「日本とアジア」(吉村文成著)
吉村文成さんから「日本とアジア」と題する本を頂きました。
吉村さんが関西学院大学で教えている「アジアメディア文化論」の講義の一部を再現したもの。
大学の教科書というと敬遠したくなるかもしれませんが、読みやすく、かつ示唆に富む話が多い本です。
著者の吉村さんは朝日新聞で、ニューデリー、シンガポール、ジャカルタの各支局長を歴任。
野中章弘氏をして、
「1979年のソ連によるアフガン侵攻では、89年のソ連軍撤退までの10年間で、ゲリラの解放区へ越境取材を行ったマスメディアの記者は、NHKの園田矢(元解説委員)と朝日新聞の吉村文成(元インド特派員)だけだと思う」
と言わしめた記者です(『こちら』)。
2012年8月20日、山本美香さんがシリアのアレッポで亡くなられたとき、吉村さんはフェイスブックにこんな一文を載せていました。
『シリアで亡くなった山本美香さんは、かつて、同僚でした。
90年代初め、わたしはしばらく朝日新聞系のCSテレビ「衛星チャンネル」に出向していました。
美香さんはたしかAD。いつも、コマネズミのように、活発に動いていました。
戦争カメラマンになったと人づてに聞いたときは、「小さなからだで、カメラが重いだろうなぁ」と思ったのを、覚えています。
「ビデオ・ジャーナリズム」という手法は、衛星チャンネルが開発したものです。
アレッポは、懐かしい街です。
そして、いつまでも記憶に残る、大好きな街でした。
街の真ん中にお城があり、そのそばに、ものすごく大きなスーク(市場)が広がっていました。
わたしの知る範囲では、最大のスークです。
そして、まるで地下室にいるかのように涼しいのです。
その街で、山本さんは亡くなりました。
戦争ジャーナリストということも、思います。
旧ソ連占領下のアフガニスタンを、繰り返し、取材しました。
「死んではいけない」――戦場取材の至上命令です。
危険と安全と――ぎりぎりの計算をしているはずです。
それでも計算できないもの――事故と流れ弾と狂気が、あります。
シリア政府軍の「乱射」は、事故のようなものだったのでしょうか?
残念です。』
* * *
「日本とアジア」には戦争ジャーナリストとしてのご自身の話はほとんど出てきません。
『ヨシムラハ、コレカラ10ニチカンホド レンラクフノウニナリマス」
と本社にテレックスを打って、ムジャヒディン(イスラム戦士)らに同行して、アフガニスタンに潜入取材したとだけ語られています(1989年)。
内容は比較文化論的な話が多いのですが(下記は目次の一部;クリックすると大きくなります)、現場での経験がベースにあります。
ですので、読み物としても、教科書的な堅苦しさはなくて、面白いものになっています。
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