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2015年8月28日 (金)

「そもそも人々の生活を根底から変えるような画期的なイノベーションは、大企業では起きていない」

シリコンバレーが凄いことになっています。

株式価値が1,220億円(10億ドル)を超える未公開のベンチャー企業が、世界全体で115社(8月時点)に達しました。その多くがシリコンバレーで資金を調達した企業です。

ちなみに東証2部上場会社(546社が上場)で時価総額が1,220億円を超える企業数はたった6社。

東証マザーズ上場会社(212社が上場)に至っては1,220億円を超える企業数はわずか4社。

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   (スタンフォードで講演するビノット・コースラ)

つまりシリコンバレーなどでベンチャーキャピタルなどからの出資を得、未上場のまま株式価値を1,220億円にまで高めた企業数(115社)のほうが、

東証2部(6社)やマザーズ上場(4社)で時価総額をこのレベルにまで高めた企業数(計10社)を、圧倒的な差をつけて上回ります。

タクシー配車アプリのウーバーテクノロジーズは増資によって今年1,220億円の資金をマイクロソフトなどから調達。

米ウォールストリートジャーナル紙によると、ウーバーテクノロジーズの未公開市場からの調達額は総額で6,100億円に達し、上場前の株式価値はフェイスブックの時と同じ6.2兆円となったといいます。

ちなみに株式価値6.2兆円とは、日本の時価総額ランキングに当てはめると、第10位。

キヤノン、デンソー、ファーストリテイリング、武田薬品工業などよりも上位になります。

なおフェイスブックの場合は創業7年で上場前株式価値6.2兆円を達成し、その1年後の12年に上場していますが、

ウーバーテクノロジーズは、会社設立後たった5年で株式価値6.2兆円を達成しました(フェイスブックより2年も早い)。

「そもそも人々の生活を根底から変えるような画期的なイノベーションは、大企業では起きていない。

リテール(小売り)のビジネスを根本から変えたのは、アマゾンであってウォルマートではない。

メディアというものを新たに作り直したのは、放送局のNBCではなくて、ユーチューブだ。

宇宙ビジネスに革新をもたらしたのは、ロッキードではなくスペースXだ」

著名なベンチャー・キャピタリスト、ビノット・コースラは、今年5月、スタンフォード大学で講演しこう語りました。

この辺の事情を会社四季報オンラインに書きました。

『こちら』をどうぞ。

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2015年8月17日 (月)

原油価格の下落

先ほどのロイター電によれば、日本の実質GDP成長率がマイナスだったので、原油価格が下落したとのこと(『こちら』)。

言われてみれば、日本は第3位の原油消費国です。

【注】2014年原油消費量(単位:千バーレル/day;出所は『こちら』

      1位 米国 19,035

      2位  中国 11,056

      3位 日本  4,298

ですから、日本のGDPがマイナスとのニュースで、世界の原油価格が下落するというのは、当たり前と言えば、当たり前なのですが・・・。

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2015年8月14日 (金)

4-6月期GDP

4~6月期の実質GDP成長率が、週明け月曜日に発表されます。

約40名の民間エコノミストたちの予想(ESPフォーキャスト)は前期比年率で▲1.55%。

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詳しくは日本経済研究センターの「ESPフォーキャスト調査」(『こちら』)をご覧ください。

