

話は少し脱線しますが、今春「自分年金をつくる」といったタイトルの本を書いたことから、読者の方から問い合わせやご意見を頂くことがありますが、なかにはこんな問い合わせ(ご意見?)もありました。

「苦労して自分年金を作ったとします。すると、あなたは自分年金があるのだからといった理由で公的年金を減らされてしまうリスクはありませんか」

何やら宿題をやってきた子とやらない子、あるいは、ヨーロッパできちんと働くドイツ人と必ずしもそうでないギリシャ人の問題にも似たような設問です。

確かに老後のことが心配だとして必要以上に財布の紐を固くしてしまっている人もいれば、その逆に、いざとなれば生活保護の世話になればいいとして老後のことを深く考えずに大胆に使ってしまっている人もいます。

前述の本は、公的年金の不足分をいったいどのくらい自助努力で穴埋めすれば良いのかという視点で書いた本なのですが、もっと根底には自助努力をした人としなかった人との間でこれから先、公的年金支給額に差がつけられていくのかどうか、といった大きな問題が横たわっています。

もちろん現状は差をつけないというものですが、老後に余裕のある人の年金額をカットしようとの案も出てきています。

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