埼玉大学 「グローバル・ビジネス論」
昨日は埼玉大学教養学部の 浦出隆行客員教授 にお招きいただき「投資銀行ビジネス」について講演してきました。
受講生の約6割が海外からの留学生ということで、約90分間、英語で話しましたが、結構疲れました。
もう少し interactive (双方向)に出来ればよかったと、終わってみてから反省しています。
以下の写真は埼大のキャンパス。
少し早めに着いたので、キャンパスの中を散歩していて撮ったものです。
昨日は埼玉大学教養学部の 浦出隆行客員教授 にお招きいただき「投資銀行ビジネス」について講演してきました。
受講生の約6割が海外からの留学生ということで、約90分間、英語で話しましたが、結構疲れました。
もう少し interactive (双方向)に出来ればよかったと、終わってみてから反省しています。
以下の写真は埼大のキャンパス。
少し早めに着いたので、キャンパスの中を散歩していて撮ったものです。
Facebook共同創業者、Dustin Moskovitz(ダスティン・モスコービッツ)によれば、
「映画『ソーシャルネットワーク』が公開され、起業家の悪い側面が多く描写されました。
しかし、パーティー三昧で、素晴らしいアイデアが浮かぶ毎に試してみる、なんだかきらびやかなライフスタイルだと見られるような描写も多くありました。
しかし現実はそんなに華やかではありません。
辛いこともたくさんあります。
実際、時間に余裕などありません、常に仕事をしています。
・・・『ソーシャル・ネットワーク』は多くの時間を費やして、マークをものすごく嫌な奴として描写しました」 (『こちら』)。
この映画の脚色を書いたのはアーロン・ソーキンですが、彼はこの作品でアカデミー賞(第83回、脚色賞)を受賞します。
論争を呼んだ脚色でしたが、『ア・フュー・グッドメン』(A Few Good Men)(原作・脚色)、『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』(脚色)などでも活躍したアーロン・ソーキン。
彼が現代のハリウッドを代表する脚本家・脚色家であることには間違いないようです。
そのアーロン・ソーキンが、ウォルター・アイザックソンの原作『スティーブ・ジョブズ』の脚色を手掛けることにより、新しいジョブズの映画が制作されようとしています。
スティーブ・ジョブズ役はクリスチャン・ベール。

クリスチャン・ベール(The above photo is from Wikipedia)
彼は『ザ・ファイター』でアカデミー助演男優賞を受賞しています。
監督は『スラムドッグ$ミリオネア』でアカデミー賞を獲得したダニー・ボイル。
映画は数か月のうちに撮影開始になるとか・・・。
『こちら』 でブルームバーグによるアーロン・ソーキンへのインタビューをご覧になれます(1分10秒)。
どんな映画に仕上がるのか、いまから楽しみです。
今月の初め。
たまたま手にして読み始めた本が『不屈の春雷』だったものですから、このブログで何回かにわたって、十河信二(第4代国鉄総裁;1884年-1981年)と島秀雄技師長(1901年-1998年)について書きました。
新幹線開通(1964年10月)の立役者である2人。
いまでは2人とも「新幹線の父」と呼ばれていますが、2人はともに開通の1年半ほど前に辞任します。
技術的にも資金的にも、そして政治的にも困難が山済みで不可能とさえ思われた新幹線プロジェクト。
この実現に執念を燃やした人たちには、いったいどんなドラマがあったのでしょうか。
島秀雄技師長の一家は、父・安次郎、息子・隆と3代にわたり高速鉄道技術開発に携わってきたことになりますが、それぞれどんな思いでこの巨大プロジェクトに向き合ったのでしょうか。
明日午後7時30分からNHKで「妻たちの新幹線」が放送されます。

『こちら』で10分間のドラマ紹介動画を見ることが出来ます。
先週水曜日に行われた勉啓塾。
駐日アルバニア大使夫人のレコ・ディダ(Reko Dida)さんをお招きして、アルバニアという国についてお話しいただきました。
(ご主人の Dida大使)
アルバニアといえば、1945年から1990年までの長い年月にわたり、鎖国をしていたことで有名。
この間は共産党が政権を握っていました。
1990年に共産党政権が終焉を迎え、同時に鎖国政策も終わりをつげました。
いまでは3か月までの滞在であれば、日本から査証無しで訪問することができます。
アルバニアってどこだっけ?
アルメニアとの違いは?
