アンドレ・マルローの日本
「百の生涯を生きた男」と、死後、フランスのジャーナリストたちに評されたアンドレ・マルロー(1901年~76年)。
その彼と日本との関係にスポットライトを当てた『アンドレ・マルローの日本』(2001年)を読みました。
面白かったので、この本の中で何度も引用されているマルローの『反回想録』も読みたくなり、アマゾンで注文。
『反回想録(Antimémoires)』は1967年の作品です。
邦訳は日本の章を加えて1976年に出版されています。
ネットが普及する前だと、こういった本が読みたくなった場合、神田の古本屋街を探すか、国会図書館に通うくらいしか方法がありませんでした。
それが今ではクリック一つで自宅に届けてくれるようになったのですから、便利な時代になりました。
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1960年、フランスの作家であり政治家でもあったアンドレ・マルローは、ド・ゴール政権下の文化担当大臣として来日。
昭和天皇に謁見し、陛下の「なぜ、古き日本に興味をお持ちか?」との質問にこう答えたとのことです。
「騎士道を興した民族である我々にとって、武士道が無意味であるはずがありましょうか?」
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以下は『アンドレ・マルローの日本』69頁からの引用です。
「マルローは三度、いやおそらくは四度、昭和天皇に会っている。
最初は1958年12月に、ド・ゴール首相の特使として。
二度目は60年2月に、文化担当国務大臣として。
三度目は74年で、72年4月16日に亡くなった作家で友人の川端康成の遺志を叶えて当時の明仁皇太子、美智子妃に〈ご進講〉したさいだ(マルローは皇太子の名誉講師に任ぜられている)。
もう一度は71年で、ポンピドー大統領の賓客だった昭和天皇がマルローとの再会を希望し、フォンテーヌブロー城のサロンで極秘の会見が行われたということだ。
最後の話は確認が難しいが、マルローが歴史上の偉大な人物―君主、皇帝(ナポレオン、昭和天皇)、国家元首(シャルル・ド・ゴール、ジャワーハルラール・ネルー、J・F・ケネディ)、英雄、義人、レジスタンス活動家(ジャン・ムーラン[フランスの対独レジスタンスの闘士]、ガンジー)―に寄せていた関心の大きさを物語るものだ。」
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日本からインドへと話はそれますが、ネルーとマルローについては、こんな一節もあります(同上書17頁)。
「あるときマルローがネルーに尋ねた。
一千余年前、それまで支配的だった仏教にヒンドゥー教がとってかわったのはなぜか。
宗教戦争が勃発することなく、インドじゅうに広まったのはなぜか。
それを聞いてネルーは思った。『そういう事柄に関心をもつ人間はヨーロッパやアメリカにはあまりいない。目の前の問題で頭がいっぱいだからだ。・・』」
『反回想録』にはネルーとマルローとのこんな会話も記載されています(226頁)。
「『独立以来、もっとも困難にお感じになったのはどういうことですか?』
この新たな問いに(以下一部略)ネルーが、一気にこう言ってのけたのだった。
『正義の手段をもって正義の国家をつくること、これだったと思います・・』」
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下の写真は1963年にモナリザの前で撮影されたもので、左から、ケネディ大統領、マルロー夫人(Marie-Madeleine Lioux), アンドレ・マルロー、ジャクリーン・ケネディ、ジョンソン副大統領(The photo is from Wikipedia)。
ケネディ大統領夫人はマルローのことを「私が話した中でもっとも魅惑的な人(“the most fascinating man I've ever talked to”)」と語ったと言われています。
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『反回想録』の日本の章(608~639頁)にはマルローと「坊さん」の対話が出てきます。
「マルローが〈坊さん〉と呼んだこの男は、ほかでもないマルローの友人、マツイ・タキョウの父親である。
マツイ・タキョウは太平洋戦争中、ゼロ戦でアメリカの艦船に体当たりした。
マルローとは戦前にパリで知り合った。
息子の死の責任は主戦論にありとする〈坊さん〉は、『軍人が日本を殺した』と言う。」 (『アンドレ・マルローの日本』60頁)
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『反回想録』に出てくるマルローと「坊さん」の会話の中で、とくに下記(632頁)の部分には興味深いものがあります(注:邦訳は『アンドレ・マルローの日本』の方が分かりやすいことから同書78頁より引用しました)。
坊さん「言わせていただければ、ヨーロッパの方々と私どもは、ずいぶんと懸け離れていますな・・・」
マルロー「つねにそうとはかぎりませんよ。アメリカ人と比べ、あなたがたの仏教は、消えかけてはいてもすべてに浸透していて、私たちのキリスト教に通じるものがある。(中略)」
坊さん「あなたもほかの人たちと同じヨーロッパ人なのでしょうか」
マルロー「いや。次の点で違います。ヨーロッパ人、西洋人にとって、日本は飾り物にすぎない。お菊さんから蝶々夫人まで行くのがやっとで、みごとな初期宮廷画家の作品でさえ、相変わらず飾り物にすぎない。(中略)・・・私は日本を信じています。日本の飾り物は副次的なものだと考えていますから」
坊さん「それでは、ね・・・なにが主だとお考えですか」
マルロー「伊勢神宮、熊野路、那智の滝・・・・」
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