« 2017年7月 | トップページ | 2017年9月 »

2017年8月28日 (月)

退職金の運用

「退職金は何パーセントで運用したらいいか。3パーセント程度を目指すべきでしょうか」

こういった質問を雑誌社の記者の方などからよく受けます。

来月以降、実際に記事になって出てくると思うので、記事については出た段階で、このブログでまたお知らせします。

なお以下に書くことは、雑誌の記事とは重複しません。

さて、記者の方が言われたように、「3パーセントで運用する」といった言葉は実際のところ、新聞や雑誌でよく目にします。

銀行や証券会社のセミナーで、フィナンシャル・プラナーと称する方たちが「3パーセント程度での運用を目指す」と説明するのを聞いたことがある人も多いでしょう。

言うのは簡単ですが、「3パーセントで運用する」とは、いったいどういうことでしょうか。

60歳の人が退職金を2,000万円受け取って、年率 3パーセントで運用すると、20年後の80歳の時には、

2,000万円×(1.03)^20=2,000万円×1.806

となっています。(注:「^20」は20乗のことです)。

つまり2,000万円が3,612万円になっているということです。

しかし低金利、低インフレ(というかデフレ気味)のこの時代に、「3パーセントで運用する」というのは簡単ではありません。

たとえば日本株での運用を考えてみましょう。

仮に20年前に2,000万円を投じていれば、何パーセントで運用できていたでしょうか。

20年前の日経平均は18,656円ですから

18,656円(20年前の8月25日)→19,452円(先週末)をエクセルを使って解くと、

年率 0.21パーセントでしか運用できていないことがわかります。

これでは現在の住信SBIネット銀行の定期預金金利とほとんど同じで、静岡銀行の定期預金金利以下の水準です。

日銀の黒田総裁がバズーカ砲を何度か放っても、結局はこういった運用実績しか得られなかったわけです。

私は、若い人が無理のない範囲で投資をするのはいいと思います。

毎月の給与や年に1~2回の賞与も見込めるからで、投資に失敗しても何とか挽回できます。

人によっては例えばゴルフや外食の回数を減らすことによって、埋め合わせをすることも可能かもしれません。

しかし退職者は収入が年金に限られてしまいます。

投資に失敗して退職金を半分にしてしまったら、退職後のライフプランが一気に狂ってしまいます。

来月から節約のため食費を半分にするとか、電気代節約の為にエアコンを控えるといったことを始めれば、健康に響いてしまいます。

「半分とは大げさな」と思われるかもしれません。

しかしあの投資の神様であるウォーレン・バフェットでさえ「自分はこれまでに(相場の下落などによって)資産を半分にしたことが4度もある」と語っていました。

銀行の窓口などで「3パーセントでの運用を目指しましょう」と勧められ、説得(?)されることも少なくありません。

そう言われたら、今度はこう切り返してみたら如何でしょう。

「そんなことが可能であれば銀行は日銀の当座預金にゼロ金利やマイナス金利でお金を預けておかないで、これを引き出して、銀行自身が3パーセントでの運用を目指したらどうですか」

銀行としては、国債を買って直後に日銀に転売したり、海外債券を買ったり、リート(REIT)を買ったりしていますが、それでも、取れるリスクには上限があるので、結局はゼロ金利に近い金利で日銀に362兆円もの資金を預金しています(『こちら』)。

3パーセントで運用するのが難しいからこそ、黒田さんがバズーカで資金を市場にばらまこうとしても、銀行は日銀への預金という形で資金を日銀に戻してしまう。

だからお金が市場に回っていかないのです。

3パーセントでの運用が難しいのは銀行自身がいちばん良く知っています(ちなみに例えば、みずほフィナンシャルグループの16年度当期利益は6000億円。総資産200兆円の0.3%でしかありません)。

| | コメント (0)

2017年8月24日 (木)

