ダイナマイトで農業を (その1)
トヨタの豊田章男社長は最近インタビューで「トヨタは77歳」ということを口にします。
たとえば6月30日の日経ビジネス(『こちら』)では:
『今、トヨタは77歳です。
人間と違って企業は成長し続ければ未来永劫生きることができます。
自分が社長を何年やるか分かりません。
でも、次の次の次の社長に、会社をどういう状態で渡せるかを常に考えています』
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(創業後の経過年数)
そういった目で企業を眺めてみると:
ホンダ:66歳(1948年創業)
ソニー:68歳(1946年創業)
アップル:38歳(1976年創業)
アマゾン:20歳(1994年創業)
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米国の歴史ある会社はどんな感じでしょうか。
GE:122歳(1892年創業)
デュポン:212歳(1802年創業)
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デュポンが創業した1802年。
このとき日本は江戸時代で第11代将軍家斉の時代。
伊能忠敬が132日間かけて第3次測量を行い、十返舎一九の東海道中膝栗毛が出されました。
ところで、これより8年前の1794年。
フランスでは革命裁判所における審判で、「近代化学の父」と称されたアントワーヌ・ラヴォアジエが死刑判決を受けます。
罪状は「フランス人民に対する陰謀」というものでした。
そして判決が出た、その日のうちに、コンコルド広場でギロチン刑に処せられてしまいます。
近代化学の父、アントワーヌ・ラヴォアジエと言えば、「質量保存の法則」を発見したことで有名。「化学反応の前後では質量は変化しない」という、あの法則です。(注:現在では相対性理論に基づく質量とエネルギーの等価性がより根本的な法則で、質量保存の法則はその近似に過ぎないとされています)。
さて、このアントワーヌ・ラヴォアジエに師事していたのが若き日のエルテール・デュポン(後のデュポン社の創業者)でした。
(エルテール・デュポン)
そしてアントワーヌ・ラヴォアジエの処刑から5年後。
1799年にデュポン一家はフランス革命を避けてアメリカに移住してきます。
エルテール・デュポンはこのとき28歳。
祖父は時計職人、父のピエールは経済学者でフランス政府の官僚でもありました。
一家で米国にわたったエルテール・デュポンは3年後の1892年、自らの化学知識を生かして黒色火薬工場を設立。
これがデュポン社のスタートとなりました。
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デュポンはその後、南北戦争(1861-65年)で大きな利益を上げます。
その頃(1866年)欧州ではスェーデン人のアルフレッド・ノーベル(ノーベル賞設立の遺言を残しました)が、ダイナマイトを発明。
これに触発されたデュポンは、1880年、ダイナマイトの製造に参入。
その後1902年には全米のダイナマイト市場の72%を占有するまでになりました。
しかしながらダイナマイト・ビジネスは軍事、鉱山開発、ビル・道路・鉄道建設などに限られていました。
時は1910年。
第一次世界大戦(1914-18年)はまだ先でした。
この段階でデュポンはダイナマイト・ビジネスを更に成長させようと、新しい用途開発を考えます。
農業でした。
そして、「ダイナマイトで農業を!」をキャッチフレーズとした一大キャンペーンを開始したのです。
企業の持続的成長のためには、自分たちの製品が使われる市場の拡大が必要です。
そしてその拡大がそろそろ天井に差し掛かってきたと思えたとき、デュポンは強引に市場を作り出そうとしました。
その試みが「ダイナマイトで農業を!」だったのです。
しかしこれは失敗に終わり、デュポンはこの経験からあることを学びます。
企業の持続的成長のためには市場を強引に作りだそうとする(自分たちに合わせて市場を変える)のではなく、
人々が欲するものに合わせて「自分たちを変える」ことが必要だと知るようになったのです。
続きは、「その2」として次回書きます。
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