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2014年7月28日 (月)

TDR USJ

日本の人口が減って高齢化が進んでも、外からの訪問者が増えれば(その分)国は元気になります。

中国初のLCC(格安航空)である春秋航空(『こちら』)。

この春秋航空で中国から茨城空港にやってきて(『こちら』)、バスで東京ディズニーリゾート(TDR)にやってくる中国人観光客が多いといいます。

日本への観光というと以前は京都、奈良が中心でしたが、今では東京ディズニーリゾート(TDR)やユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)がホット・スポット。

USJのハリポタ効果で、より一層多くの観光客が日本を訪れるようになってほしいと思います。

現在日本への外国人訪問者数は約1,000万人。

「1,000万人とはずいぶんたくさんの外国人が訪れているんだ」

そういった感想を持たれた方も多いと思いますが、実は、この数字、お隣の韓国よりも少ないのです(韓国を訪れる外国人の方が、日本を訪れる外国人よりも多い;下図)。

残念ながら、日本はマレーシアなどにも抜かれ、アジア8位。

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【注】上図は日本政府観光局のサイトからとりました(『こちら』)。

* * * * *

7年ほど前ですが(2007年9月16日)、似たような話をブログに書いたことがあります(『こちら』)。

「外国人観光客を呼び寄せる」という点からすると、日本は「まだまだ」発展途上といってもいいのかもしれません。

しかしながら……。

7年前にブログに書いた時に比べて、日本への外国人訪問者数は7百万人→10百万人へとかなりの増加。

ランキングも世界30位→27位へと上がってきました!

7月24日の日経報道によると、今年1~6月で外国人訪問者数はすでに626万人を記録。

この数字は過去最高だとか……。

さらなる上昇をハリポタ効果などで期待したいところです。

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2014年7月24日 (木)

長いタイトルの本

かつて「長いタイトルの本が増えている」と新聞に書かれたことがありました(『こちら』)が、最近また増えてきているように感じます。

昨日読んだ本は、『転職したり、フリーランスだったり、離婚を経験した人は知らないと損する、年金の話』。

    Photo

通常、年金の本は、厚生労働省が使う「サラリーマン標準世帯」をベースに書かれています。

夫がサラリーマン、妻が専業主婦で、年金額は(2人併せて)、月21万8000円。

しかし、『夫が平均的収入(平均標準報酬36.0万円)で40年間就業し、妻がその期間全て専業主婦であった世帯(平成25年版「厚生労働白書」)』って、いったいどのくらいいるんでしょうか?

たとえば23歳で大学を卒業して現在60歳の人。この人は37年間(60-23)就業して(保険料を払って)、男性の場合は61歳から年金をもらうことになります。(つまり標準ケースに非該当)。

留学した人、海外勤務した人も標準ケースに非該当。

私のように転職した人、途中から起業した人ももちろん標準ケースに非該当。

これから先、人々の生活が多様化していくと、ますます役所が考える『標準ケース』に該当しない人が増えてくるのかもしれません。

ひょっとすると、今でも、『夫が平均的収入(平均標準報酬36.0万円)で40年間就業し、妻がその期間全て専業主婦であった世帯(平成25年版「厚生労働白書」)』って、意外と少ないのかもしれません。

(少なくとも大学出で現在60歳になってしまった人は、20歳~23歳の大学生であった当時、年金保険料を支払う義務がなかった(91年度から義務化)。このため、標準ケースから外れてしまうわけですから…)

いずれにせよ、「自分は転職したり、フリーランスだったりして、ちょっと気になる人」には、一読の価値がある本だと思います。

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2014年7月22日 (火)

夏が来た

本日は、アクア・アートさんに来ていただいて、ちょっとした空きスペースに水槽を設置。

黄色い魚はカエルレウス、青がコバルトブルーシクリッド、オレンジがレッドゼブラ、白がスノーホワイトシクリッド。

4種ともマラウイ湖の魚です。

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2014年7月20日 (日)

