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2014年2月28日 (金)

成長のスピード

テスラの株が今月に入って、約3週間半(2月3日~27日)で、43%も上昇。

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261ドルを付けました(その後、すこし下げています)。

時価総額にして 3.2兆円。

提携が報じられたパナソニックとほぼ同サイズ。マツダの2倍以上。

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テスラは2003年設立。

従業員数約6,000人。

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ITの分野はもっと早いですね。

WhatsApp は1.9兆円でフェイスブックに買収されました。

この会社は2009年2月の設立。

今から5年前です。

1.9兆円というと楽天の時価総額とほぼ同じ。

日本で新興企業と言われる楽天も設立は1997年。

今から17年前です。

ところでWhatsApp 創業者 Jan Koum の話がフォーブスに載り(『こちら』)、日経に翻訳されてアップされました(『こちら』)。

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今週38歳になったばかりの Jan Koum は、16歳のとき、ウクライナから母親とともにシリコンバレーに移住してきた……。

母親は子守、Jan Koum は食料品店の床掃除の仕事に就き、生活費を稼いだ……。

そして18歳になるころには古書店で参考書を買い、コンピューター・ネットワーキングを独学で学んだのだとか。

こういった人がどんどん出てくるところがシリコンバレーの凄いところだと思います。

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2014年2月27日 (木)

マウント・ゴックスの謎

実際に私のまわりにも被害にあった人がいるのですが、いったい何が起きて、これから先どうなるのでしょうか。

以前はマウント・ゴックスに口座を開設しようとすると、これだけ(↓)のことをしなければなりませんでした。

『Mt.Gox(マウント・ゴックス)に口座アカウントを開設する方法』 (←こちらをクリック)

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つまりパスポート、運転免許証などの何れかをスキャンしてファイル(PDFかJPEGかPNG)の形にして送って、さらに公共料金請求書、インターネット利用料金請求書、携帯電話料金請求書などの何れかも必要……

それがいまではマウント・ゴックスのサイトに行くと、この説明文(↓)が出てくるのみ。

『マウント・ゴックスのサイト』 (←こちらをクリック)

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Mark Karpelès氏は5年前に日本にやってきたフランス人とWSJは報じていますが・・・。

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2014年2月24日 (月)

村上太胤薬師寺副住職のお話

先週の勉啓塾は村上太胤(むらかみたいいん)薬師寺副住職をお招きして、「歴史に学ぶ~日本人の心~」と題して講演頂きました。

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以下は勉啓塾幹事の方より送られてきた案内文より:

『みなさまご存知のように、薬師寺は天武天皇により680年に発願され、文武天皇の時代になって飛鳥の地に堂宇が完成した、日本を代表する名刹で、ユネスコ世界遺産にも登録されています。

法相宗の大本山であり、今もなお、学問寺として日々僧たちが研鑽と修行を重ねています。

村上太胤師は昭和22年に生まれ、龍谷大学文学部仏教学科を卒業後、今日までの長きにわたり、薬師寺で僧形生活をおくられました。

現在、副住職として、薬師寺の重責を担っておられます。

仏教をわかりやすく説いた数々の著作があり、現代社会の中で果たす仏教の役割について深い考えをお持ちです』

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「薬師寺は学問寺であり檀家や墓がありません」と話し始められた村上太胤副住職のお話は大変興味深く、2時間の講演時間はあっという間に過ぎてしまいました。

私は必死でメモを取りました。

しかしこのメモを使うよりも、村上太胤副住職が著された『かたよらない こだわらない とらわれない 般若心経の力』と題する本に従って、講演のエッセンスを記してみたいと思います(青字は引用箇所でカッコ内は引用頁)。

(1)仏教の伝来

「飛鳥時代に仏教がはじめて日本に入ってきたとき、受け入れるかどうかで大論争になりました。

当時の日本人は、朝鮮や中国の仏さまを「仏」とはいわずに「蕃神」(ばんしん)と呼び、神さまの一部だという解釈をしました。

それまでの日本の神さまというのは姿がなかったのに、そこへ突然、姿のある仏さまが現れたわけですから、すごい存在として受けとめたのではないでしょうか。

蘇我氏は外国ではこの蕃神を祀っているのだということで、新しいものを受け入れようとしました。

日本古来の神道を務めていた中臣氏や物部氏は受け入れないほうがいいという立場でした。

けっきょく蘇我氏が仏教を祀るのですが、その後、疫病が流行すると、仏さまを祀った祟りではないかとお寺が焼かれたり仏像が捨てられたりしたそうです」(111~112頁)