と言う方も多いかもしれません。
アルバニアはバルカン半島の南西に位置し、南はギリシャと国境を接します。
東は、マケドニア、コソボ、北はモンテネグロ、そして西はアドリア海をはさんで、イタリアにつながっていきます。
人口320万人。
面積は日本の四国の約1.5倍。
首都ティラナはローマから飛行機で45分、イスタンブールから60分のところに位置します。
つまり意外と近いのです。
東京からトルコ航空の直行便でイスタンブールまで飛び、そこから約60分。乗り換え時間を入れても14時間ほどでつくようです。
ブトリント、ジロカストラ、ベラットという3つの世界遺産の街を擁し、アドリア海、イオニア海に面する見事な海岸と雪山を併せ持つのだとか…。
鎖国解除後、欧州各国からの観光客が殺到しているとのことですが、これから先、日本からも訪問する人が増えていくような気がします。
ここ数週間、とくに9月29日以降の株式相場の動きを見てみると、米ダウ(下図の青線)以上に日経平均(下図の赤線)の下落がきつくなっています。
これについてはいろいろな解説がなされています。
そのどれにも一理あるのでしょうが、私には黒田日銀総裁と政府との間の微妙な温度差が影響しているように思います。
黒田氏:110円を超えるような円安であっても、さほど懸念しない。2%のインフレ達成(デフレ完全脱却)を優先すべき
政府:急激で過度な円安によって影響を受けるセクターもあるので注意深く見守る
厳密にコメントを読みこんだわけではありませんので、実際のコメントは上記とは若干の違いがあるかもしれません。
ただマスコミで報じられた両者のコメントはおおよそ上述のようなニュアンスではないでしょうか。
その結果、市場は両者の間の微妙な温度差を感じ取ったのではないかと思います。
もし仮に「政府と日銀が必ずしも一枚岩ではない」とヘッジファンドあたりが感じたとすると、彼らはその間隙をついてくる可能性も出てきます。
それにしても第一次小泉内閣のときには1ドル=134円80銭(TTM;2002年1月25日)をつけたこともあります。
110円というのはほんとうに憂慮すべきような「円安」なのかどうか…
当時の年間平均為替レート(TTM)を調べてみると:
2001年 1ドル=121.59円
2002年 125.18円
2003年 116.00円
2004年 108.23円
となっています。
(追記)
この記事を書いてから約2時間後、ニューヨークダウは460ドル安まで下落、その後、戻して結局前日比173ドル安で昨晩(米国時間15日)の取引を終えました。
為替は下記のように一時105円台前半まで円高に振れましたが、いま(日本時間16日、午前7時20分)は105円80銭前後。

この日発表された米国の小売売上高の統計数字が悪く、「世界経済を牽引すると期待されていた米国経済が、逆に世界経済減速の影響を受けている」と市場は意識したとの解説ですが…
今晩(米16日)はゴールドマン、グーグルなどが第3四半期の決算を発表します。
米国に出張していて先週末日本に戻りました。
さて『不屈の春雷』の3回目。
今回で最後です。
新幹線の父として、第4代国鉄総裁十河信二(1884年-1981年)と同様に有名なのが島秀雄技師長(1901年-1998年)。
島秀雄技師長は、明治・大正の時代に広軌への改造に執念を燃やした島安次郎内閣鉄道院工作局長の長男。
彼は、桜木町駅手前での車両火災事故(1951年)の責任をとって国鉄車両局長の職を辞して住友金属工業に就職していました。
1955年、国鉄総裁に就任した十河信二は技師長に島秀雄が必要と考え、同年9月、島を総裁公邸に呼び出し、技師長就任を要請。しかし島はこれを固辞。
島に断られた十河総裁はすぐに大阪に飛び、住友金属の広田社長に島の譲り受けと島への説得を依頼。
しかし島は広田社長に対しても国鉄に戻ることを固辞。
十河は三顧の礼を尽くし、広田に何度も電話。
島に対しては、
「君の親父は広軌改築に苦労を捧げながら、遂に実現できず、恨みをのんで死んでいった。君は親の遺業を完成する義務がある」
といって口説き落とします(牧久著『不屈の春雷』下巻317-320頁)。
こうして十河総裁、島技師長(副総裁格)の二人三脚によって、東海道新幹線は実現に向かって動き出します。
そして1964年10月1日、新幹線は完成し、ついに開通となります。
しかしその開通式典には、十河も島も招待されませんでした。
