経営コンサルタントとしてこれまで多くの企業経営者に接してきました。
経営者の人たちは総じて『孫子』や『兵法三十六計』の本を好んで読みます。
たとえば『孫子』十三篇の『九変篇』。
『九変の利に通ずれば、兵を用うることを知る』
『九変篇』のなかにはこのような記述があり、
圮地(足場の悪い場所)、囲地(敵の包囲にあったとき)などの特殊な条件のもとにおける対応のしかたについて述べています(入門「孫子と兵法三十六計」78頁)。
要は臨機応変に行動する重要性を説いているのですが、刻一刻と変化する経営環境下にあって、経営者たるもの、ときに朝令暮改になることを恐れてはいけません。
また『九変篇』では次のようにも述べています。
『将に五危あり。必死は殺さるべきなり、必生は虜にさるべきなり、忿速は侮らるべきなり、廉潔は辱めらるべきなり、愛民は煩わさるべきなり』
すなわち将軍が陥りやすい危険として、「必死」、「必生」、「忿速」、「廉潔」、「愛民」の5つについて説いています。
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背水の陣として有名な井陘の戦いは『孫子』や『兵法三十六計』ではどう解き明かされるのでしょうか。
以下、入門「孫子と兵法三十六計」6-7頁から抜粋してみます。
井陘の戦いとは、中国の楚漢戦争の中で漢軍と趙軍とが井陘(現河北省井陘県)にて激突した戦い。
この戦いで、韓信率いる漢軍は絶望的なまでに不利な状態にありました。
趙軍が、20万という大軍を用意したのに対し、漢軍がこの戦いに投入したのはあわせて 1万2千、それも相次ぐ遠征によって疲労した軍勢でした。
ここで名将・韓信は独創的な戦術を使います。
彼はまず2千の騎兵を切り離し、密かに迂回させ、本隊(1万)が趙軍を引きつけている間に砦を占領させようと狙わせます。
一方、自分は1万の兵を率いて川を渡り、20万の趙軍と相対峙します。
背後に川を背負い、文字通り「背水」の陣を敷くことで、一歩も下がれなくなった漢軍は頑強に抵抗し、粘り強く戦いました。
これにはさすがの趙軍も攻め疲れ、一旦砦に戻ろうとしました。
ところが、その彼らの目に映ったのは、自分たちの砦に翻る漢軍の旗だったのです。
こうして韓信は20倍近い敵に勝利する奇跡を成し遂げたのです。
戦いが終わった後、部下に勝因を聞かれた韓信は、
「これを亡地に投じて然る後に存し、これを死地に陥れて然る後に生く」と『孫子』九地篇の一説を諳んじてみせたといいます。
「死ぬような状況に追い込むことで、むしろ兵士たちは奮戦するだけになり、結果として生き残る」(背水の陣)というわけです。
入門「孫子と兵法三十六計」(6-7頁)は最後にこの戦いを以下のように解説しています。
「漢軍が背水の陣を敷いても、趙軍がノコノコと砦を出て行ったりしなければ、このような逆転劇はありえなかった。
そして、その攻撃を誘ったのは、戦術上絶対的に不利とされる背水の陣であった。
つまり、韓信は弱点を見せ付けることで相手の動きを誘導し、結果として生まれた隙を突いてみせたのだ。
これは『兵法三十六計』の「仮痴不癲」(あえて愚か者のふりをして油断を誘う)の精神に通じるものであり、また『孫子』計篇の有名な言葉「兵は詭道なり」の実践とも言える。
韓信は背水の陣という一見不合理に見える作戦で、味方の強化と敵の弱体化という一石二鳥を実現したのである」
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入門「孫子と兵法三十六計」、お勧めです。