ハリポタ効果

2007年から始めましたので、8年目。

今年も例年同様、大阪経済大学の大学院で教えています。

この間、大阪の街にもいろいろと変化の波が訪れてきたように感じます。

松下(パナソニック)やシャープが元気をなくしたとき(1~2年前)。

このときは、大阪の街も、どんよりとした雰囲気となり、タクシーの運転手さんも「これじゃ仕事にならない」と嘆いていました。

ところが……。

昨日はちょっと違いました。

伊丹に向かう朝の飛行機は満席。

羽田にはスタンバイの客も何人かいて、結局乗れなかった方も……。

大阪の飛行場やターミナル駅には、いつもより若いカップルや家族連れが多く、活気がありました。

聞き耳を立ててみると、どうやらハリポタの話があちらこちらから聞こえてきます。

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そう言えば昨日は多くの学校で夏休み初日。

しかも、USJのハリポタ・オープン後の最初の休みでした。

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とあれば、東京からも、どっと大阪へと人が押し寄せたのにも納得がいきます。

昨日は「大阪の街が元気!」と感じました。

* * * * *

【USJのハリポタについては朝日新聞に7月16日(第1回)~19日(第4回)にかけて掲載された「けいざい新話」(下記)が面白いです。経営者によって企業は良くも悪くもなることが分かります】

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140716-00000010-asahik-bus_all

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140717-00000007-asahik-bus_all

http://www.asahi.com/articles/DA3S11249707.html

http://www.asahi.com/articles/DA3S11251930.html

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2014年7月18日 (金)

ダイナマイトで農業を (その3)

安倍政権が「女性の活躍推進」と謳って1年3ヶ月。

上場企業3,432社のうち女性が社長を務めるのはどれくらいなのでしょうか。

東京商工リサーチの調べによると、上場企業で女性が社長を務めているのは28社(『こちら』)。

率にして0.8%。

当然のことながら、「女性の活躍推進」といった政策が目に見える成果を上げていくのには、やはり相当の時間がかかります。

米国の場合はどうでしょうか。

S&P500に採用されている500社で女性のCEOは22社。率にして約4%。

「なんだ、米国でも意外に少ないんだ」

そう思われた方も多いかもしれません。

その数少ない女性経営者の1人がデュポンのエレン・カルマン(Ellen Kullman)氏。

Ellen_kullman_2

2009年12月にデュポンのCEOに就任しました。

実は2009年からデュポンは社の方向性について議論を進めてきており、役員会はその実行を当時53歳のカルマン氏に託したのでした。

そして昨年(2013年)10月24日。

デュポンは、「より高い成長と、より高価値な会社」(Higher Growth, Higher Value Company)となるべく、従来の化学事業からの撤退を決断します。

そして次の3つの事業分野に注力すると宣言したのでした(『こちら』)。

①農業と栄養関連事業(Agriculture & Nutrition)

②酵素やバイオ燃料などのバイオ関連事業(Bio-Based Industrials)

③先端材料、新素材(Advanced Materials)

化学事業(パフォーマンス・ケミカル)からの撤退とはまた思い切った決断ですが、いったいどういった考えによるものなのでしょうか。

ポイントは、今年5月28日にニューヨークのウォドルフ・アストリア・ホテルで行われた会議でのプレゼン資料(『こちら』)に分かりやすく書かれています。

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上図のとおり、2008年~2013年にかけて、デュポンの主力事業分野(パフォーマンス・ケミカルを除く)の売上の年平均成長率(CAGR)は8%でした。

そしてデュポンとしては「今後も7%の成長は維持したい」と考えました。

ただしパフォーマンス・ケミカル部門(化学会社としての事業部門)をキープしたままでは、7%の成長は難しいと判断。

これを分離することを決断したというわけです。

デュポンによれば、パフォーマンス・ケミカルはプロセス・テクノノロジー主導の事業。

「サイエンスとテクノロジー」主導のデュポンの主力事業領域とは合わなくなっているとのことです(下図)。

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なおパフォーマンス・ケミカル部門の分離については、今後18カ月(~2015年4月まで)の間に細部を詰めて完了させるとしていますが、この分離についてはタックス・フリー(投資家に余分な税金を発生させない)で行いたいとしています(『こちら』)。

