10年前の記憶
「えっ。全株ですか。」
「そうです。全株、売ってしまってください。」
私は日本の証券会社に電話でこう指示した。
世界中を震撼させたリーマン・ブラザーズの倒産(連邦破産法11条申請)が明らかになった2008年9月15日。
前週末に3ドル65セントを付けていたリーマンの株価は一気に下落し、何と21セントにまで落ち込んでいた。
「寄付きで売りますか。それとも20セントあたりで指値しておきますか。」
電話の向こう側で証券会社の営業マンの声が空虚に響く。
こうなってしまったらどうでも良かった。
リーマン・ブラザーズの株価は前年2月には86ドルを付けていた。
この高値に比べれば株価は99.8%下落したことになる。
言ってみれば1,000万円の金が僅か2万円になってしまった訳だ。
経営が破綻したのだから当たり前といえば当たり前だろう。
私がリーマン・ブラザーズの株を持っていたのは、5年前まで私がリーマンの幹部、すなわちマネージング・ダイレクターであったからだ。
投資銀行は年収が高いと言われているが、幹部クラスになると給与や賞与は現金で貰う分に比べて、自社株式の形で支給される割合が高くなっていく。
業界用語でいうペーパーマネー。
すぐには現金化出来ないカネという意味だ。
もちろん退職後5年を経過した今、私がリーマン・ブラザーズの株式を売ることについての制約は無くなっていた。
単に「自分が勤めていた会社の株」ということで思い出や記念の意味合いを込めて持っていたに他ならない。
それがまさか紙くず同然になろうとは、正直言って思いもよらなかった。
しかし、私などはまだましな方だ。
テレビではニューヨークのリーマン本社から私物を詰め込んでダンボールを抱えて出てくる社員の姿を映し出していた。
テレビ局のインタビュアーがマイクを向けて「社員の方ですか」と尋ねる。
「今朝までは社員だったよ。」
憮然とした表情で20代後半の若者がこう答えていた。
日本でもリーマン・ブラザーズの日本法人が東京地裁に民事再生法の適用を申請した。
負債総額3兆4千億円。
日本の経済史上2番目の大型破綻だ。
1,300人の従業員はどうなるのだろうか。
かつて一緒に働いていた同僚たちの顔が次から次へと目に浮かんでくる。
「岩崎さん、それでは今晩開くニューヨーク市場で売りの注文を出しておきます。」
証券マンの言葉に私は我にかえった。
これに続く一瞬の沈黙。
その間、証券マンは私に投げかける言葉を探していたのだろう。
私には余り適切な言葉とは思えなかったが、彼はこう言って電話を切った。
「それにしても随分と損をしましたね。」
受話器を置いて私は自分にとっての「一つの時代」が終わったように感じた。
退職後も私と投資銀行とを繋いできた目に見えない、ある種の結びつき。
それが株式の売却によって完全に無くなってしまったように感じたのだ。
(以上、拙著『リーマン恐慌』17-18頁より)
(写真はリーマンブラザーズの株券)
* * * *
世界中を震撼させたリーマン・ブラザーズの破綻から1ヶ月半ほどした2008年10月末。
私はニューヨークに来ていた。
10月末だというのに夏時間がまだ続いていて、ニューヨークの朝は7時になっても空がまだ薄暗い。
それでも街は出勤してくる人で賑わい、オフィスビルの8割以上には灯りがつき、中では出勤した社員が熱心にパソコンのモニターを見入っていた。
リーマン・ブラザーズの本社ビルに行ってみた。
ニューヨークの7番街745番地。
私がリーマンに在籍していた時に幾度となく訪れたビルだ。
あのころ、投資銀行はこの街の主役だった。
睡眠時間を削り、顧客とはげしくやりとりをし、大規模な案件をまとめあげていく中で、経済は拡大していき、社会は豊かになっていった。
そんな実感がたしかにわいてくる、刺激的な職場だった。
そんな一抹の感傷をあざ笑うかのように、ミッドタウンにあるこの高層ビルは、いつもと同じように朝コーヒーを片手に出勤してくる社員を次から次へと飲み込んでいた。
唯一の違いはビルの入り口の看板から「リーマン・ブラザーズ」の文字が消え、「バークレイズ・キャピタル」の文字に替わっていたことくらいだ。
(以上、拙著『リーマン恐慌』4-5頁より)
(写真はかつてのリーマンブラザーズのビル;08年10月撮影)
* * * *
リーマン破綻から10年。
当時書いた自分の本を読みなおしていました。
寝食忘れ、自分の寿命を削るような思いをして働いていた投資銀行時代。
そのとき得ていた報酬のかなりの部分はリーマンの株に置き換わっていたので、個人としてはかなりの経済的損失を被ってしまいました。
正直、10年前はショックだったのですが、今となっては、こうした経験は自分にとってプラスに働く面もあったように思えてきます。
リーマンショック前には見えなかったものが、見えるようになった、そんな気がしてくるのです。
あれから10年。
今年も東京で当時リーマンに勤めていた人たちの懇親会が開かれるとの連絡を受けました。
残念ながら私は出席できないのですが、幹事によれば200人近くが参加の予定とのことです。
| 固定リンク
« 先生の一言 | トップページ | 中国 落日の足音 »
コメント