Hidden Figures
直訳すれば、隠れた数字とか、隠された姿とかいった訳になるんだろうと思います。
意訳すれば、それこそ映画のタイトルとなったドリーマー(これは意訳し過ぎだと思いますが)とか、いろいろに訳せるのでしょうが、私がいちばんピッタリくるのは、隠れた才能。
とうぜんFiguresが、数字と人物との掛け言葉になっているんでしょうが・・
ともかく観終わって考え方が前向きになる映画でした。
1960年代初頭、キャサリン、ドロシー、メアリーの3人の黒人女性は幾多の人種差別、性差別に見舞われながらも、これにめげず、実力でポジション、仕事を勝ち取っていきます。
当時アメリカとソ連との間では熾烈な宇宙開発競争が展開されていました。
こうした競争の環境こそが、理不尽な差別を後退させ、実力主義を台頭させたのではないでしょうか。
と言うのも、差別の結果、有為な人材を登用できなければ、ソ連との競争に負けてしまう―当時のアメリカはそんな状況にあったのです。
翻って現在の日本。
はたして企業経営は熾烈な競争環境にあるのかどうか。
さまざまな規制や癒着が競争を阻害しているといったことはないでしょうか。
その結果かどうかは知りませんが、たとえば上場企業における女性経営者の割合は諸外国に比しまだまだ遅れをとっています(『こちら』)。
話を映画に戻しますと、私が一番感動した場面は3人の女性の1人、メアリーと、裁判官とのやり取り。
裁判官を説き伏せ、メアリーは白人専用学校で学ぶことを許可されます。
『Only a night class (ただし夜間のクラスだけだぞ)』
裁判官にこう言われ、飛び上がんばかりに裁判所の建物から喜び勇んで出てきた彼女の姿が印象的でした。
学ぶこと、勉強すること、これを許されるために、当時彼女たちは理不尽な差別の壁に立ち向かっていきました。
それに比べ、私も含めて、日本の我々はいまや、①何時でも、②何処でも、③何でも、学べる環境にあります。
にもかかわらず、これを活かそうとしないのだとしたら・・・。
そう、今からでも遅くはありません。
私自身、もっと、もっと勉強しようと思いました。
葛飾北斎が富嶽三十六景を刊行したのは74歳の時。
年齢による制約は幻想に過ぎません。
そんなことも実感させてくれた映画でした。
なおこの映画の原作はキンドルでたった150円で読むことが出来ます(『こちら』)。
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