具体的には、分離されるパフォーマンス・ケミカル部門の新会社は、デュポン本体と同じく上場会社となり、デュポンの株主は、本体の株とともに新会社の株も持つことになるといった「スピン・オフのスキーム」を検討しているとのこと(『こちら』もしくは『こちら』)。

もっとも最近の報道では、単純な「スピン・オフ」ではなくて、Reverse Morris Trust transaction (RMT)やM&Aによる売却も検討している(RMTについては『こちら』を参照)とのことで、最終的にどうなるかについては、まだよく分かっていません。

いずれにせよ、デュポンとしては、自分の身を切ること、間尺に合わなくなったものを捨てることによって、新しい会社へとトランスフォームする……。

『DuPont Advances Transformation』と題する昨年10月24日のプレスリリース(『こちら』)は、トランスフォメーションの重要性をこう声高に謳っています。

そしてこうしたデュポンの大胆な動きは、212年続いたデュポンの歴史を知れば、ある意味、当然の帰結であるようにも思えてきます。

変わることを恐れない。だからこそ、デュポンは212年も続いてきたのでした。

なお昨年行われたWSJ紙のJohn Bussey氏とデュポンのCEO、エレン・カルマン氏のインタビュー(『こちら』)は一見の価値があります。

冒頭、Bussey氏は、一世紀ほど前にデュポンが全米の農家に対して「ダイナマイトで農業を」と題するパンフレットを配ったことを取り上げて、CEOへのインタビューを始めたのでした。

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      (過去52年間のデュポン社株価推移)

 

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2014年7月15日 (火)

ダイナマイトで農業を (その2)

デュポンが1911年に農家向けに作成した75頁からなるパンフレットは、なんと現在でも米国アマゾンのサイトで購入することが出来ます(『こちら』;ただし15日23時現在売り切れ中)。