成長率がマイナスと予想されるのは、①消費の低迷と、②輸出が弱いことが要因となっていると考えられています。

(1)消費の低迷

消費はGDPの6割を占めます(『こちら』)。

消費が伸びない理由については、いろいろと言われていますが、私は「賃金が増えないからだ」と考えています。

先般発表された6月の実質賃金は前年比▲2.9%。

ボーナスを6月に支払わなかった先が増えた(代わりに5月、7月に支給)との理由づけがなされましたが、ボーナス要因を除いたとしても横ばい(『こちら』)。

厚生労働省が発表している実質賃金指数(『こちら』)は、2011年の101.1から、ずっと下落を続けています(2014年は95.5。下図)。

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(2)輸出が弱い

円安になっても、輸出が思ったほど伸びないことについても、いろいろとレポートが出ています。

1ドル=100円のときに米国で2万ドルで売っていた日本製のクルマは、為替が120円になれば価格を下げて売ることが可能です。(そうすれば輸出台数が増える)。

そうしないで、2万ドルのまま売れば、少なくとも輸出数量は増えません(その分、日本の自動車会社は儲かりますが・・)。

この辺の議論は『こちら』をご覧になってみてください。(もっとも上述のケースでも円ベースの輸出金額は増えるはず。輸出が弱い理由はほかにもいろいろとありそうです)。

* * *

こうした状況の中、日銀の黒田東彦総裁は8月7日の金融政策決定会合後の記者会見で、最近の輸出や個人消費の鈍化は「一時的」との見方を示しました(『こちら』)。

そうであってくれれば良いのですが・・・。

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2015年8月13日 (木)

REIT(不動産投資信託)

『東京の不動産はオリンピックまでは上がると思ったのでREIT(リート;不動産投資信託)を買いました。しかしむしろ値下がりして損をしています』

こういった話をよく聞きます。

東証REIT指数を見てみましょう。

東証REIT指数とは、東京証券取引所に上場している不動産投信(J-REIT)全銘柄を対象とした「時価総額加重型」の指数です。

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2007年5月に 2,612 を付けましたが、現在は 1,741(8月12日)。

東京都区部の新築マンションの平均価格がリーマンショック前のミニバブルを超えたの比べ、REIT指数は約3分の2のレベル。

そもそも不動産価格の上昇リスクを取りたい(不動産価格が上昇すれば儲かり、下落すれば損するというポジションを取りたい)というのであれば、REITは必ずしも最適な商品ではありません。

下記のようにREITの場合、投資の見返りとしてもらえる収入である配当(リートの場合は分配)の原資については、賃料収入が中心。

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なお上の表はSBI証券が東京証券取引所の協力を得てまとめた『REIT教室』より取りました(『こちら』)。

不動産関連への投資を考える場合、①不動産への直接投資、②不動産株(不動産会社の株の購入)、③REITへの投資の3つを比較検討してみる視点が重要です。

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2015年8月11日 (火)

昨日の番組

昨日ご案内した日経ヴェリタストーク。

パソコン、スマホでもご覧いただけます。

『こちら』です。

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2015年8月10日 (月)

不動産 過熱の先

『日経ヴェリタストーク』に出演しました。

『東京都区部の新築マンションの平均価格は、 リーマンショック前のミニバブルを越えました。 

特に、東京都心部で値上がりが大きく、 アベノミクス前と比べて、 千代田区が72%、港区が44%も上昇しています。 

現状はバブルなのでしょうか?   

それとも、今まで東京都心の不動産価格が安すぎただけなのでしょうか?』

こういった質問から番組は始まりました。

都心の不動産については、外国人が買っているから上がっているという側面もあります(もちろん、それだけではありませんが・・)。

日本人のサラリーマンの目からすれば、都心の新築マンションは年収の10倍を超え、手が出しにくくなっています。

しかし外国人の目からすると、現在の為替レートでは、都心の不動産はむしろ割安に見えます。

割安だから買う。

外国人観光客が銀座のデパートで日本のものを「爆買いしている」(買い漁っている)のと似たような状況が、不動産市場でも見られるのです。

背景には1ドル=124円といった現在の為替が、「実質実効為替レート」で見ると、40年以上も前の1ドル=308円だった時代と同じような「超円安」になっているといった事情があります。

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      (出所:日経新聞 2014年12月7日)

