« 破竹の勢いの米国株 | トップページ | オトバンク »

2013年3月10日 (日)

ピーター・ドラッカーの意見

私の新作が先週末より書店に並びました(アマゾンは『こちら』)。

ご参考までに本の「はじめに」の一部を抜粋します。

* * * * *

いよいよ来月から日本ではサラリーマンの定年制度が変わり、65歳まで働けるようになります。「改正高年齢者雇用安定法」が施行になるからです。

しかしこれで安心できるのでしょうか。

かつて経営学者のピーター・ドラッカーは、

「65歳の定年退職が間違っていることは、だれの目にも明らかである」

と述べました。ドラッカーによれば、定年年齢として65歳が定められたのは、1世紀も前のビスマルク時代のドイツにおいてであり、これがアメリカに導入されたのは第1次大戦時であるとのことです。

「実際には、きわめて多くの高年齢者が、経済的にも心理的にも、たとえパートタイムであっても、65歳を過ぎてなお働くことを欲している」

ドラッカーはこう述べていますが、はたして日本の現状はどうでしょうか。

65歳を過ぎても「働かなくては経済的にやっていけない」、あるいは「働きたい」  ― こう考えている人が多いのではないでしょうか。

日本の場合「65歳定年時代」の幕開けは、実は年金支給開始年齢の引き上げに起因しています。

今までサラリーマンは60歳になると年金が受給できました。それがこれからは60歳になっても年金がもらえなくなります。だから再雇用により65歳まで働いてもらい、年金がもらえない期間をなんとかしのいでもらおう ― これが新制度の意味するところです。

もっとも日本のサラリーマンの現状は、「法律をつくって制度をいじれば何とかなる」という次元をすでに超えてしまっています。

そもそも60歳まで働けるかどうかさえ分からなくなってきているのです。

日本航空のような大企業でさえ経営破綻し会社更生法に追い込まれる時代です。日本電気、シャープなど、昨年1年間で63社の上場企業が早期退職者を募集。

募集人員は1万7000人を超えています。

会社に頼っていれば安泰という時代はとうの昔に過ぎ去ってしまっているのです。

もう30年以上も前になりますが、米国スタンフォード大学ビジネススクールに留学していたとき、教授の一人がこう語っていたのを思い出します。

「人間が生きていくのに必要なものは、家庭(home)だとか、健康(health)といった具合に、Hの言葉で表される。この中でもっとも欠くことができないもの。それは、希望(hope)だ」

これから先の人生に対する希望を失ってしまう ―。

村上龍の『55歳からのハローライフ』に収録された「キャンピングカー」という小説の一節に主人公がかつて大学のゼミをともにした仲間たちと定年後を語り合うシーンが出てきます。

「みんなこの先何もいいことなんかないって思っているんじゃないの」

何もいいことなんかない ― 実はこう思っているシニア世代が少なくないのです。

しかし・・・

* * * * *

ところで編集長のAさんが本書を読んで感想をメールで送ってくれました。

Aさんはわたしよりもずっと(?)若い別の出版社の編集長さんです。

以下、Aさんには無断で一部を抜粋します(Aさん、すいません。問題あるならこの部分削除しますのでご連絡ください)。

* * * * *

『いやはや、ここに書かれていることは他人事ではなく、先夜も同業者の友人と
「60過ぎたらどうしようか?」
と話していたところです。

・・無理矢理に選択肢を絞らずに、読者に自らの今後のことを緩やかに選ばせる雰囲気もこの本にはあって、とてもいい感じでした』

* * * * *

アマゾンにも「不思議なことにむしろ勇気の湧く一冊なのではないかと思います」との書評が載って(『こちら』)、著者としては嬉しく思います。

|

« 破竹の勢いの米国株 | トップページ | オトバンク »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 破竹の勢いの米国株 | トップページ | オトバンク »