      Dupont_farm

それだけこのパンフレットは全米で多くの農家に配布されたということなのでしょう。(売り切れたと思っても、すぐまた新たな出品者が出てくる)。

もっともこのパンフレットはアマゾンで購入しなくとも、Project Gutenberg (日本の青空書店に近い)のサイトで読むことが出来ます(『こちら』)。

以下はパンフレットの表表紙と裏表紙の写真。

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中をちょっと覗いてみると・・・

「農地を耕すのにダイナマイトを使えば、ひじょうに簡単に土壌改良が出来る―障害物は除去され、害虫は駆逐され、土壌は耕しやすいものへと変化する」

デュポンのパンフレットはこう謳い上げていたのでした。

そしてもちろんこう付け加えることも忘れませんでした。

「ダイナマイトは安全です。

実際のところ火薬よりもずっと安全なのです」

しかしデュポンのこのキャンペーン・プロジェクトは失敗に終わります。

デュポン自身がスポンサーとなって行われた『実効性に関する2年間にわたる調査』(1911-13年)……。

この調査の結果、ダイナマイトを使った農地は、結局のところ土壌が改良されなかったばかりか、むしろ劣化してしまったことが判明してしまったのです。

しかも農家にとってダイナマイトは決して安くはありませんでした(1エーカー当たり12.20ドル)。

農家は昔ながらの農具を好み、「ダイナマイトを使ってもらおう」というデュポンのもくろみは外れてしまいました。

1914年。

第一次世界大戦が勃発すると、デュポンは米国政府へ協力する形で火薬などの軍需品の生産を増強。

と同時に化学の知識を使って合成染料の製造を試みるようになります。

戦争はいずれは終わるものですし、ダイナマイトの新規の用途開発が難しいのであれば、デュポンとしては自分自身で新たな事業分野を開発するしかなかったのです。

しかし合成染料の製造と一口に言っても簡単ではありませんでした。

当時の染料はドイツが独占していて、他国の企業は製造ノウハウを持ち合わせていなかったのです。

大戦勃発前は、米国はドイツから染料を全面的に輸入していたのですが、英国海軍による海上封鎖で染料の米国への輸入が完全にストップ。

デュポンは、なんとか自分たちの手で染料をつくろうと研究開発を始めました。

しかし簡単ではありませんでした。

実は、当時、ドイツのノウハウを一部模倣・複製することに成功していた工場が、英国マンチェスターにありました。

デュポンは、このマンチェスターの染料工場にリサーチ・チームを派遣し、研究を重ねていきます。

それでも染料の製法は簡単には修得することが出来ず、かかった研究開発費も当初予算をはるかに上回るものとなってしまいました。

しかしこのとき試行錯誤した研究の成果が、後のテトラエチル鉛(ガソリン添加剤でエンジンのノッキングを防ぐ)やフロン冷凍剤の開発へとつながっていきます。

さらに火薬をつくるのに使われていたニトロセルロース(硝酸繊維素)。

この取扱いから得られたノウハウを活かそうと、デュポンはピロキシリン・ラッカーを製造していた会社を買収。

セルロイド、人工皮革、パイラリン(ピロキシリン・プラスティックの一種で、くし、カフス、自動車のサイド・カーテンなどに使われる)の分野に進出していきます。

こうしてデュポンは「火薬・ダイナマイトの会社」から「化学会社」へと変身を遂げ、その後も数々の画期的な製品を発明し、商業化していきます。

    Nylons

たとえば:

1935年、ナイロンを発明(1939年、製造開始)

1938年、テフロン(ポリテトラフルオロエチレン)を発明(1946年、商品化)

1959年、ライクラを開発。ライクラは、ポリウレタン弾性繊維「スパンデックス」。伸縮性に富み、ブラジャーなどの下着、水着などスポーツウエア、スラックスなどのアウター、自動車シート、メディカル分野などで利用されています。まるでゴムのよう(Like Rubber)なことから「ライクラ」と命名されました。

こうしてデュポンは世界最大級の化学会社へと自らを変身させていきました。

そして昨年10月24日。

今度は「化学会社であることを止める」と宣言して、世界に衝撃を与えました。

続きは、「その3」として次回書きます。

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2014年7月12日 (土)

ダイナマイトで農業を (その1)

トヨタの豊田章男社長は最近インタビューで「トヨタは77歳」ということを口にします。

たとえば6月30日の日経ビジネス(『こちら』)では:

『今、トヨタは77歳です。

人間と違って企業は成長し続ければ未来永劫生きることができます。

自分が社長を何年やるか分かりません。

でも、次の次の次の社長に、会社をどういう状態で渡せるかを常に考えています』

* * * * *

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               (創業後の経過年数)

そういった目で企業を眺めてみると:

ホンダ:66歳(1948年創業)

ソニー:68歳(1946年創業)

アップル:38歳(1976年創業)

アマゾン:20歳(1994年創業)

* * * * *

米国の歴史ある会社はどんな感じでしょうか。

GE:122歳(1892年創業)

デュポン:212歳(1802年創業)

* * * * *

デュポンが創業した1802年。

このとき日本は江戸時代で第11代将軍家斉の時代。

伊能忠敬が132日間かけて第3次測量を行い、十返舎一九の東海道中膝栗毛が出されました。

ところで、これより8年前の1794年。

フランスでは革命裁判所における審判で、「近代化学の父」と称されたアントワーヌ・ラヴォアジエが死刑判決を受けます。

罪状は「フランス人民に対する陰謀」というものでした。

そして判決が出た、その日のうちに、コンコルド広場でギロチン刑に処せられてしまいます。

近代化学の父、アントワーヌ・ラヴォアジエと言えば、「質量保存の法則」を発見したことで有名。「化学反応の前後では質量は変化しない」という、あの法則です。(注:現在では相対性理論に基づく質量とエネルギーの等価性がより根本的な法則で、質量保存の法則はその近似に過ぎないとされています)。

