現場に足をはこぶ
人気テレビドラマ半沢直樹を見ていると、銀行員が現場(取引先)へ足を運ぶことの重要さを改めて思い知らされます。
かつて興銀の審査部には「宅調」という制度がありました。
お金を貸して良いか、貸さないか、一つの企業を審査するのに要することが出来る時間は、興銀審査部の場合、通常1か月間。
宅調とは、「この間、銀行に出社するには及ばず」という制度でした。
私が在籍していた時(1987~92)にはすでに宅調制度は無くなっていましたが、部の雰囲気としては宅調時代に近いものがありました。
審査対象の会社の主要工場に通って、工場長のみならず現場の方たちの話を聞く、製造工程を把握する、あるいは納入業者や顧客にヒヤリングをかけるために訪問する・・。
日中はこうしてほとんど外に出ていることで時間が過ぎていきます。
外出先から深夜自宅に戻り、入手してきた資料を整理し、ヒヤリング内容を紙にまとめていく・・・。
銀行審査部の席をあたためている時間はあまりありませんでした。
* * * *
「現場に足を運ぶ」ということを徹底させてきたつもりの私にも、今になって思うと反省点は多々あります。
自戒の念を込めて書きしるすと、そのひとつが、水俣病を引き起こしたチッソ㈱を融資課長として担当していた時のこと。
金融支援をめぐっては環境庁、大蔵省(大臣官房、銀行局、理財局)、熊本県庁、他の市中銀行などとの調整に追われました。
この間、チッソの水俣工場には何度も足を運び、マスコミ(地元熊日や西日本新聞)の取材を受け、国会議員の方々からの呼び出しにもこたえるといった毎日。
しかし当時の私に決定的に不足していたのは地域の方々と(直接お宅にお邪魔してでも)1対1になって会話をするということでした。
いったい水俣の方たちはどんな気持ちでいるのか。本当の気持ちはどこにあるのか。
この基本中の基本とも言える情報を私は2次情報に頼ってしまった―このことが悔やまれます。
もちろん東京から来た銀行員にすぐに心を割って話してくれることはなかったかもしれません(ただでさえ東京の私には熊本弁が難解でした)。
しかし努力はすべきでした。
「水俣病であると手を上げると、まわりの人たちから白い目で見られる。
金が欲しいのかと思われるのが辛いし、私はこれから先、ずっとこの地で生きていかなくてはならないから、そんなことは出来ない」
当時こうした生の声を直接聞くことが出来ていれば、もう少し違った対応が出来たかもしれません。
(なお水俣病の問題については以前にもいくつかブログ記事を書いてきています)
『金融機関から見た水俣病(その1)』(2006年2月25日)
『金融機関から見た水俣病(その2)』(2006年3月28日)
『金融機関から見た水俣病(その3)』(2006年4月13日)
『金融機関から見た水俣病(その4)』 (2006年4月14日)
『新聞協会賞』(2006年9月7日)
『宝子』 (2007年1月28日)
『Chisso accountable to public』(2008年2月3日)
『水俣から、未来へ』(2008年10月26日)
『オバマ大統領と水俣病』(2009年12月1日)
『金融のロジックと財政のロジック』(2010年2月24日)
『汚染者負担の原則』(2011年3月23日)
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