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2013年7月10日 (水)

28番目の加盟国

香港から帰って数日間日本にいただけで、今度はクロアチアに行ってきました。

クロアチアと言えば、今月1日に、28番目の加盟国として、新しくEU(欧州連合)に迎え入れられた国。

Croatia

      (写真はクリックすると大きくなります)

1991年に旧ユーゴスラビアから独立しましたが、その後も民族間の争いが続き、私が1週間ほど滞在したドゥブロヴニクの町も、92年まで戦火に見舞われていました。

空港からホテルまでタクシーを運転してくれたドゥーロ・オブラドヴィックさんも22年前、「銃を持って戦争に参加した」と言います。

「当時私は26歳だった。セルビア人は内陸にいるだけでは飽きたらず海に出たかったんだ。それでこの町(ドゥブロヴニク)に攻めてきた。

モンテネグロもドゥブロヴニクに攻撃をしかけてきた。

我々は必死になって戦ったが、1日に3000発もの爆弾を落とされた時もある。

今でも町のあちらこちらに戦火の傷跡が残っている。

幸い、私も家族も無事だったが多くの友人が死んだ。

クロアチアは今回 EU(欧州連合)の一員になったが、セルビアはまだEUのメンバーになることが出来ていない」

ドゥブロヴニクの旧市街には戦争写真館(WAR PHOTO LIMITED)があり、建物の上層階からスナイパー(狙撃手)に射殺された市民の写真などが展示されています。

Dubrovnik3_2

  (WAR PHOTO LIMITEDの許可を得て展示写真の写真を撮りました)

書店でアニタ・ラキドゥジージャさんが書いた「ドゥブロヴニクのある戦争物語」(2009年7月版)を買いました。

Anita_2

アニタさんは今年55歳。

この本は1991年10月1日から始まる日記形式で綴られており、1992年8月30日で終わります。

この日、アニタさんの息子ヴラーホ君(本の写真の少年です)は、戦火に巻き込まれて亡くなりました。

9歳でした。

「あなたはまだ幼い子供でした(You were only a little boy)。しかし偉大な人(a great man)であり、私にとっての偉大な息子、そしてクロアチアの偉大な息子でした」

こう書き記してアニタさんは本書を終えています。

クロアチアのEU(欧州連合)加盟に関連して、ドイツの大衆紙ビルトは「クロアチアは我々ドイツの納税者のカネの新しい墓場」と評していると言います(7月3日付、朝日新聞)。

「EU(欧州連合)を28か国に拡大させるよりも、まずは17か国のユーロ通貨圏(EU加盟でユーロを使用している国)の結束と安定だ」という声も少なくありません。

    Dubrovnik2

     (現在は平和なドゥブロヴニクの光景)

しかしかつて戦争で戦ったタクシー運転手のオブラドヴィックさんの次の言葉を聞くと、この問題は必ずしも経済的合理性だけでは割り切れないことを知ります。

「我々は過去からずっと戦争をしてきた。しかも50年に1回は大きな戦争だ。今月EU(欧州連合)に加盟したことにより、少しでも平和が長く続くようになればいいと思う」

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