ケインズと株式投資(その2)
香港に行っていて一昨日戻りました。
香港の人たちは相変わらずエネルギッシュというか、パワー全開という感じでした。
飛行機の中で読んだ本が、百田尚樹さんの『夢を売る男』。
前回メルボルンに行くときに読んだ同じ百田さんの『海賊とよばれた男』が面白かったので、成田空港のTSUTAYAで買ったものです。
放送作家として活躍していただけあって、百田さんの本は読みやすいですね。
飛行機の中で読むにはうってつけでした。
本書の登場人物牛河原と荒木の会話が笑わせます(本書206頁より)。
「かといって、元テレビ屋の百田何某みたいに、毎日、全然違うメニューを出すような作家も問題だがな。前に食ったラーメンが美味かったから、また来てみたらカレー屋になっているような店に顧客がつくはずもない。しかも次に来てみれば、たこ焼き屋になってる始末だからな・・・」
「馬鹿ですね」
「まあ、直に消える作家だ」
一種の自虐ネタなのでしょうが、こう書けるのは、自信のなせるワザでしょうか。
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さて前回のブログ記事の続き。
ケインズです。
ケインズを知るには、ロバート・スキデルスキーの3部作を読むべきと言われています。
John Maynard Keynes: Volume 1: Hopes Betrayed 1883-1920
John Maynard Keynes: Volume 2: The Economist as Savior, 1920-1937
John Maynard Keynes, Vol. 3: Fighting for Freedom, 1937-1946
いずれも 500頁~800頁の大作で、まとまった時間が取れないと読破するのは大変そうです。
私のこのブログ記事は前々回、前回、そして今回も(スキデルスキーの3部作には依らず)、バートン・ビッグスの『ヘッジファンドの懲りない人たち』、東谷暁「経済学者の栄光と敗北- ケインズからクルーグマンまで14人の物語」、日経新聞、雑誌記事などを参考にして書いています。
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1921-46年にかけて、ケインズはケンブリッジ大学の基金を運用しましたが、このときの記録をベースに記事にしたのが、2013年6月19日付の日経新聞記事。
この記事自体はDavid Chambers と Elroy Dimson による『こちら』のレポートをベースに書かれたものと推測されます。
日経の記事によると、ケインズの大学基金運用成績は年平均15.97%。
同時期の英国株式全体のリターンが年10.37%だったので、これを5%強上回ったとしています。
資産の6~7割を株式で運用。
運用スタイルは①バリュー投資、②集中投資、③長期投資、④逆張りといった具合で、ウォーレン・バフェットのそれに近いものであったとしています。
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ケインズは「輝くばかりの知性と、かみそりのように鋭い頭脳を持っていた」(ビッグス、上掲書)と言われています。
1929年の大恐慌。
「大暴落で痛手をこうむったことで、ケインズは自分の個人資産の運用方法を変えた。
1920年代、彼は自分を、通貨や商品の投機を使って景気循環で賭けをする科学的ギャンブラーであると考えていた。
レバレッジは危険だと知りつつも、自分はどんな大災害も抜け目なく動いて避けることができると信じていた。
一度、市場が下落しているときに、アルゼンチン産の小麦1ヶ月分の現物渡しを受けなければならなくなったことさえあった」
「大暴落後、彼は株式に特化した。
価値を推定できるからだ。
また、バリュー派の長期投資を行うことがずっと多くなった。
しかし、リターンを大きく取るために、いつもレバレッジを使っていた」
「ケインズは根拠なき熱狂や相場の天井を見極めるのが決してうまくはなかった。
彼は1937~1938年の下落相場でまたしても大きな損失を出すことになる」
「ケインズが投資というゲームを好んだのは、投資とは自分の頭脳や直感で市場に立ち向かうことであるからだ」
「レバレッジと神経について言えば、ケインズは自分がやっていることをちゃんとわかっていた。
なにせ、1920~1921年、1928~1929年、そして1937~1938年と、レバレッジの高い代償を3度も払っているわけだから」
「1938年の終わり、彼の運用資産は14万ポンドに減っていた。
1936年の終わりに比べて62%の減少だ。
市場はすでに反発していたから、一番ひどいときの損はもっと大きかったに違いない。
ケインズが破産しかけたのはこれで3回目であり、突然鬱になったり癇癪を起したりするとリディアにこぼしている。
その後の年月、とくに第二次世界大戦中には、彼の投資は控えめだったが、ポートフォリオはいっそう株式が中心になった。
彼は株式に関する興味深い話をどうしてもやり過ごせなかったのである」(以上、いずれもビッグス、上掲書)。
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株式投資で成功するには「市場がフォローしてくれる」ことが必要です。
ケインズがいかに才気煥発で優良株を発掘できたとしても、ほどなくして市場がその優良株に気づき、フォローして買って値を上げてくれないことにはどうすることもできません。
ケインズは株式投資を美人投票にたとえましたが、「もっとも美人である女性」を選ぶのではなく、「投票者全体の平均的な好みに最も近かい者」を選ばなくてはならないとしました。
才あるケインズは、「もっとも美人である人」を選ぶことは出来たのでしょうが、市場は必ずしもそれに同意してフォローしてくれるとは限らなかったのです。
ケインズが62歳で生涯を閉じたとき、投資家としての彼は当時のお金で40万ポンド(注:50万ポンド弱との説もある)を残しました。
これは現在のお金で17億円とか20億円と言われています(注:32億円という説もある)が、いずれにせよ最終的には多くの財を残し得ました。
しかしそこに至る道のりはけっして平たんなものではなく、失敗と挫折と苦しみを伴うものであったのです。
70歳でヘッジファンドを始め昨年7月79歳で他界したビッグスは次のように書いています(上掲書)。
「集中力と深い洞察力を持つこの卓越した分析家でさえ、大きな成功であった投資歴の間に3回も破滅しかけたというのは、変な話だがほっとしてしまう」