大学でリベラル・アーツを専攻するのは誤りか (その1)
Quora (クオーラ)というサイトがあります(『こちら』)。
これは米国版のQ&Aサイトなのですが、特徴がいくつかあります。
まずサイトに質問や答えを投稿するには自分が誰かを登録する必要があります(私もすでに登録しています)。
登録に際しては通常はグーグルかフェイスブックのアカウントを通じて登録する形になるのですが、現在の職業や学歴、どこに住んでいるのかを聞かれます。
回答者(本名での回答)がどんな人なのかを知れば、回答を読む人にとって参考になるからです。
この辺が「ヤフー知恵袋」や「OKWAVE」との違いで、Quora の方が信憑性が高いと考えている人が多いようです(『こちら』)。
Quora は Facebook のChief Technology Officer だったアダム・ディアンジェロと彼の同僚のチャーリー・シーヴァーによって2009年に開設されました。
日経新聞などによく載るユニコーンという言葉を聞いた方も多いかもしれません。
公開(上場)前の会社で、企業としての評価額が10億ドル(約1150億円)以上のものをユニコーンと言っています。
創業5年目にして Quoraは、Series C のファイナンス(VCによる3回目のファイナンス)を実施。
このとき VC たちは Quora の企業価値を9億ドル(約1000億円)と置いて、ニューマネーを入れました(『こちら』)。
つまり 2014年の時点で Quora はすでにユニコーンに近い存在だったと言えます。
ちなみに時価総額1000億円というと、日本では紳士服のAOKIを傘下に持つAOKIホールディングスが1か月前の株価をベースに計算して時価総額1000億円のレベル(ほかに三井住友建設、ゼリア新薬工業などもこのレベル)。
なお「OKWAVE」の時価総額は34億円。
「ヤフー知恵袋」や「OKWAVE」のサイトにはたくさん広告が載っていますが、Quora のサイトには広告が載っていません。
2年前、Quoraは未だ収入ゼロの段階で企業価値1000億円を付けたとして話題になりました(『こちら』)。
* * *
さて前置きはこの位にして本題に入ります。
『大学でリベラル・アーツを専攻するのは誤りか』
と題する質問が Quora に載りました。
これに対してベンチャー・キャピタリストのビノッド・コースラ(『こちら』)が回答を寄せました。
全文は『こちら』の通りですが、以下彼の回答を翻訳(意訳)してみましょう。
なおコースラについてはこのブログで幾度となく触れたことがあります(例えば『こちら』)ので覚えておられる方も多いかもしれません。
(スタンフォードで講演するビノット・コースラ)
『大学でリベラル・アーツを専攻するのは誤りか』
【コースラの回答】
【1】
まず学ぶべきなのは:
クリティカル・シンキング(あらゆる物事の問題を特定して、適切に分析することによって最適解に辿り着くための思考方法;批判的思考)や
科学的プロセスについてである。
人文科学(humanities)は後でも構わない。
かつてフランスの細菌学者ルイ・パスツールは「幸運は用意された心のみに宿る」と述べたが、今や我々の国はたいへん不運な国になりつつある。
今日リベラル・アーツ(liberal arts)の課程で教えられていることは、ほとんど未来に意味を持たないからだ。
自然科学や経済学についてはアップデート(更新)されてきた。
これらは、心理学のシフト(転換)理論や、プログラミング言語、政治理論の発展を取り入れ、太陽系にどれだけの数の惑星があるかという点さえも含めて、アップデートされてきたのだ。
これと同じように、文学や歴史についても21世紀に見合う適切な優先順位に沿うようアップデートされているかで評価されるべきだ。
私には米国のリベラル・アーツ(liberal arts)教育は18世紀の欧州の教育がマイナーな進化を遂げたものに過ぎないように思える。
世界はこれよりももっと多くのものを必要としている。
大学での4年間の教育は(医学部などの高度専門職的教育に直結するものを除き)、新しいシステムが必要だ。
新しいシステムとは、自然科学や社会、ビジネスに関連する問題に対して、科学的プロセスを使いながら学び評価していく方法を教えるというものである。
確かにジェーン・オースティンやシェイクスピアは重要かもしれない。
しかし知的能力があって、常に学び続ける人間、そして今日のますます複雑・多様化しダイナミックになる世界に適応する人間を作る上では、オースティンやシェイクスピアは他の多くのことよりも重要度で劣後してしまう。
基礎的な教育でこうした時代に適応するものを表現する言葉として、私はここでリベラル・サイエンスという言葉を新しく造りたいと思う。