(2)山が神さま

「日本人は昔から森、岩、木といった自然界の万物に神聖なものを感じ、畏敬の念を抱いてきました。

森羅万象です。

日本人は農耕民族ですから山や森や川、水に対しても木に対しても、神を感じながら生きてきたのです。

「大和」というのは大国主命と天照大神の荒御魂、和御魂が大きく和するところという意味だそうです。

香具山、畝傍山、耳成山の大和三山や三輪山、御蓋山は神さまの山として崇められてきました」(103~104頁)

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(3)薬師寺と伊勢神宮

「昔、薬師寺や伊勢神宮が造られた頃は、神と仏は当たり前のようにいっしょに祀られていたのです。

天武天皇と持統天皇の時代に、薬師寺が造られ、天照大神が伊勢神宮に祀られました。

この時代に伊勢神宮が日本の神さまの根本・中心であるとされたわけですが、こうした日本の精神の形、宗教の骨格をつくられたのが天武天皇と持統天皇です。

天武天皇は自ら出家されて薬師寺を造られたのですが、それを引き継いだのが持統天皇です」(100頁)

「天武天皇亡き後、皇后であった持統天皇が即位され、その遺志を引き継いで690年には伊勢神宮の遷宮を初めておこなっています。

その7年後、697年には薬師寺の薬師如来さまが完成しています。

夫の遺志を継いでお伊勢さまと薬師寺を完成させるのが持統天皇の人生の大きなテーマでした。

それはまたおふたりの、神と仏をともにお祀りする、という大きな願いだったのだと思います」(101~102頁)

「精神的な日本人とは、神さま仏さまを敬うことにより、心の支えとなるものを持っている人、という意味です。

神仏習合・神仏和合といわれるように、この時代から神さまも仏さまも私たち日本人の心に宿るようになったのかもしれません」(102頁)

(4)「和をもって貴しと為す」として神道と仏教との調和をはかろうとした聖徳太子

「日本に伝わった仏教を聖徳太子が広められたわかですが、それまであった神さまと仏さまは仲よく結ばれました。

薬師寺では金堂の上に注連縄が飾ってありますし、今でも門前の八幡さまは薬師寺が管理しています。

東大寺のお水取りでは今も神事が行われます。

奈良ではまず神さまを大切にします。

薬師寺は法相宗という宗派ですが、法相宗の守護神が春日大社です。

かつては神社のなかに寺があり、寺のなかに神社がありました。

ですから、奈良では今でも神社とお寺の人たちがいっしょに集まって仲よく勉強会をしています。

今のように神さまと仏さまが別になったのは明治維新で神仏分離令が出され、廃仏毀釈で多くの仏教施設が壊されてからです。

興福寺などは藤原氏のお寺で大きかったのですが、敷地も没収され、大半は壊されてしまいました。

奈良の神社のお堂のほとんども壊されてしまいました。

そうやって明治政府の都合で神仏が強制的に分離されましたが、奈良のお寺では神仏習合のまま、今日まで千何百年も儀式や交流が続いています。

それは神や仏に見守られているという本来の日本人の心、精神文化によるのではないかと思います。

奈良や京都では神社とお寺を順番に霊場巡りするという神仏霊場会というのがあり、お伊勢さまからはじまり順番にお参りします」(98~99頁)

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2014年2月20日 (木)

日仏シンポジウム「ルーツとルーツの対話」

今から37年前。

私は大学を出て日本興業銀行に入行しました。

最初の配属先は外国為替部。

このときの上司、冨永重厚さんは現在フランス、パリに在住しています(もともと行費留学生として若い頃はパリに留学し、その後興銀のパリ支店長も務めた方です)。

現在冨永さんはボランティアで、フランスの公益法人「笹川日仏財団」の理事長をしています。

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さてその冨永さんから昨日『日仏シンポジウム「ルーツとルーツの対話」に寄せて』と題する文章が送られてきました。