これはどういうことでしょう。

たとえば過去20年くらいの間、日本はデフレ基調で物価はほとんど上がりませんでした。

この間、例えば米国ではインフレで物価が約6割も上昇しています。

こうした物価の動きを勘案し(㊟実質化)、かつドル以外の通貨との関係も考慮に入れて(㊟実効化)、為替レートを捉えなおしてみます。

すると、現在は実のところ、かなりの円安(というか、むしろ「超円安」)になっていることが分かるのです。

詳しくは『こちら』の新聞記事や『こちら』のサイトをご覧ください。

こうした超円安によって、外国人たちの日本買いが進んでいます。

かつて日本企業がニューヨークのロックフェラーセンターを買収した時は、このことがアメリカで問題視されました。

それに比べ、目黒雅叙園、アルコタワー、エプソン大阪ビルなどが、次々と外国人投資家の手に落ち、多くの高級マンションが外国人に買われても、日本では問題視されることはあまりありません。

むしろインバウンド投資などと言って、歓迎されています。

私には、一国の通貨がこれほどまでに安くなって、国の大切な不動産や資産が外国人に買われていくのは、あまり望ましいことではないように思えるのですが・・・。

ジム・ロジャーズはもっと過激でこうコメントしています(『こちら』)。

『円安が、一体誰を幸せにしているのか考えたほうが良い。

'13年以降の極端な円安誘導によって、円の価値はドルに対して半分になってしまいました。

自らの通貨の価値を下げる政策は、かならずしっぺ返しを喰らいます

* * *

番組の再放送は:

8月12日(水) 21:15~

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2015年8月 9日 (日)

日仏の文化交流進める元銀行員

ほぼ月1回のペースで『日経ヴェリタス』に「Money Never Sleeps」というコラムを連載しています。

このコラムの第6回は、今週号の『日経ヴェリタス』 (本日発売)に掲載されています。 Mns

第6回のコラムはこんな始まりです。

* * * * * *

『来年のサミット(主要国首脳会議)の会場となることが決まった伊勢志摩。 

一昨年のことであるが、伊勢神宮では、1300年にわたって続けられてきた20年に1回の大祭、式年遷宮が執り行われた。  

そして昨年、伊勢の皇學館大学に日仏を代表する文化人が集まり、「日仏シンポジウム」が開かれた。  

1960年、フランスの作家であり政治家でもあったアンドレ・マルローは、ド・ ゴール政権下の文化担当大臣として来日。 

昭和天皇に謁見し、陛下の「なぜ、古き日本に興味をお持ちか?」との質問にこう答えた。 

「騎士道を興した民族である我々にとって、武士道が無意味であるはずがありましょうか?」 

マルローが残した「ルーツとルーツの対話」の理念。 

これをテーマとした「日仏シンポジウム」を昨年伊勢で主催したのは、フランスの笹川日仏財団。 

理事長を務める冨永重厚さん(73)は、かつて日本興業銀行(興銀、現みずほ銀行)のパリ支店長を務め、銀行を退職した今もパリに住んでいる。  

* * * * * 

私が大学を出て興銀に入行した時の最初の配属先は外国為替部。 

このときの上司がフランス留学帰りの冨永さんだった。。。』

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宜しかったら続きをヴェリタス紙面でご覧になってみてください。

* * * * * *

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次回、第7回の「Money Never Sleeps」は10月11日発売の『日経ヴェリタス』に掲載の予定です。

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2015年8月 6日 (木)

英語を身につける

英語をどうやって身につけたらいいかと相談を受けることがあります。

とくに秘訣はなくて「恥ずかしがらずに使い続けること」としか回答できないのですが、昔と違って今は随分と便利な時代になりました。

たとえば次の15秒のTVCMを見てみてください(『こちら』)。

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深夜に帰宅後のOLが部屋でくつろぎながら、実は英会話レッスンを楽しんでいるというシーン。

こんなことも可能になっているので、(英語の習得に)「是非チャレンジしてみたら」と『残酷な・・』という本(129頁)に書いたら、このオンライン英会話の会社の方から連絡がありました。

「断りもなく勝手に本に書いてしまって・・」と謝りましたら、

「弊社では English Path という英語学習法に関する情報サイトをやっています。そこのインタビューに出てください」とのこと。

ということで、下記インタビューとなりました。

よろしかったらご覧になってみてください(『こちら』です)。

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2015年8月 4日 (火)