夏休み

夏のこの時期になると、「夏休みは取りましたか」とか「どちらに行きましたか」といった質問をよく受けます。

しかし14年前に独立・起業してから、私は夏休みをほとんど取っていません。

思い起せばサラリーマン時代(23歳~49歳)は、やりたくもない仕事をやらされることも多く、取引先、上司、部下からは目に見えないプレッシャーを受けていました。

理不尽と思われることでも、これに耐えて仕事をすることもありました。

そうしたサラリーマン時代には、夏休みを取って、日ごろのストレスから解き放たれることがけっこう重要でした。

しかし独立・起業すると状況は少し変わってきます。

独立後1~2年は、一刻も早く会社を軌道に乗せる必要がありました。ゼロから1を立ち上げるというのはたいへんで、仕事に没頭しました。

仕事が軌道に乗ってくると、今度は自分の判断で仕事を引き受けるかどうか、ある程度、取捨選択できるようになりました。

組織の中で働くことにつきまとうストレスもあまり感じなくなり、休みに対する渇望度も減るようになります。

絶対的な時間数で言えば、興銀時代、外資系投資銀行時代に比べて、独立した今の方が多くの時間を仕事に割いていると思います。夏休みだけでなく、ゴールデンウィークや正月休みも働いていることが多く、土、日のどちらかは会社にでることも少なくありません。

それでも精神的ストレスは今の方が少ないような気がします・・・。

と、ここまで書いて、いや、いや、違う・・・。そうとも言い切れません。

よく思い起してみると、14年の間にはいろいろなことがありました。

何といってもリーマンショックのころは、取引先も私の会社もたいへんでした。

どこへ行っても「この事業から撤退する」といった後ろ向きの話を多く聞かされ、文字通り精神的なストレスに見舞われていました(取引先の社長の悩みを同じレベルで共有しない限りは、経営コンサルタントなど務まりません)。

都合の良いことに、人間は時間が経つと辛いことは忘れてしまう傾向にあるようです。

大企業という大きな船から離れて、小さな小舟を自分で漕ぎはじめるというのはやはりたいへんです。

天候が安定している時は、真っ青な大海原を自分の力で舟を漕ぐ楽しさや醍醐味を満喫できます。

しかし問題は嵐が来たとき。

いろいろ考え直してみると、独立・起業は気楽に人に勧められるようなものではないことだけは確かです。

| | コメント (0)

2017年8月15日 (火)

ホテル・リッツ

パリのリッツは、リッツ・カールトンのグループ・ホテルの1つと誤解されることが多いようですが、実は今ではまったくの別。

と言っても、源流は同じで、リッツ・パリは1898年にスイスのホテル経営者セザール・リッツらによって設立されました。

一方のリッツ・カールトンは、アルバート・ケラーが米国でのフランチャイズ権を購入することによって始められました(最初のホテルは1911年にニューヨークに設立)。

その後、両者は各々別の道筋を辿って現在に至っています。

現在パリのホテル・リッツはエジプトの実業家モハメド・アルファイドが所有(アルファイドの息子はダイアナ元英国皇太子妃とともに交通事故で亡くなっています)。

一方のリッツ・カールトンは現在ではマリオット・インターナショナルの一部になっています。

        Ritz5_3   

なぜこんなことを書いているかというと、日経の書評欄(8月12日付)で、ティラー・J・マッツェオがパリのリッツについて著した『ホテル・リッツ』の書評を読んだから。

これは仏文学者の野崎歓さんによるものでひじょうに興味深く読めました。

(アマゾンの書評欄の書評(『こちら』)もなかなか面白いです)。

     Ritz

ヘミングウェイ、チャーチル、ココ・シャネル・・・。

リッツを愛した人たちは数多く、それがゆえに1冊の本(それもノンフィクション)になってしまったということなのでしょうか・・・。

     Ritz4 

リッツには、一般のホテル(リッツ・カールトンを含む)で見られるロビーやコーヒーハウスは見当たりません。

このため宿泊客以外はほとんど入り込んできません。

お客さんには出来るだけアット・ホームな感じでくつろいで欲しいという配慮なのでしょう。

     Ritz2

2012年、総額500億円という巨額な費用をかけて、リッツはリノベーションを実施しています(『こちら』)。

リノベーションは4年間という長期にわたり、この全期間、ホテルは完全に閉鎖していました。昨年6月にようやく改装を終えてオープンしています。

     Ritz3

| | コメント (0)

2017年8月14日 (月)

静かなのを好む

"How do I want to be remembered? I'd prefer silence."