さて、このアントワーヌ・ラヴォアジエに師事していたのが若き日のエルテール・デュポン(後のデュポン社の創業者)でした。

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       (エルテール・デュポン)

そしてアントワーヌ・ラヴォアジエの処刑から5年後。

1799年にデュポン一家はフランス革命を避けてアメリカに移住してきます。

エルテール・デュポンはこのとき28歳。

祖父は時計職人、父のピエールは経済学者でフランス政府の官僚でもありました。

一家で米国にわたったエルテール・デュポンは3年後の1892年、自らの化学知識を生かして黒色火薬工場を設立。

これがデュポン社のスタートとなりました。

* * * * *

デュポンはその後、南北戦争(1861-65年)で大きな利益を上げます。

その頃(1866年)欧州ではスェーデン人のアルフレッド・ノーベル(ノーベル賞設立の遺言を残しました)が、ダイナマイトを発明。

これに触発されたデュポンは、1880年、ダイナマイトの製造に参入。

その後1902年には全米のダイナマイト市場の72%を占有するまでになりました。

しかしながらダイナマイト・ビジネスは軍事、鉱山開発、ビル・道路・鉄道建設などに限られていました。

時は1910年。

第一次世界大戦(1914-18年)はまだ先でした。

この段階でデュポンはダイナマイト・ビジネスを更に成長させようと、新しい用途開発を考えます。

農業でした。

そして、「ダイナマイトで農業を!」をキャッチフレーズとした一大キャンペーンを開始したのです。

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企業の持続的成長のためには、自分たちの製品が使われる市場の拡大が必要です。

そしてその拡大がそろそろ天井に差し掛かってきたと思えたとき、デュポンは強引に市場を作り出そうとしました。

その試みが「ダイナマイトで農業を!」だったのです。

しかしこれは失敗に終わり、デュポンはこの経験からあることを学びます。

企業の持続的成長のためには市場を強引に作りだそうとする(自分たちに合わせて市場を変える)のではなく、

人々が欲するものに合わせて「自分たちを変える」ことが必要だと知るようになったのです。

続きは、「その2」として次回書きます。

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2014年7月11日 (金)

アメリカ住宅事情

1983年1月~87年10月まで4年9カ月にわたってシカゴの郊外に住みました。

   House

上の写真は当時住んでいた家。

グーグル・アースで検索して入手(Street View)した写真です。

厳密には、私が住んでいた頃と比べて2階の窓が増えたり、ガレージの戸が2つに別れたりと、少し改装されています。

当時、家主はブッシャーさんというユダヤ人でした。

ブッシャーさんの職業はビルダー(Builder; 日本で言うと小規模工務店に近い)。

自分で家を建てては貸家にし、当時すでに10軒以上の貸家をシカゴ近郊に持っていました。

さて、いよいよ私が日本に帰ろうとするとき(87年10月)、ブッシャーさんがやってきて、こんな話をしました。

「約5年間、ひじょうに綺麗に使ってくれて嬉しく思う。

ところでお望みならこの家は、あなた、もしくはあなたの勤める銀行に売却してもいい。

12万ドルでどうだろうか(注:当時の為替レート1ドル=145円で換算すると17百万円)」

87年10月というと、日本ではすでに土地バブルが始まっていました。

写真の一戸建てが17百万円というのは、日本と比べるとひじょうに安く感じましたが、シカゴは冬が寒くて長いし、雪かきもたいへん。

いくら安く感じても自分で買う気にはならず、いちおう銀行(日本の本店国際管理部)にも話を上げてみましたが、

「支店長社宅ならともかく、若い人の住宅を銀行が買うことはあり得ません」

と取り付く島もありません。

結局ブッシャーさんにはお断りしました。

さて、この家はいまいくらで取引されているだろうか…

こう思って調べてみると、Zillow という不動産サイト(『こちら』)の推定では現在の推定価格は92万ドル(1ドル101円で計算して93百万円)。

実際にこの家は今から9年前、2005年4月26日に、78万ドル(1ドル106円で換算して、83百万円)で売買されたというパブリック・レコードも出てきます。

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上のグラフはZillowによるこの家の推定価格推移と実際の(過去の)取引価格。