モブツ

モブツは1965年から97年までの32年間にわたって「コンゴ民主共和国」の大統領を務めました(モブツ時代の大半、1971年~97年まで「コンゴ」は「ザイール」と呼ばれました)。

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「アフリカ最凶の独裁者」と形容されたモブツ。

その彼の生涯を描いた『モブツ・セセ・セコ物語』を読みました。

著者の井上信一さんは、外務省に13年間勤務した後、日本鉱業(現JX日鉱日石金属㈱)で海外資源開発事業に従事。

この本は冒頭の数ページからアフリカ大陸(とくにキンシャサ)の情景を見事に描き出します。

まるで映画を観ているかのごとくに描かれていて、私は一気に引き込まれてしまいました。

現地滞在10年という著者ならではの成せる業なのでしょう。

ところで本書の舞台のコンゴですが、最近世銀が発表したデータ(『こちら』)によると、

「1日あたり1.25ドル(約150円)以下で暮らす住民の数は、幸いにも地球上のすべての地域で減少している。ただし、わずか1箇所の地域を除いて」

とのことです。

この「世界で唯一の例外」が、アフリカのサハラ砂漠以南の地域です(当然コンゴも含まれます)。

* * * *

本来、この地は天然の鉱物資源が豊富で、そこに住む人々も豊かになり得るポテンシャルを持っているはずです。

それがどうしてこんなことになってしまったのでしょうか。

この本を読んで私は初めて知ったのですが、コンゴはそもそもベルギー国王レオポルド2世の「私的な」領有地でした(1885年~1908年)。

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              (レオポルド2世)

「私的領有地」と言っても、実のところ、ベルギー国王は生涯一度もコンゴを訪れることはありませんでした。

ベルギーに居ながら、アフリカ大陸のこの地で得られる天然ゴムと象牙の貿易を独占し、財をなしていきます。

そして彼が次に目をつけたこと。

それはコンゴが持つ豊富な鉱物資源でした。

レオポルド2世が「自分自身の創作物」と呼んだコンゴ。

この地をそう表現したにもかかわらず、現地にただの一度たりとも足を踏み入れることさえしなかったベルギーの国王は、代理者たちを使って、「創作物」たる、この地を「開発」(と言うよりは、搾取?)していきました。

実際、国王の代理者たちは、かなり乱暴で非人道的な行為を現地で繰り広げました。

強制労働を拒否する原住民を殺戮したり、手首を切り落としたりするなど、野蛮な行為を繰り返し、原住民に恐怖を与えることで、支配を強化していったのです。

こうした極端な野蛮行為は、やがて他のヨーロッパ諸国にも伝わることとなり、国際調査委員会が調査に乗り出します。

そして調査委員会は、植民地の構造改革を勧告。

その結果、1908年、コンゴは「レオポルド2世国王の個人的植民地」から、国としての「ベルギー国」の植民地へと移行します。

* * * *

それから数十年が経ちました。

第二次世界大戦後、ナショナリズムの動きがアフリカ各地で高まっていきます。

特に1960年は「アフリカの年」と呼ばれるほど多くの独立国が誕生した年でした。

そしてコンゴもこの年、1960年の6月30日に独立を果たしました。

その立役者となったのが、パトリス・ルムンバ(1925年-61年)。

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        (パトリス・ルムンバ;Photo is from Wikipedia)

彼は独立の2年前に「コンゴ国民運動」を創設しました。

そして「部族間の紛争防止」と「コンゴ国民の一致団結」を声高く主張し、コンゴを独立へと導きます。

独立直前に行われた総選挙で「コンゴ国民運動」は勝利し、コンゴ独立後、ルムンバは初代首相に選出されます(大統領はカザヴブ)。

ところでベルギーは、コンゴの独立を認めはしたものの、コンゴ内にあるカタンガ州への影響力を保持しようと考えました。

カタンガ州にはダイヤモンド、銅、コバルト、ウランなどの豊富な鉱物資源があったのです。

そしてコンゴ独立からわずか10日後の7月10日。

ベルギー軍は、カタンガ州に軍事介入します。

「ベルギー国民の生命の安全を確保する」というのが、ベルギーによる軍事介入の口実でした。

これが、いわゆる「コンゴ動乱」の始まりです。

なおコンゴに触手を伸ばしたのはベルギーだけではありませんでした。

欧米の主要国(とくに米国)と、ソ連(当時)、中国は、こぞってコンゴへの影響力を高めようと種々画策しました。

ルムンバの発言が急進的で、大衆を扇動する力があることを懸念した米国(CIA)は、ルムンバが「共産主義にコンゴ支配への道を開く」(ダラスCIA長官発言)ことになるかもしれないと恐れました。

