リミッターを外せ
日本で製造販売されている自動車には、リミッターが設定されていると言います(詳しくは『こちら』)。
クルマがある速度に達した場合、指定速度以下となるまで、エンジン出力を抑えてしまうのです(ただし、最近は規制緩和によりフルスケールメーターも増えているらしい;『こちら』)。
これは自動車の話ですが、人間も自分の行動にリミッターを設定してしまうことが往々にしてあります。
どうせ駄目だろうと、やる前から諦めてしまう、あるいは本気でやらないということを我々は無意識のうちにやってしまいがちです。
前回のブログ記事で紹介した山中教授の本が痛快であり、読む人を惹きつけて已まないのは、教授が完全にリミッターを外してしまっているからです。
教授自身こう書いています。
『「こんなん絶対無理」と思われることが1年後には実現し、さらに1年経つと「以前はなんでできないと思ったのかわからない」となる』 (本書99頁)
1998年。
当時35歳であった山中さんは、雑誌に掲載される求人広告を見ては応募する、そしてコネもないので不採用になるということを繰り返していました。
「今回も駄目だろう」と思って、ダメ元で応募したのが奈良先端科学技術大学院大学。
ここの採用面接で「ノックアウトマウスを作れますか」と聞かれ、山中さんは自信がないにもかかわらず、はったりをきかせ、後は野となれ山となれの思いで、「できます。すぐできます」と答えます。
そして採用されてしまいます。
といっても、新任の先生のもとに研究生が入ってくるとは限りません。
奈良先端大では、研究室を選ぶ権利は学生にあり、新入生120名を20ほどの研究室が奪い合うという構図になっていました。
2000年4月、新入生争奪戦が始まると、山中さんは新入生を前に「iPS細胞をつくる」とぶち上げます。
このとき山中さん(当時の肩書は助教授)は37歳。
当時の山中助教授の見立ては、これを成功させるには 20年か30年、あるいはもっと長い時間を要するかもしれないというものでした。
しかし新入生争奪戦のプレゼンでは、そうしたネガティブなことは一切言わずに、もしこれが実現できればどんなに素晴らしいかということだけを話したと言います。
その結果、3人の大学院生が入ってきます。
そしてその3人の研究者と山中さんとが一緒になってiPS細胞を作り出そうと努力に努力を重ねていくのですが、
なんと山中さんたちはたった6年でiPS細胞をつくってしまうのです。
つまりiPS細胞作製成功は山中教授が43歳の時です。
私は本書を読むまで、この人類史有数の偉業が着手以来たった6年で達成されたとは知りませんでした。
しかもiPS細胞を作り出す上で、大きな力となった3人の研究者のうちの1人、高橋さんは工学部出身。
研究開始から4年後、iPS細胞作製成功の2年前にあたる2004年。
この段階で山中教授たちは、ES細胞にとって特に大切な遺伝子をなんとか24個にまで絞り込んでいました。
24個に絞った遺伝子の中に、初期化に必要な遺伝子があるかもしれない、しかしそれをどうやって見つけるか。
このとき高橋さんは驚くべき提案をします。
『「まあ、先生、とりあえず24個いっぺんに入れてみますから」』 (本書 114頁)
山中教授いわく
『工学部出身の高橋君はふつうの生物学研究者にはできない発想ができたのだと思います。
実際に24個すべて入れたところ、なんとES細胞に似たものができました』 (本書 114頁)
24個の中に初期化因子があることは間違いない。
しかし1個だけでないことも明らか。
24個から2個、24個から3個と選ぶ組み合わせは膨大なもので、ぜんぶ実験できない。
『そう考えあぐねていたところ、またしても高橋君が驚くべき提案をしてくれたのです。
「そんなに考えないで、1個ずつ除いていったらええんやないですか」
これを聞いたとき、「ほんまはこいつ賢いんちゃうか」と思いました』 (本書 114-115頁)。
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「こんなん絶対無理」と自分で自分にリミッターを設定してしまってはいけない。
山中教授のこの本はそう我々に伝えています。
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