零戦
1970年というと今から43年前。私はまだ高校生でした。
このときに書かれた本が今また多くの読者に読まれていると言います。
堀越二郎著『零戦』。
現在上映中の『風立ちぬ』や百田さんの『永遠の0』(12月21日上映開始)を見たり読んだりして、この本を買ってみたという人も多いのでしょう。
航空機の設計の話であり、1970年に書かれた本。
手にしたときは「読みづらいのかな」と思って頁をめくってみたのですが、あにはからんや、ひじょうに平易に書かれていました。
著者の堀越二郎氏は零戦の主任設計技師。
本書は、堀越氏が勤務する三菱重工業の名古屋航空機製作所に、海軍から「十二試艦上戦闘機計画要求書」が送られてくるところから始まります(昭和12年10月6日)。
この要求書には、試作機の最大速度、上昇力、航続力など全体で20項目近くについてこまごまと記されていました。
最大速度:高度4千メートルで、時速5百キロ以上。
上昇力:高度3千メートルまで3分30秒以内で上昇できること。
航続力:ふつうの巡航速度で飛んだ場合、6時間ないし8時間。
これを見て堀越氏は「わが目を疑った」と言います。
「はたして、こんな飛行機ができるものだろうか」と、「不安がだんだん広がっていくのを感じないではいられなかった」とのこと。
なお「十二試艦上戦闘機」とは零戦の試作段階での呼び名でした。
こうして本書には堀越氏を中心とする設計チームが「不可能と考えられていた海軍の要求」に挑戦していく過程が描かれているのですが、堀越氏自身、本書の冒頭(第1章、43頁)で次のように書いています。
「どんなにすぐれた戦闘機でも、平時で4年、戦時なら2年で旧式となり、通用しなくなってしまう」
しからば零戦優位のもとで始められた日米開戦のあと、日本とアメリカはそれぞれどう対応したのでしょうか。
本書の最後の方(212頁)で堀越氏は次のように書いています。
「アメリカは、開戦とともに、率直に零戦の優位を認め、零戦から制空権を奪う新しい戦闘機と、・・戦略爆撃機の完成に技術開発力を集中し、
それ以外の中間的な機種を新しく開発するのを中止した・・
単発の艦爆や艦攻、双発や四発の陸爆などは緒戦に現われたものがそのまま使われていた・・」
これに対して日本は、
「挙国一致の重点政策に切り換えるべきだったのに、開戦から2年たっても、航空機開発にはいぜん、総花主義が行われていたのである」
選択と集中を徹底させた米国と、総花主義を追い求めた日本。
何やら戦後数十年を経て現れる日米経済戦争(企業間競争)を暗示しているような記述です。
なお私には堀越氏が「まえがき」に書いた次の言葉が印象に残りました。
「自分の仕事に根深くたずさわった者の生涯は、一般の人の生涯よりもはげしい山と谷の起伏の連続である・・
大きな仕事をなしとげるためには、愉悦よりも苦労と心配のほうがはるかに強く長い・・
そして、そのあいまに訪れる、つかのまの喜びこそ、何ものにもかえがたい生きがいを人に与えてくれる・・」
著者の堀越二郎氏は、本書を著した12年後の1982年、78歳で他界されています。