『どのように人々の記憶に残りたいかだって?私としては沈黙(静かなの)を好むね』

      Ef_2 

     (From the official Instagram account of Ferrari.)    

生前にこのような言葉を残していたエンツォ・フェラーリ。

フェラーリの創業者です。

1898年、イタリア、モデナの板金工の次男に生まれ、22歳の時にアルファロメオのテスト・ドライバーになりました。

49歳の時に自らレーシング・マシンを開発し、自動車製造会社としてのフェラーリを設立。

1988年、90歳で他界しました。

今日、8月14日は彼の命日にあたります。

| | コメント (0)

2017年8月11日 (金)

45年ぶりのリユニオン

今週月曜日から5日間。

私がAFSで留学した時の留学生仲間が45年ぶりにカリフォルニア州オレンジ郡に集まり、同窓会を実施しています。(昨年の『ブログ』にこの会が企画されていることを書きました)。

地元の新聞が聞きつけて、「世界各国から9人もの人たちが集まるなんて珍しい」と、大きな記事にしました(『こちら』)。

Reunion_3

写真は左から(国名だけを記すと)オーストラリア、グアテマラ、オーストリア、レバノン、アルゼンチン、エクアドル、イラン、ベルギー、スコットランド。

残念ながら私は参加できなかったのですが、9人の仲間たちからは連日のように WhatsApp で写真がたくさん送られてきて、気分的にはその場にいたような雰囲気になりました。

45年前のみんなはどんな感じだったのか。

当時の写真を探してみました。

3_010_1_4

メンバーがぴったり合致するわけではないのですが、右から2人目がエクアドル、(向って)その左(長いドレス)がベルギー、後列、左から3人目がスコットランドです(私は前列左)。

ちなみにこの写真はニクソン大統領(当時)の私邸に招かれたときのもの。

45年も経つと私も含め、みんなかなり外見が変わりました。

| | コメント (0)

2017年8月 9日 (水)

X-Lab Summer Program (その2)

8月2日のブログでご紹介した X-Lab Summer Program。

縁あってこのプログラムの公開イベントに聴衆者の一人として参加しているのですが、そもそも X-Lab Summer Program とは、7月30日から8月12日までの14日間にわたって、各国の建築学科の学生、研究者、実務者を対象として開かれている「国際的なワークショップ」です。

その趣旨は、これからの社会における建築の役割を国際的、学際的な視点から考えようとするもので、デジタル・テクノロジー、科学など多岐にわたる領域から研究者を招聘。

建築が扱う領域を拡張し、幅広い産業とのコラボレーションの可能性を模索しようとしています。

8月5日(土)のセッションでは、

UCLAのJeffrey Inaba (Associate Adjunct Professor) と、

Aalto大学のKivi Sotamaa 氏によるプレゼンがまず行われ、

その後、隈研吾氏豊田啓介氏(noiz)を交えてのパネルになりました。

Img_4536

7日(月)は、東京大学の平野利樹助教が「20世紀まではContinuityの世界だったが、21世紀になって世界はDisconnectionに陥っている」との認識のもとに講演。

続いて慶應義塾大学のカズ米田特任教授

筑波大学の落合陽一助教がそれぞれプレゼンを実施。

Img_4537

テクノロジーが発達して、人工知能が身近で使われるようになる時代がもうすぐ近くまでやってきています。

これから先、人々の生活はどう変わるのか。平野さんも米田さんも、そして落合さんも同じような問題意識を持っているようでした。

しかし3人それぞれアプローチや興味の対象は異なり、そのために聞いていて面白いセッションでした。

いずれにしても建築、およびその周辺領域は私にとっては専門外の分野。

にもかかわらず、約100名の大学生、院生、建築家たちと一緒に新進気鋭の学者、建築家、研究者の話を聞くという経験は、知的好奇心を満足させてくれるものでした。

下の写真は、7日(月曜日)のセッションの風景。

慶應義塾大学三田キャンパス東館8階ホールで午後7時~9時にかけて行われました。

Img_4527_3   

| | コメント (0)

2017年8月 8日 (火)

You are what you eat.

