キプロス
ロシアのファンドマネージャーとメールでやりとりしていたら、「キプロスで会おう」ということになり、キプロスに行ってきます。

地図を見ていましたら、意外にも、シリアやレバノンに近いんですね。
もちろん海で遮られていますが、最近よくテレビで耳にする古代都市アレッポ(シリア)はキプロスから距離にして240キロ。
東京から浜松くらいまでの感じです。
(もちろん外務省による「危険情報」はいっさい出ていません)。
キプロスはイギリス連邦加盟国であり、同時にEU(欧州連合)加盟国。
通貨はユーロ。
キプロス島は、1974年以来、南北に分断されていて、島の北部約37%は北キプロス・トルコ共和国。
ただしここを国家として承認するのはトルコ一国のみ。
我々が通常キプロスというのは、島の南を占めるキプロス共和国。
こちらの方は、国連加盟国193か国のうち、192か国(トルコを除く)が国家承認をしています。
1974年に何があったのでしょうか。
歴史を紐解くと、キプロスは東ローマ帝国の支配下にあったり、ヴェネツィア共和国によって植民地とされたり、オスマン帝国の一部とされたりといった具合。
つまり、その時代にこの地域全体に勢力を拡大していた列強によって支配されてきました。
19世紀から20世紀にかけてイギリスがこの地を統治していましたが、1960年、キプロスはイギリスから独立し、翌年、英連邦に加盟。
国民の多くはギリシャ語を話すギリシャ正教徒でしたが、オスマン帝国支配下のときにトルコ語を話すムスリム(イスラム教徒)も流入した結果、全島人口の2割から3割程度がトルコ系住民と言われていました。
この結果、キプロスの国内世論としては、イギリスから独立する前から、他のエーゲ海の島と同様にギリシャに帰属されるべきだとする主張と、島を分割して一部はトルコに帰属させるべきとの2つの考え方がありました。
1960年の独立後もこの対立は続き、1974年、ギリシャ軍事政権の支援を受けたギリシャへの併合強硬派がクーデターを起こして当時のマカリオス大統領を追放。
トルコはこれに敏感に反応し、トルコ系住民の保護を名目にキプロスに侵攻。
以来、島は北と南に分割された形となっています。
さてロシアのファンドマネージャーが「ここで会おう」と指定してきた街はキプロスの最南端に近いレメソス(英語で Limassol)。
日本からですと、ドバイもしくはアブダビに飛んで、そこからキプロスのラルナカに入る(ラルナカ→レメソスは陸路)といったルートが距離的には一番近そうです。
日本でも報道されてきたように、キプロスは、ギリシャ危機の煽りを受けて、財政状況が深刻化。
一昨年の3月には預金残高(利息に対してではありません。「預金残高」に対して、です!)に10%近い税金をかけることが検討されました(詳しくは『こちら』)。
再びギリシャの問題が報じられる中、キプロスの現在はどういった状況になっているのか、興味があります。
帰国後ご報告します。
| 固定リンク



コメント