歴史に学ぶ
思い込みの恐ろしさ。
人間はついつい楽観してしまう。
都合のいいように、安易な解釈をしてしまう・・。
お読みになった方も多いと思いますが、8月6日の日経新聞「春秋」のコラム。
印象に残ったので、その一部を下記に再掲します。
* * *
『日本中の都市が次々に焼け落ちていくのに、なぜか広島には空襲がなかった。
1945年夏。
市民は首をひねりつつも、まずは平穏を喜んでいた。
浄土真宗本願寺派の「安芸門徒」が多い土地柄だから、米軍が攻撃を手控えている・・・。
そんな噂まで流れていたという。
思えば、なんと悲しい楽観だったことか。
そのころ米軍は日本本土への原爆投下計画を着々と進め、目標検討委員会を設けて犠牲とする都市を絞り込んでいた。
さまざまな候補地が浮かんでは消え、実際に投下されたのが広島と長崎だった。
核を使うため、2つの都市は「温存」されて焼夷弾の猛威を免れていたのである』
(2018年8月6日、日経新聞、1面、春秋コラムより一部を抜粋しました)
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コメント
原爆投下の候補地の一つだった新潟も、20年夏の時点で、空襲の被害から逃れていた大都市でした。
長崎が被爆した翌日、新潟県知事は、国内の主だった都市で未だ空襲の被害を受けていないのは新潟だとして、新潟市民に足し、知事布告を出して強制疎開を促しました。それによって10日以降の新潟市内には人がいなくなった、とされています。
(新潟県内では長岡が大空襲に遭い、市内の80%が消失しました)
もし終戦が先に伸びていたら、新潟に三発目が投下された可能性はあった、と多くの研究資料が指摘しています。
的確な状況分析をして強制非難の布告を出した知事の判断は、もっと顕彰されていいと思います。
投稿: 神保町 | 2018年8月13日 (月) 13時20分
神保町様
コメント、有難うございます。
新潟県知事による強制疎開の布告の話、知りませんでした。
昔にはずいぶんと立派な指導者もおられたのですね。
こういった話はもっと多くの日本人が知るべきだと思いました。
投稿: 岩崎 | 2018年8月13日 (月) 17時23分