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2015年6月19日 (金)

東日本大震災と日本の消防

勉強会の話が続きますが、今月(18日)の半蔵門懇話会(知財問屋)では、久保信保元消防庁長官に「東日本大震災と日本の消防」についてお話し頂きました。

消防庁は総務省の外局。

職員は169名しかいません。

ここでは制度の企画・立案、市町村消防への支援・指導を実施。

実際の消防を行うのは市町村の組織で、消防職員16万人に加えて、非常勤の消防団員が86万人います。

この制度は、東日本大震災や福島原発事故などが起きた時のことを想定していません。

久保さんは当時の消防庁長官。

地震が起きて、1時間もしないうちに行った「緊急援助隊出動」の「指示」。

さらには福島原発への放水活動をめぐる難しい決断。

「自分の首が飛ぶことを覚悟した」と、当時の様子を聞かせてもらいました。

久保さんは今年2月『我、かく闘えり』を上梓。

「当時の数々の決断と苦悩が息詰まる緊迫感で伝わってくる」とは、石原信雄元官房副長官の書評です。

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