以下、その文章です。

『笹川日仏財団は2014年3月11日(火)から14日(金)まで、伊勢の皇學館大学より 特別のご協力を賜り、日仏シンポジウム「ルーツとルーツの対話」を同学にて開催いた します。  

2013年は20年に一度の伊勢神宮式年遷宮の年であり、2014年3月はその年度の最後にあたるとともに、東日本大震災から3年目を迎える時期であります。

未曽有の東日本大震災が私たちに向けている根源的問いかけを忘れる訳には行きません。

戦後日本がその経済的発展の中で置き忘れてきた問いかけです。

この問いかけに答えることは決して容易なことではありません。

苦しいことでもあります。

しかし一度心を虚しくしてこの問いに答えることが今必要ではないでしょうか。

期しくも2013年は1200年以上の長きに亘って続けられてきた20年に一度の伊勢神宮式年遷宮の62回の記念すべき年であります。

決して偶然であるとは思えません。

2013年には1300万人もの多くの人たちが伊勢神宮を参拝されたのは何故なのでしょうか。

そのようなタイミングで、アンドレ・マルローの遺して行った「ルーツとルーツの対話」、 すなわち日仏両国がそれぞれお互いを写す鏡となり、共通のテーマを設け自分たちの文 化を紹介する、あるいは相手の文化に言及する、といった対話を是非とも実現したいと の思いから、本会議の企画はスタートいたしました。

日仏を代表する知識人・学者・文化人が4日間一堂に会し、じっくりと話し合いこれか らの新しい精神文化の在り方を模索して行きます』

プログラムの詳細は上図および下図の通り。

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どちらの図表もクリックすれば大きくなりますが、下記をクリックするとPDFファイルをダウンロードできます。

「JF.pdf」をダウンロード

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2014年2月19日 (水)

番組の録画

昨日ご案内した番組の録画ですが、『こちら』でご覧になれます。

(右側の窓の一番上をクリックしてください;「ご指定の映像は見つかりません」と出てくることもありますが、気にせずに右側の窓の一番上をクリックしてください)。

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2014年2月18日 (火)

スーパーサイクルの終焉

昨晩は日経CNBCテレビ『日経ヴェリタストーク』に出演しました。

トピックスはスーパーサイクルの終焉について。

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「スーパーサイクル」とは、鉱物や食料などあらゆる商品の相場が同時に長期にわたって上昇しているトレンドを言います。

ところで、ここにきて、この「スーパーサイクル」が変調をきたしていると言われ始めました。

      Commodities

約10年続いた上昇基調が終わり、「サイクルが下落局面に入った」との見方が台頭し始めていますが、はたして実のところはいったいどうなのでしょう。

2000年以降に新興・資源国が歴史的な勃興を遂げる原動力となったスーパーサイクルの変調は、世界経済を揺さぶる波乱要因に化けつつあるとも言われていますが、さて…。

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詳しくは今週発売の「日経ヴェリタス紙」もしくは「上記番組」(再放送は、20日(木) 21:15~)をご覧になって頂ければと思いますが、ここでは記事や番組では触れられていない点を幾つかご紹介します。

【1】スーパーサイクルは終焉したか、どうかに対する2つの見方

①終焉したとする見方

ゴールドマンサックス、シティグループなど(→詳しくは『こちら』

②終焉していないとする見方

マッキンゼーなど(→詳しくは『こちら』

【2】「20年下落、10年上昇のサイクル」との見方

基本的に【1】-①と同じ見方なのですが、Morgan Stanley Investment Management の Emerging Markets and Global Macro のヘッドであるルチル・シャルマ(Ruchir Sharma) は過去200年のデータから、「20年下落、10年上昇のサイクル」の見方を提唱しています(→詳しくは『こちら』

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      (Ruchir Sharma)

ご存知の方も多いと思いますが、ルチル・シャルマは大ヒットしたブレイクアウト・ネーションズ』の著者。

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世界でもっとも賢いインド人25名に選出されています(2013年、雑誌Outlook誌)。

またフォーリン・ポリシー誌が選ぶ2012年の「世界の頭脳100人」の1人にも選出されています(→詳しくは『こちら』)。

とは言うものの、過去のパータンはあくまでも一つの参考に過ぎず、「だから将来こうなる」と結論付けることは出来ません。

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2014年2月10日 (月)