1963年5月、十河は新幹線開通を見ることなく、総裁辞任を余儀なくされ、島も十河に恩義を感じ、「十河さんと一緒に辞めるのが筋である」とばかり任期半ばで辞任したからです。
なお島秀雄の息子、島隆は東海道新幹線0系の台車設計にあたり、後に東北・上越新幹線の200系の車両設計責任者となります。
島一家は、祖父・安次郎、父・秀雄、そして息子・隆と3代にわたり高速鉄道技術開発に携わってきたことになります。
なお十河信二国鉄総裁の長男は京大卒業後、三菱商事に入社。
太平洋戦争の戦火のなか資源開発のためインドネシア・ジャワ島に向かう途中で、米国の潜水艦に攻撃されて戦死。
享年34歳。
十河信二総裁は、長男の妻と長女(6歳)、長男(2歳)の3人を自宅の近くに住まわせ、終世、わが子同様に可愛がったといいます。
この長男、つまり十河信二総裁の孫が、興銀時代の私の上司、十河一元常務(1940年-2002年)。
22年間におよぶ興銀での勤務で、私は多くの上司から教えを受けましたが、
十河一元常務ほど私の中に多くのものを残してくれた人はいませんでした。
明治のころから日本の鉄道は、狭軌にするか広軌にするかで論争がありました。
広軌にすれば、車両あたりの輸送量は増え、走行も安定し、スピードも出ます。
ただ建設コストなどの問題もあり、広軌であらたに東京―大阪間を新規の高速鉄道で結ぶ金があるならば、それよりもまず
「地方で鉄道が通っていないところを何とかすべき」
との意見の人も多くいました。
とくに地方出身の政治家にしてみれば、とりあえず自分の選挙区まで鉄道を通してほしいとの気持ちが強かったのだと思います。
我田引水ならぬ我田引鉄との言葉も使われていたといいます。
そんななかで新幹線実現に向けて奔走した第4代国鉄総裁十河信二(1884年-1981年)。
以下は、晩年の十河の述懐です(牧久著『不屈の春雷』上巻41頁)。
「僕がやったことは、たいていみんな失敗した。
唯一つ成功したのは今の新幹線ですよ。
あれだけは成功した。
国鉄の幹部連中はだれも賛成しなかった。
政治家が票にならんからとみな反対するから、到底できないと決めちまった。
だから出来ないことに骨折ることはバカバカしい、総裁だけにひとり夢を楽しませておけばいい、とみな知らん顔していた。
僕はできないものはないんだ、努力すれば出来るんだ、ということを全国を歩いて説いて回ったんだ」
日本語の「何があっても実現させる」、
英語でいう“Get things done”は、
中国語では「有法子(ユーファーズ)」というようです。
十河信二(1884年-1981年)が好んで使っていた言葉で、
彼自身「有法子」という題名の著作も残しています。
愛媛県西条市の氷見公民館には十河が直筆で「有法子」としたためた書が掛けてあります。
「有法子」は、
「方法はある。知恵を出して成せば、成る(何事も積極的に意欲を出せ)」
という意味だそうで、十河信二自身が自分の生涯を通じて、身をもって「有法子」を示したようにも思います。
いまからちょうど50年前の今日です。
以下は私がいま読んでいる本の出だしです。
『東京オリンピックの開会式を9日後に控えた昭和39(1964)年10月1日朝。
東京駅19番線ホームで午前5時45分から大阪行の1番列車「ひかり1号」の出発式が始まった。
紅白のモールやクス玉で華やかに飾りつけられたホームには、ブラスバンドの賑やかなマーチが、明けやらぬ薄暗さを吹き飛ばすかのようにこだまし、祝賀気分がいっぱいに漂っていた。
出発1分前の発車ベルと出発の警笛。
石田礼助総裁が紅白のテープを切るのと同時にクス玉が割れ、50羽のハトが羽ばたく。』
『NHKテレビは午前5時45分から特別番組を組み、出発式の模様を東京駅から中継した。』
『東京・千駄ヶ谷の狭いアパートの1室で、口をへの字に結んで食い入るようにこの中継に見入る老人がいた。
1年半前に国鉄総裁を退いた80歳の十河信二である。』
『彼の目は無言のままテレビに釘付けになっていた。
「ひかり1号」は次第にスピードをあげ走り始める。
「これでいいんだ、これでいいんだ」。
十河は2度、繰り返すように低い声を発した。』
実はこの本を注文したのは一昨日。
昨日届いて、今朝から読み始めたところです。
そしてたまたま今朝知りました。
これはいまからちょうど50年前の今日だということを。
牧久著『不屈の春雷』。
「新幹線の父」と称された十河信二の物語です。