« 『FRBが仮に利上げをしていたら株価は1万5000円まで下げていた?』 | トップページ | リーマンショックのトラウマ »

2015年9月22日 (火)

「日本とアジア」(吉村文成著)

吉村文成さんから「日本とアジア」と題する本を頂きました。

吉村さんが関西学院大学で教えている「アジアメディア文化論」の講義の一部を再現したもの。

大学の教科書というと敬遠したくなるかもしれませんが、読みやすく、かつ示唆に富む話が多い本です。

      Ja_2

著者の吉村さんは朝日新聞で、ニューデリー、シンガポール、ジャカルタの各支局長を歴任。

野中章弘氏をして、

「1979年のソ連によるアフガン侵攻では、89年のソ連軍撤退までの10年間で、ゲリラの解放区へ越境取材を行ったマスメディアの記者は、NHKの園田矢(元解説委員)と朝日新聞の吉村文成(元インド特派員)だけだと思う」

と言わしめた記者です(『こちら』)。

2012年8月20日、山本美香さんがシリアのアレッポで亡くなられたとき、吉村さんはフェイスブックにこんな一文を載せていました。

『シリアで亡くなった山本美香さんは、かつて、同僚でした。 

90年代初め、わたしはしばらく朝日新聞系のCSテレビ「衛星チャンネル」に出向していました。 

美香さんはたしかAD。いつも、コマネズミのように、活発に動いていました。 

戦争カメラマンになったと人づてに聞いたときは、「小さなからだで、カメラが重いだろうなぁ」と思ったのを、覚えています。 

「ビデオ・ジャーナリズム」という手法は、衛星チャンネルが開発したものです。 

アレッポは、懐かしい街です。 

そして、いつまでも記憶に残る、大好きな街でした。 

街の真ん中にお城があり、そのそばに、ものすごく大きなスーク(市場)が広がっていました。 

わたしの知る範囲では、最大のスークです。 

そして、まるで地下室にいるかのように涼しいのです。 

その街で、山本さんは亡くなりました。  

戦争ジャーナリストということも、思います。  

旧ソ連占領下のアフガニスタンを、繰り返し、取材しました。  

「死んではいけない」――戦場取材の至上命令です。 

危険と安全と――ぎりぎりの計算をしているはずです。 

それでも計算できないもの――事故と流れ弾と狂気が、あります。 

シリア政府軍の「乱射」は、事故のようなものだったのでしょうか? 

残念です。』

* * *

「日本とアジア」には戦争ジャーナリストとしてのご自身の話はほとんど出てきません。

『ヨシムラハ、コレカラ10ニチカンホド レンラクフノウニナリマス」

と本社にテレックスを打って、ムジャヒディン(イスラム戦士)らに同行して、アフガニスタンに潜入取材したとだけ語られています(1989年)。

内容は比較文化論的な話が多いのですが(下記は目次の一部;クリックすると大きくなります)、現場での経験がベースにあります。

ですので、読み物としても、教科書的な堅苦しさはなくて、面白いものになっています。

Photo

 

|

« 『FRBが仮に利上げをしていたら株価は1万5000円まで下げていた?』 | トップページ | リーマンショックのトラウマ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 『FRBが仮に利上げをしていたら株価は1万5000円まで下げていた?』 | トップページ | リーマンショックのトラウマ »