ジョブズの95年のインタビュー

1995年と言えば、ジョブズがアップルを追い出された(1985年)あとで、NeXTを率いていたとき。

マイクロソフトがWindows95を世に出した年でもあります。

当時のジョブズへのインタビュー映像が『こちら』

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インタビューのあとで紛失していたマスター・テープがその後発見されたとのことで、日本語字幕もついて再現されています。

『great idea (スゴいアイデア)と great product (優れた製品)との間には tremendous amount of craftsmanship (大変な職人技の積み重ね)が必要なんだ』

と力説するジョブズの姿が印象的です。

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2014年2月 7日 (金)

ジーコの背番号10番をつけてプレーしたサッカー選手

鹿島アントラーズでジーコの背番号10番をつけてプレーしている選手。

帯にあるこの選手の写真が目に飛び込んでくる本が『組織で生き残る選手、消える選手』

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実はこの写真の選手は、本書の著者である吉田康弘選手。

鹿島ではジーコから後継者として指名されていたと言います。

読んでみるととにかく面白い!

ノンストップであっという間に読み終えてしまいました。

「サッカーの試合で、ひとりの選手がボールに触る時間は・・わずか3分ほど」(本書47-48頁)。

「この3分以外の多くの時間は、選手は少しでも良いポジションを取るために、ボールが動くたびに10センチ20センチと移動し、微調整する作業を行っている…」

「サッカーのおもしろさはボールを持っていない選手の動きにあります」

なるほど、今度テレビを見るときはそこを見るようにしよう…。

「得点チャンスを演出するために、50メートルを全力疾走する選手…残念ながら、そのプレーはほとんどテレビに映りません」

「50メートルも走ってきたのだから(そこに)パスが出てくるのか。いえ、そんな保証はどこにもありません」

そんなシーンが試合中に5回あったとして「どうせパスが来ないから」と思って5回目は全力疾走しなかったら…

「『もうすこしがんばってみるか』『もう1回だけやってみるか』この、あとすこしをがんばれるかで、結果は大きく変わります」

「〝ゴン中山″こと中山雅史氏は、5回チャンスがあれば、まちがいなく5回ともゴール前に飛び込む選手でした」

「バルサ(スペインのFCバルセロナ)の選手は、あらゆる局面でこの地道な作業を繰り返しています。無駄とも思える動きこそ、バルサの生命線です」

サッカーだけでなく、人生のすべてにあてはまることが、誰もが知っている選手の話とともにたくさん出てくる本でした。

 

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2014年2月 5日 (水)

ソチ・オリンピック

ソチ・オリンピックまであと2日。

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Facebookで米国の「友だち」が知らせてくれた動画です(『こちら』をクリックしてみてください)。

CMなのですが最後の最後までCMであることが分からず、思わず見入ってしまいます。

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2014年2月 3日 (月)

ウサギとカメの話

先日ご紹介した『気弱な人が成功する株式投資』の本ですが、本日発売となり書店に並びました。

ところでこの本には「あとがき」を設けていません。

その代わり最終章の最後の項目を「気弱な人たち」と題して以下のように書きました。 

      Usagi   Kame

* * * * * * *

私は高校時代にAFS(アメリカン・フィールド・サービス)という交換留学生のプログラムで、1年間アメリカの高校に留学した。

日本の高校生は大学受験というプレッシャーを抱えているが、アメリカの高校ではスポーツや音楽、演劇などのクラブ活動が盛ん。

自宅でホームパーティーを開く生徒たちもいたし、卒業生たちが高校にやってくるホームカミングの日には、大きなフットボールの試合が行われ、ダンスパーティーが開かれた。

フットボールやバスケの選手は女の子の憧れのまとで、パーティー好きや社交性の豊かな生徒たちが男女を問わず人気を集めていた。

  *

株式投資で成功している人たちはどんな性格の人たちだろうと思って調べてみると、こういったアメリカの高校での絵に描いたような「人気者像」は浮かんでこない。

少年ウォーレン・バフェットは父親の仕事の関係で故郷のオマハから首都ワシントンに引っ越すことになったが、彼は「新しい環境に変わっても、それになじめる性格ではなかった。彼は原因不明のアレルギーに悩むことや夜眠れないことを誰にも話さなかった。両親は彼の健康を非常に心配した」。