リーマンショック前は110万ドルを超えていたことが分かります。

単純に27年前(1987年)と現在を比べると7.6倍(92万ドル÷12万ドル)。

この間、日本の公示地価は半分以下に下落(『こちら』)。

念のため同じ期間の株の動きも見ておきましょう。

1987年10月1日→2014年7月10日にかけて、米ダウ平均株価は6.4倍(2,639ドル→16,875ドル)になり、一方の日経平均は4割強の下落(25,721円→15,216円)となっています。

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2014年7月10日 (木)

人手不足

人が足りない。

こういった話を毎日のように耳にします。

昨日訪問したA社では

「人手が足りず、施設は完成したものの稼働できない。

このままでは金利やリース料の負担だけが先行して、会社の事業基盤さえ危うくなりかねない」

とのこと。

「募集する人の人件費を5割くらいアップすれば人は集まるだろうが、そうすると今度は会社のビジネスモデルそのものが崩壊する」

と嘆く社長さんもいます。

もう1年以上も前から建設現場では鉄筋工が足りないと言われてきました。

B社では東南アジアのC国に行って「日本で働いてはどうか」と説明会を開いたものの

「日本では(査証の関係で)最長でも3年しかいられないでしょう。

台湾や韓国に出稼ぎに行けばもっと長い期間(11年?)働いていられると聞きました」

と体よく断られたと言います。

一説によると2025年までに介護スタッフだけでも100万人が不足するとか…。

すでに牛丼「すき屋」や外食「ワタミ」の人手不足閉店がニュースになって久しいのですが、

外食や建設だけでなく、いろいろな事業領域で人の確保が企業の生命線に係るようになってきました。

「安い労働力がある」ことが前提とされたデフレ時代の思考法はとうに通用しなくなっています。

経営者は人件費を大幅アップしてもやっていけるように、事業内容の高度化、高付加価値化に取り組む必要があります。

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2014年7月 7日 (月)

読書感想文

最近読んだ本の感想文を2つ。

【1】橘玲タックスヘイヴン TAX HAVEN 』

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私は先日欧州に行く飛行機の中で読みました。

マネーロンダリングやファンドマネージャーの死を題材とする小説。

マネーロンダリングでは、ひと昔前になりますがクレディ・スイス香港や五菱会絡みの事件がニュースになりました(元行員の道傳篤氏についてはその後無罪となったと報じられています;『こちら』)。

またファンドマネージャーの死と聞いて思い出すのが、スイス在住の資産家、霜見誠氏(51)と妻、美重さん(48)の遺体が2013年1月に埼玉県内で発見された事件(『こちら』)。

橘氏の小説は、おそらくはこういった事件にヒントを得て書かれたのでしょうが、小説に類する事件が現実に起きていることを思い起こすと背筋が寒くなります。

とくに霜見氏殺害にはいろいろな背景がありそう(『こちら』)。

なおアマゾンの書評で知ったのですが『タックスヘイヴン』フォトツアーというサイトに行くと、小説の舞台となったところの写真を54枚ほど見ることが出来ます。

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    (シンガポール;ラッフルズ ホテル)

【2】牧野知弘『空き家問題』

7月2日の日経新聞(24面)でも空き家問題が特集されていました。

本書によれば、日本の現在の空き家率は13.1%。

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東京オリンピックが開かれる2020年(今から6年後です)。全国の空き家は1千万戸に達し、空き家率は15%に上ると言います。

さらに野村総研の推定によれば、今後も平成15年当時と同じ年間120万戸の住宅が新たに着工されていくのならば、2040年には空き家率は43%に到達(本書67頁)。

「お隣りは空き家」状態が訪れることになります。

空き家はご近所に迷惑だからと解体更地化すると固定資産税が6倍に跳ね上がるとか…(本書76頁)。

税制の問題も複雑に絡み合っています。

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