そしてコンゴ独立後2か月も経たないうちに(すなわち1960年8月には)ルムンバの暗殺を計画するようになります。

このときCIA(ローレンス・デヴリン現地支局長)が、自らの影響力をコンゴで拡大するために選んだのが、モブツでした。

モブツはCIAのサポートを得て、軍の中で地位を高めていきます。

1960年7月、ベルギー軍がコンゴのカタンガ州に軍事介入したとき、モブツはコンゴ軍の大佐で参謀本部長でした。

カタンガ州の分離独立をめぐって、ベルギー軍とコンゴ軍の対立は決定的なものとなります。

コンゴ軍はまずはカタンガ北部に進攻し、続いてカタンガ南部に進攻するはずでした。

しかしモブツ大佐(参謀本部長)は、首相のルムンバに相談することなく、コンゴ軍によるカタンガ制圧作戦プランを途中で放棄し、勝手に停戦を実行します。

そして1960年9月には、モブツはクーデターを起こし、大統領、首相、国会の機能を停止させました。

ルムンバは自宅監禁状態から抜け出し、逃亡しますが、12月にはモブツの派遣した兵士によって逮捕され、翌月(1961年1月)処刑されてしまいます。

ルムンバが35歳のときでした。

そして、これは米国のケネディ大統領就任の3日前。

大統領が就任して米国で政権交代が起きる前に、処刑をしてしまおうとの意図があったものと思われています。

ルムンバ殺害にはベルギー政府、ベルギー軍、そしてアメリカのCIAが深く関与していたと言われています(本書100-104頁、113-115頁に詳しく書かれています)。

1960年のモブツによるクーデターは、ルムンバを政権から排除し殺害することで、その役目を終えました。

大統領は引き続きカザヴブで、首相にはイレオが臨時で就き、やがてアドゥラ首相のもとで組閣が実現しました。

それから5年後。

1965年、モブツは2度目のクーデターを起こします。

今度は自らが大統領に就任し、モブツの独裁体制がスタートします。

そしてこれは実に32年間、1997年まで続くことになるのです。

* * * *

『モブツ・セセ・セコ物語』は約480頁にわたってモブツが他界するまでを書いていますが、上記ブログ記事はモブツ独裁体制のスタートまでを記したに過ぎません(本でいうと120頁まで)。

なおコンゴを独立に導いたルムンバについては、『ルムンバの叫び』(2001年公開)として映画化されています。

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2015年8月 2日 (日)

天声人語

小学校の高学年、中学、高校と、「天声人語」(朝日新聞)をよく読みました。

深代惇郎さん(46歳で白血病で急逝)など、筆者の方たちの幅広い知識に感銘したものです。

最近は昔ほど感銘を受けることが少なくなって、残念に思っていましたが、

今日の「天声人語」は良かったです!

フランス人記者ロベール・ギランの著書「日本人と戦争」を引用しながら、終戦の日を書き、さらには玉音放送原盤の音声公開について触れ、最後はこう結んでいました。

『・・310万人の日本人戦没者のうち200万人近くは最後の1年の死者だった・・ 

特攻、空襲、沖縄、原爆―多くの悲劇がその間に起きた。 

時計の針を逆回しして玉音放送を早めていけば、死なずにすむ人は日々増える。 

戦場になったアジア諸国でもそれは同じだった。 

8月15日は、遅すぎた終戦の日でもある。』

* * *

今年もまたセミの鳴き声が響く8月がやってきました。

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