このリベラル・サイエンスでのテストは簡単なものだ。
4年間の学部を終えた段階で、学生はエコノミスト誌のすべてのページを毎週大雑把であっても理解しこれに基づいて議論することが出来るかどうか。
これこそが古代ギリシャのリベラル・アーツを今日の世界に適応するようにアップデートさせたものだ。
今日の通常教育(医学部などの高度専門職的教育に直結するものを除く)においてもっとも重要なのは、①クリティカル・シンキング、②問題解決のスキル、③ロジックや科学的プロセスの精通、④そしてこれらを使って自分の意見を築き、他と議論し、決断する能力を磨くことである。
これらのほかにも例えば対人関係能力やコミュニケーション力なども重要だろう。
【2】
それでは今日のリベラル・アーツ(liberal arts)学位のどこが問題なのか。
リベラル・アーツの古い定義と、今日リベラル・アーツの名のもとに実施されている教育、そのどちらもが、4年間の時間の使われ方としては最適なものとは言い難い。
解決するのにもっとも難しい問題(そして実利的な問題)は技術的な問題ではない。
私の意見では、STEM(Science, Technology, Engineering and Mathematics;日本でいう“理系”)の学位を取った方が今日のリベラル・アーツの学位よりも、これらの問題を効果的に考えることが出来るようになる。と言っても、STEMでは完璧な思考法とはほど遠いものしか得られない。
そしてリベラル・サイエンスはより完璧に(能力を磨く)役割をはたすだろう。
そんなことを言ったって、エール大学に行って(リベラル・アーツを学び)大きな成功をおさめた人々もいるじゃないかと指摘する人もいるだろう。
しかしそう反論する人は統計が分かっていない。
多く成功者がリベラル・アーツ専攻で始めている。同時に多くの成功者はリベラル・アーツ専攻ではなかった。
動機づけがしっかりしていて、やる気があり、高い知能を持つ人、あるいはラッキーな人はリベラル・アーツ専攻であっても成功者になっている。
しかしよく考えてみると、動機づけがしっかりしていて、やる気があり、高い知能を持つ人は、どんな学位であっても、あるいは大学を卒業していなくとも、成功者になっている。
アップルのスティーブ・ジブズやMITメディアラボ所長の伊藤穰一はどちらも大学を中途退学している。
伊藤穰一は独学で学んだコンピューター・サイエンティストであると同時にディスクジョッキー、ナイトクラブ経営の起業家、テクノロジー分野の投資家でもある。
上位20%の人間は彼らの受けた教育がどんなカリキュラムであっても、あるいはまったく教育を受けていなかったとしても、きちんと成功への道を歩むものだ。
残り80%の人々の潜在能力を極大化しようとするならば、我々にはリベラル・サイエンスのカリキュラムが必要だと思う。
イェール大学は最近になってコンピューター・サイエンスが重要だと認識するようになった(『こちら』のブルームバーグの記事参照)。
私は次のように質問したい。
「もしあなたがフランスに住んでいるのであれば、あなたはフランス語を学ぶべきではないか。
もしあなたがコンピューターが重要な役割をなす世界に住んでいるのであれば、あなたはコンピューター・サイエンスを学ぶべきではないか」
コンピューターが重要な役割をなす世界に住んでいたら学校で要求される言語は何語だろうか。
そしてもしあなたがテクノロジーの世界に住んでいるのであれば、あなたは何を理解しなければならないか。
伝統的な教育というのはかなり遅れてしまっていて、旧世代のテニュア(終身在職権)を持った大学教授たちは偏狭な見方と興味を持って足を引きずっているだけだ。
私が問題にしているのはリベラル・アーツがゴールとしているところではない。
問題なのはリベラル・アーツが実際には何もなし得ていないという現実と、18世紀の欧州の教育とその目的としていたものからほとんど進化してないという現実だ。
リベラル・アーツのもともとのゴールはクリティカル・シンキングにあったはずだが、今日ではこれを学校で教えることについてほとんど重要視されていない。
多くの大人たちが科学やテクノロジーの重要性についてほとんど理解しておらず、もっと大切なことなのだが、これらの問題についてどうアプローチしてよいかさえ分からない。
その結果、多くの問題について貧しい意思決定しかできない。
そしてこのことは彼らの家族や社会全般について悪影響を与えているのだ。
【注】コースラのこの回答は長くて、以上で全体の5分の1をカバーできているにすぎません。よってこの続きは次回以降に書くことにします。
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