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2015年7月26日 (日)

戦争の記憶

大学時代にコミュニケーションのゼミ(教養課程のゼミです)で、藤井先生(早大教授)が、

「一番強力なコミュニケーションの手段は、テレビでも、新聞でも、本でもない。口から口へと語り継がれるのが、一番の力を発揮する」

と述べていました。

どういうわけか、このことは今でも私の記憶に残っています。

ところで、私たちの世代は両親から太平洋戦争の話を直接聞いて育ちました。

私がまだ小学生とか中学生のときでしたが、父が語ってくれた戦争の話は鮮烈な記憶となって、私の脳裏に焼き付いています。

残念ながら、いまの若い世代は戦争の話を直接聞くことが出来ない―しかしあの時どんなことが起きたかについては、次の世代へと(直接話したり聞くことは無理であっても)継承されていかなくてはならないと思います。

実は先週出版社の方から『「戦記」で読み解くあの戦争の真実 日本人が忘れてはいけない太平洋戦争の記録』という長いタイトルの本が送られてきました。

    Photo_2

この本は40の戦記を紹介したものです。

1つの戦記の紹介は8~9頁と短いもので、これを読んだだけでは物足りないと思う方も多いでしょう(私もそう思いました)。

けれどもこの本を出発点として、自分が気になった本を読んでみてはいかがでしょうか。

たとえば半藤一利著『ノモンハンの夏』については、本書(209~211頁)では以下のように紹介されています(一部のみを記しています)。

『1972年に「坂の上の雲」の連載を完結させた司馬遼太郎は、同作を引き継ぐ作品として、ノモンハン事件を描いた小説を構想していた。 

小説家・司馬の出発点は、22歳で終戦を迎えた彼が、「なぜこんな馬鹿な戦争をする国に産まれたのだろう?いつから日本人はこんな馬鹿になったのだろう?」との疑問を抱いたことだといわれる。 

「坂の上の雲」で日露戦争を描いた司馬には、これだけでは日本の近代を描き切ったことにはならないとの思いがあった。 

しかし、ノモンハン事件というフレームを通せば、大国ロシアを破ったことで軍部と国民が共に思い上がり、急速に夜郎自大化していった日露戦争後の日本が描けると考えていたのである。 

司馬はこの事件を書くために、例のごとく膨大な資料を読み漁り、10年近くを費やして何人もの関係者への取材も進めていたという。 

だがすでに知られているように、小説として実現することはなかった。 

文藝春秋社における司馬担当の編集者だった著者が司馬に執筆の展望を尋ねると、司馬は「僕の体力的にも気力的にも。もう無理なんだ」「これ以上何も言うな。それ以上書けという事は、僕に死ねと言うことだよ」(NHK「戦後史証言アーカイブス」より)と語ったという。 

本書は司馬の取材にもたびたび同行していた著者が、司馬の遺志を受け継ぎ、ノモンハン事件の総体を描き出そうとしたノンフィクションである』

『「戦記」で読み解く・・』には「日本のいちばん長い夏」も紹介されています。この本の編者「半藤一利」は「日本のいちばん長い日―運命の八月十五日」も著しています。

昭和47年に岡本喜八監督によって映画化された「日本の一番長い日」。今年8月8日には、原田眞人監督によってリメイク版が上映されます(『こちら』が上映予告編です)。

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