You are what you eat という英語があります。

この言葉のように、食べるものが自分の細胞になっていくわけです。

ですから、我々は誰もが、もっと食べるものに気をつかいたいもの。

仕事で米国に行くたびに思うのは、昔に比べて体重過多と思われる人が増えたということ。

昔といっても、私が高校時代に留学したころのアメリカです。

つまり1971-72年で、いまから50年近くもまえなのですが、このころのアメリカ人はもっとスタイルが良かった、というか、今ほど太った人は多くなかったように思います。

この辺はおそらくは統計データにあり、どこかの記事でも読んだような記憶がありますが・・・。

いずれにせよ米国でも欧州でも、街を歩けば 24時間開業のスポーツジムが目に留まり、ダイエット・コンシャスの人(ダイエット意識の高い人)は、Sencha とか Matcha とか言い出す時代。

日本でも本屋さんに行くと食事に関する本が目を引きます。

昨日、出版社に献本頂いたのは『病気にならない食べ方はどっち?』

         51wdkpfoal_sx342_bo1204203200__2

5~6頁ごとにクイズ形式にエッセンスがまとまられており、読みやすいかたちになっています。

| | コメント (0)

2017年8月 5日 (土)

先進性、革新性

合理的に考えるのであれば、都心で車を持つのは経済的にペイしないことの方が多いように思います。

地下鉄に乗るとか、タクシーを使うとか、遠出をするときにはレンタカーを使えば、車を

①買うコスト、

②保有するコスト(保険、車庫)、

③使うコスト(修理、定期点検、燃料)

をかけずに済みますし、諸々の税金もかかりません。

にもかかわらず、人々が車を買うのは、利便性のみならず、プラス・アルファーの何かを求めているからではないでしょうか。

電気自動車についても合理的に考えて経済性を評価すれば、「あり得ない選択だ」という人が少なくありません。

ガソリン代がかからないからといって、車の値段が高ければ、なかなかその分の追加コストを回収出来ないという論法です。

しかしテスラの場合は、

「電気自動車」 vs. 「ガソリン車」

という構図ではなくて、どうやら

「電気+自動運転車」 vs. 「ガソリン車」

という構図とすることに成功しているように思います。

つまり「電気+自動運転車」と位置付けることで、

テスラ車は「先進性・革新性」を具現しようとしているのです(別に私はテスラの回し者ではなく、テスラ車を所有している訳でもありません)。

電気自動車と自動運転車が一つの車に融合されることで、テスラを運転することが格好いいと映る・・。

そういった消費者心理を見誤ってしまうと、テスラを過小評価することに繋がってしまうような気がします。

なお1回の充電で航続可能な距離は今ではずいぶんと伸びていて、テスラ(モデルS)の場合、約600キロ(正確には572キロ)。

また、テスラの自動運転はかなりの優れもので、ストップサインなども見分けられるようになります(今後のversion)。

『こちら』の頁の最初の動画(約2分)を見て頂くと、それがどんなものか実感できます。

普及版の「モデル3」(航続距離345キロ)は米国で385万円(1ドル=110円)。いよいよ量産が始まりました。

| | コメント (0)

2017年8月 2日 (水)

X-Lab Summer Program

X-Lab Summer Program(『こちら』)で、UCLA、Greg  Lynn教授(『こちら』)の基調講演がありました。

Lynn教授いわく『自分の知っているAさんは歩いて5分のスーパーにも車を走らせて買い物に行く。いっぺんにたくさんの買い物をするので、とても持ちきれないからだ』。

Gita_2

(The Photo by A'Design Award & Competition. Please see this Page.)

そこで教授が開発したのが、ロボット・ジータ(Gita)。

上の写真(クリックすると大きくなります)の真ん中(下)のように持ち主を認知して、持ち主の後をついて動きます。

スーパーまでは車ではなく歩いていき、買ったものはジータのなかに入れればOK。

時速35キロまで出るのだとか・・(詳しくは『こちら』)。

そう言えば、昨日シリコンバレーから来たBさんと食事をしたのですが、Bさんいわく

『岩崎さん、もうすぐにも、我々は1人で3台も4台もロボットを持つようになるよ。用途に合わせてね』

たしかにそんな時代がもうすぐ近くにまでやって来ているのかもしれません。

| | コメント (0)

« 2017年7月 | トップページ | 2017年9月 »