結局彼は故郷にいる祖父に手紙を書き、両親のもとを離れてオマハに戻り、祖父のもとで暮らすようになった。

フィリップ・フィッシャーは16歳でカリフォルニア大学(バークレイ校)に入学。

ひじょうに聡明だったが、年齢が若すぎて身体も小さく、スポーツも得意ではなかった。

気弱で、社交性がなく、クラスメートとも打ち解けなかった。 

ジョージ・ソロスの片腕として、クァンタム・ファンドで成功を収め、1990年代にはイギリスの長者番付トップを幾度となくかざったニコラス・ロディティも実際に会ってみると孤独を好む人間だった。

ロンドン郊外の高級住宅地ハムステッドにある白亜の殿堂は、中に入ってみると、アンティークの家具と東洋の敷物と陶磁器で飾られた静かで広いオフィスだった。

そしてそこには年老いた秘書と彼の2人しかいなかった。

「パートナーがいても何の助けにもならない。結局、売るか買うかの判断は真夜中に一人でやらないといけないんだから」と彼は言っていた。 

  *

大会社に入って出世の階段を駆け上がるには、日本でもアメリカでも社交性があって気配りができる人が有利だ。

組織を牽引するリーダーシップも求められる。 

一方、投資家に求められるものとしてピーター・リンチがあげた幾つかの形容詞を拾ってみると、忍耐強さ、自主性、謙虚さといったものが出てくる。

  *

マーケットは誰に対しても公平だ。

由緒正しい家柄の出だろうと、複雑な家庭の出身だろうと関係ない。

エリート社員だろうとニートだろうと、等しく平等に勝負できる。

フィッシャーに言わせれば「自分自身に対して正直になれるかどうか」がポイントなのである。 

  *

本書の「気弱な人」というタイトルは、第1章で紹介した是川銀蔵のウサギとカメの話を読んだ時に思いついた言葉だ。

私は少年時代にカメを飼ったことがあるが、カメは臆病で何かあるとすぐに頭を甲羅の中に引っ込めてしまう。 

是川が書いたウサギとカメの話をもういちど記して本書の結びとしよう。

  *

「ウサギは自分を過信しすぎて勝負を急ぐあまり途中で没落していく。

一方、カメは遅いようでもちゃんとゴールに入っている。

つまりウサギのように顔の皮を突っ張らして目をまっ赤にして先のことばかり考えていては、ゴールは途中で跡形もなく消えていく。

カメになった心境で、じっくり時間をかけて買うことだ」

* * * * * * *

書店でお手に取って頁をめくって頂ければ幸いです。

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2014年2月 2日 (日)

4 World Trade Center

2001年9月11日の同時多発テロでニューヨークのワールド・トレード・センター(WTC)が倒壊してから12年半。

ニューヨークの風景が変わってきました。

WTC跡地に立つことになった6つの高層ビルのうち、7 World Trade Center はすでに2006年に完成済み。

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これに続いて昨年11月には、4 World Trade Center が完成。

設計は槇総合計画事務所。

槇文彦さんと言えば建築のノーベル賞と言われるプリツカー賞を1993年に受賞。

新建築1月号に「私とニューヨークそして4ワールド・トレード・センターへ」と題する文章を寄せています。

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 (1月号の表紙。正面、まん中の背の高いビルが、4 WTC)

以下は槇さんのこの文章のなかで、とくに強く私の印象に残った箇所です。

「2003年の初めであったろうか。ニューヨークの…ディヴィド・チャイルズからファックスが届いた。その趣旨はリべスキンドのマスタープランで提案されている超高層のオフィスビル群の中のひとつのデザインを担当する事に興味があるかという趣旨であった」

「実際にこの仕事を引き受けるかについては、われわれの事務所の中で真剣な討議が行われた…」

「そのコンペにたとえ興味があっても、まず当選した時に本当にそのプロジェクトを責任もって遂行できるだけの人員を含めた体制が事務所内でとれるかが、参加するか否かの決定要因である場合が多い」

4 World Trade Center がオープンしたときには米国の主なメディアで取り上げられました(たとえば『こちら』)。

ニューヨークを代表する高層ビルが日本人の設計によるものというのはなんとなく嬉しいものです。

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